Home > 小説『神々の黄昏』 > 挿話:遙かなる憧憬 > Act.4
「まったく、なんてことをなさるんです!」
中肉中背の青年が憤慨した様子で叫ぶのを、緋色のマントを羽織ったままの女剣士が渋い顔で振り返った。試合が終わった後の混乱を避けるようにそそくさと登録所のテントを後にした彼女は、裏の路地に入り込んだあとにすぐこの青年にとっつかまったのだった。
中央特務執行庁の紋章が入っている黒い制服を着たこの青年は、彼女と並ぶとたいそう小さく見えるのだが、それでも彼は一八〇センチを越えるいい体格をしているのだ。それ以上に女剣士は背が高く、ガタイがいいので、端から見ていれば男同士が話をしているようにしか見えなかった。
「いくら時間があるからといって、勝手に姿をくらましたかと思ったら腕比べなんかに出場して、挙げ句の果てに民間人に術法を使うなんて、とんでもない話です!」
「悪かったわよ。ちょっとおもしろそうだったから出てみたくなっただけよ。その件についてはあとで本人に謝りに行くわよ。それに、優勝だって辞退したんだし、あたしだって反省してる。もうあんたの小言は十分よ、ザイル」
女剣士は肩をすくめ、ザイルと呼ばれた青年に向かって本当にすまなそうにそう言った。しかし、青年の方はいっこうに収まりがつかないといった表情で彼女を睨み付ける。
「しかもそんな滅多に身につけない派手派手な甲冑まで引っぱり出してきて。あなたはご自分の立場をわかっておられるのか、ジョカ殿」
ジョカというのがこの体格のいい女剣士の名前だった。ザイルにたしなめられてジョカは口をすぼめ、まるでだだをこねる少女のように言いわけをする。
「だって、あの子かわいかったんだもん。張り切っちゃった。たまにはああいうのもいいでしょ、ザイル。あんただって嫌いじゃないくせに」
「パラディン・ジョカ!」
厳しい表情でザイルが睨み付けると、ジョカは大きくため息をついた。
「……わかったわよ。悪かった。自覚が足りませんでした。それより、人前で『パラディン・ジョカ』なんて大きな声で言わないでくれる? さっきの試合じゃ『ロードリングの歌姫』ってことになってるんだからさ」
ジョカの悪びれない態度に、ザイルは額に手を当てて頭を軽く振った。この破天荒な聖騎士の目付役を務める彼の、いつもの偏頭痛であった。
「わかりました。ジョカ殿。ではとりあえず今後の予定を確認させていただきます。まずは本日十七時にアジェンタシミルの総督府にて、グレイン提督との会談があります。その後、十九時に晩餐会。明日、明後日はワルトハイム将軍の指令待ちということで、聖騎士会館にて待機していただきます。将軍からの司令次第ではありますが、バーンズ中央特務執行庁長官の承認が得られていないとかでもめている様子ですので、行軍は明後日以降になる可能性も高いかと」
「バーンズね。ふん、あのへっぴり腰が! とっとと引退してくれればいいのに」
ジョカが嫌悪もあらわにそう言うと、ザイルも頷き、
「時間の問題ですよ。上院はフォリスター・イ・ワルトハイム将軍を後任に推していますからね。何か不祥事でも起こしてくれれば退任させることも簡単ですけどね」
「そういう裏工作も、あんたたち中央特使の役割でしょ? なんとかならないわけ?」
皮肉っぽく言われて、ザイルが肩をすくめてみせた。
「中央特使はまだ正式に組織されたものではありませんからね。お忘れですか? 承認前にワルトハイム将軍の首が飛ぶようなことはできませんよ。ま、将軍が長官に就任した暁には、正式に中央特務執行庁の一組織として議会に提案してくださるそうですけど。もう少しあなたがた聖騎士団がしっかりしてくださるか、聖救世使教会が権力を発揮してくれれば話は早いんですけどね」
まるで台本でも読んでいるかのようにスラスラと分かり切ったことを答えてみせ、あげくに皮肉を返してのけるザイルにうんざりしながら、ジョカは剣士登録所のテントを振り返った。決勝戦で相まみえたあの坊やは大丈夫だろうかと、柄にもなく不安になりながら。
試合が終わって観客が引けたころ、すぐにさきほどまで剣の腕試しが行われていた舞台は楽師隊の奏でる音楽に包まれた。人々はさきほどまでの野蛮な一幕を忘れ、輪になって踊りだした。アジェンタスから古く伝わるこの伝統曲は、祭りなどの催し物の際には必ず演奏され、人々を楽しませてくれるものだった。
舞台から転げ落ち、そのまま気を失ったセテは、腕試しの登録所の脇に張られた休憩所に運び込まれた。先ほどの試合では木刀を使っていたので剣で斬られるような無惨なけが人は出ないのだが、手合わせの途中で木刀が手首に当たって骨折したり、足をひねった者、セテがそうしたように対戦相手にこてんぱんにされて気を失った者が、簡単な手当を受けられるように準備が整っていた。
レトにかつがれてベッドに寝かされたセテは、まだ気を失ったまま目を覚まさない。女剣士の力強い一撃を腹に受けたのも間違いないが、それよりも、瞬発的に発動した術法の直撃を受けたことが大きいようだ。
「いい薬だわ」
けが人の手当で駆けつけたセテの母ナルミが、ベッドに横たわったまま意識のないセテを見下ろしてため息をついた。
「まったく。遠目で見ていたけど、この子の態度ったらホントに鼻持ちならない感じだったもの。罰が当たったのよ」
実の母親のくせにずいぶんと冷たいひとことだ。レトがちょっと抗議をしようと口を開いたが、ナルミが腕を組んで睨み付けたので、彼は仕方なく口をつぐんだ。
セテと同じ金髪に青い目がよく映える整った顔立ちが、彼女を深窓の婦人のように見せるのだが、その実とても厳しく、時にレトもセテと同様に大目玉を食らうことがあった。セテの気の強さは、彼女の血を紛れもなく引いているからだとレトはいつも思う。
「レト、この子の目が覚めたら悪いけど家まで送ってあげてくれないかしら? おばさん、まだ仕事が山ほど残ってるの。あっちこっちで酔っぱらって喧嘩だのの騒ぎがあるもんだから、朝からクタクタよ」
「はーい。わかりやしたー」
レトは渋々返事をしながら、大袈裟に疲れた素振りをしながら他のけが人を見に歩いていくナルミの後ろ姿を見送った。
レトは大きくため息をつき、親友の寝顔を困ったように見つめる。気を失っているかと思えば、かすかに規則的な寝息が聞こえているので、レトは少し安心して椅子に深く腰掛けなおした。それから腰のポケットに手をやり、封筒のようなものを取り出す。
「なんだか俺が代理で受け取っちゃったけど……。起きたらこいつ、絶対暴れ出すに違いないよ」
優勝者に渡される賞金二千セルテスの証文だった。指定の銀行へ持っていけば即金で二千セルテスが手に入るのだが、きっとセテは受け取らないに違いない。怒り狂って悪態をつきまくり、さんざんあの女剣士のことを罵りながら、もしかしたら勢いに任せてこの証文を破り捨ててしまうかも。セテのそのときの様子が手に取るようで、レトはまた大きくため息をつく。頭に来たときは後先考えずに行動する、とんでもない癇癪持ちなのだ。
この金髪の少年とつるむようになったのは、いつからだったろうか。家が近かったので、もううんと小さい頃から一緒に遊んでいたと思う。昔からセテは負けん気だけは強くて、喧嘩ばかりしていたような覚えがある。小さい頃はそれほど背の高くなかったセテは、まるで少女のような顔立ちをしていた。そのことでよく年上の子にからかわれたりしていたが、すぐに突っかかっていったものだ。しかし気が強いとは言っても、負けて帰ってきたときの泣き顔だとか、楽しそうに笑ったりする表情とか、時折照れくさそうに見せる優しい表情とか、表情がめまぐるしく変わるとても感受性の強い少年だったとレトは記憶している。いつからこんなふうに強い人間に対して、とげとげしいまでの敵意を燃やすようになったのだろうか。
たぶんきっと。五年前にアジェンタス山への冒険をしたあとだ。あのときセテがアジェンタス山でなにを見たのか、何が起こったのか知る由はない。そのことについて尋ねても、セテは絶対に何も言わないのだ。
そのあとセテは、急に「聖騎士になる」なんてとんでもない野望を持ち始め、あまり好きではなかった剣の稽古に真剣に打ち込むようになったのだ。その前から素質はあったようだが、取り憑かれたように剣の稽古をはじめてからめきめきと実力を伸ばしていった。持ち前の素早さを最大限に利用した戦い方を身につけたのが、彼の強みだ。それまで勝てなかった相手に勝てるようになると、セテはどんどん強い人間に決闘を申し込み、そしていつのまにかほぼ全勝するくらいの実力の持ち主となった。
レトはなんとなくいまのセテが好きではなかった。いつもピリピリした感じがするし、負けた人間はまるでクズだとでも言わんばかりに見下したりする態度や、強そうに見える人間を叩きのめしたときの満足そうな表情だとか、さきほどの女剣士に対する態度のような、激しい女性差別意識だとかがとても心地が悪い。昔はもっとのびのびした感じだったのに、どうしてそんなふうに振る舞うようになったのだろうか。
顔だけ見ればいいところのおぼっちゃんにしか見えないのに、わざと自分を強く見せようと粋がったり、人から嫌われようとしているみたいだ。自分の容姿がどれだけ目を引くか分かっていたら、俺だったらもっとスマートに生きるのに。セテが小さくうめいて寝返りをうつのをぼんやりと眺めながら、レトはそんなことを考えていた。
「まだ目が覚めないのね」
突然声をかけられて、レトは驚いて顔を上げた。目の前には、セテと決勝で相まみえたあの体格のいい女剣士が立っていた。レトは椅子から飛び上がらんばかりに再び驚き、女剣士の顔をまじまじと見つめる。彼女はもう、決勝戦で披露したあの毒々しいまでに露出度の高い甲冑は身につけておらず、代わりに質素な茶色いチュニックを着ていた。
「あんたの術法のショックだってさ。とくにケガはしてないけど」
レトは悪気はなかったが、なんとなくそうやって悪態をついてみたくなった。しかし、女剣士が困ったようにため息をついたので、レトは少し申し訳ないような気になった。
女剣士はベッドで横になっているセテの顔をまじまじと覗き込んだ。
「へえ……間近で見ると、ほんとにこの子かわいい顔してるのねぇ」
「こいつが起きてないことに感謝したほうがいいよ。顔のこと言うと、こいつ狂ったように怒るから」
「そうなの? いい男って言われて怒るなんて変わった子ね。ま、ホントにいい男になるにはあと十年くらいかかるかもしれないけど。いやー、でもホントかわいい〜。肌なんかもピチッピチで、なんだか女の子みたい〜。若いってこういうことなのよね〜」
寝ているセテの頬を指でつついたりしている女剣士を見て、レトはセテが起きないか冷や汗ものだ。
「よせってば! 起きたらあんた殺されるかもしれねーぞ。何しにきたんだよ。こいつが目を覚ます前に、あんたとっとと帰ったほうがいいって。あんたが優勝を辞退して賞金譲ったなんてこいつが知ったら、女に情けをかけられるなんて死んだ方がマシだとか言って怒り狂うに違いないんだからな」
女剣士は寝ているセテをいじくり回すのをやめると、じっとレトの顔を見つめた。さっきまでうれしそうにきゃいきゃい騒いでいたのとは、うって変わった真剣な表情で。もしかしたら怒っているのかも知れないと、レトは少し恐ろしくなった。
「忠告しに来たのよ」
「忠告?」
レトがおうむ返しに尋ねると、女剣士は腕を組んで背筋を伸ばし、ベッドのセテを見下ろした。女でありながら自分よりも頭ひとつ分以上も大きいこの剣士から、ものすごい威圧感を感じたレトは、思わずごくりと生唾を飲み込んだ。
「初戦からこの子の態度見てきたけど、そんなんじゃそのうち恨みを買うかも知れないわよってね。まるで自分が最高だとでも思っているみたい。女性差別意識もひどいみたいだし、不愉快だわ。ホントは術法なんか使わなくても勝てたけど、ちょっとお仕置きしてやろうと思ってね」
「あんた、もしかしてわざと?」
「そうよ。優勝を譲ってあげたのも、多分この子だったら屈辱と受け取るんじゃないかと思って」
ということは、この女剣士は最初からセテを叩きのめす腹づもりでいたわけか。レトは小さく舌打ちしたが、それ以上反論できなかった。彼女の言うことはもっともだ。レトもその点では同感だが、それにしてもこの女剣士はいったい何様のつもりだろうか。そのすべて見透かしたような態度がひどくしゃくに障る。
「まぁもっとも、彼が出場してなくても私が賞金をもらうわけにはいかないんだけどね」
女剣士のひとことにレトは首を傾げた。彼女が意味ありげな笑みを浮かべたのはどういう意味なのかを問いただそうとしたとき、女剣士の後ろに人影があるのに気づいてその機会を失ってしまった。黒い詰め襟を着た体格のいい青年が立っていて、彼は申し訳なさそうに女剣士の肩を叩いた。
「お話し中に申し訳ありません。ジョカ殿、そろそろ……」
青年にそう声をかけられて女剣士は顔をしかめた。それから彼に向かってわかったと頷くと、もう一度レトに振り返り、
「それからもうひとつ忠告よ。さっきのハイ・ファミリーの連中には気を付けたほうがいいわよ。彼が目を覚ましたら、ちゃんと家に送ってあげてね、少年」
そう言い残すと、女剣士は黒い制服の青年を伴って休憩所を足早に出ていった。レトは女剣士のあとをついていく青年の制服に見覚えがあったが、それが何を意味するのかすぐに思い出せないでいた。あのタイプの制服は、中央諸世界連合に関連した機関のものだったような気がする。とすると、彼女は政府の要人かなんかなのだろうか。
ふとセテを振り返ると、セテが小さく呻き、ちょうどうっすらと目を覚ましたところだった。レトは女剣士が何者なのか少し気がかりではあったが、最高に機嫌の悪そうなセテが起きるのを手伝っているうちに、すぐにそんなことを忘れ去っていた。