Act.3

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 アジェンタスにしては比較的気温の高い一日になりそうだった。太陽がすでに真上に来ており、人だかりのせいもあってか、最前列で試合を見ていたレトは、額から落ちる汗をしょっちゅう拭わなければならなかった。舞台の上でふたりの剣士が切り結んでいるのを、なかば飽きてしまったかのような表情でぼんやりと見つめる。
 木刀の折れる鈍い音とともにわっと歓声が上がり、レトは舞台の上から転がり落ちてくる厄災をよけるために身構えた。案の定、そのすぐあとに負けた剣士が舞台から客席に転がり落ちてきたので、観客がまた大いに沸いた。
 素人も混じっていたためか、これまでの試合はずるずるとずいぶん長引いたが、そろそろ本当に強い剣士が残りはじめていた。この試合が終われば、いよいよ準決勝戦になる。舞台袖で控えている何人かの剣士の顔を確認するために、レトは少し背筋を伸ばして目を凝らしてみた。四人残った剣士たちの姿がちらりと見えた。
 準決勝を控えた剣士の休息のために、しばらく舞台の整備が行われると司会者からの告知があった後、人々は飲み物や食べ物を売って歩く売り子に声をかけたり、席を立って背伸びをしたりするのであった。そのタイミングを見計らってやってきたオラリーとクルトが、大袈裟なため息をつきながらレトの隣に腰掛けた。彼らは参加賞として配られる小さなブロンズの記念盾を手にしていた。
「あーもう、まさかあんなすぐに負けるなんてさー」
 オラリーが手にしたブロンズの盾を振りながら口をとがらせた。
「おつかれ」と、レトはふたりの友人の戦いぶりをねぎらってやる。そしてさらに、「世の中そんな甘くないってことだな」と大人ぶって付け加えた。
「木刀じゃやる気が出ねえよ。真剣だったらもっと本気出したのになぁ」
 オラリーはそうやっておどけてみせたが、レトに「言い訳すんなよ」とこづかれて小さく舌を出す。
「まぁお前の希望の星はまだ残ってるからな。気楽なもんだな、レト」
 クルトがそう言うと、レトは心外だと言わんばかりに肩をすくめてみせた。
「気楽なもんか。こっちだってセテの応援でもうクタクタだよ。あいつの気が散らないように、母ちゃんたちを静かにさせとくのも骨が折れるんだぞ」
「どうだかな」
 負けたふたりの友人は顔を見合わせて肩をすくめた。
 セテは本当に準決勝の四人に残っていた。周りはすべて大人だというのに、あの若さでここまで残るなんて本当に奇跡に近い。運が良かっただけかも知れないが、運も実力のうちだとよくセテが主張していたのを思い出す。
「しかしホント、セテが優勝しちまうかもな」
「そしたら俺たちにもなんかおごってくれるかな」
 クルトとオラリーが勝手なことを言い出すので、レトはクルトのぽっちゃりした頬を指で引っ張る。
「ふざけんなよ、お前らの分まで払えるかっつーの。お前がなんか食っただけで、賞金すっとんじまうだろー?」
「お前の賞金じゃねーだろー? いいじゃねーか、俺たちもここでガンガン応援するからさー」
「セテの気が散るからよせっつーの。でもま、どっちにしろあいつは試合中、周りの声とか全然聞いてねーよ。今日は特に、心底人を叩きのめすのを楽しんでるって感じだな。ま、お前らセテと当たんなかっただけでもよかったと思えよ。なんかあいつ、やる気満々だぞ、今日」
 剣を振るうときのセテの表情は、生き生きしているというよりは、最高に屈辱的な敗北を相手に味わわせるための喜びに打ち震えているといった、病的な気配さえ感じさせるのだ。
「こういうの大好きだもんなー、セテ」
「あの顔でああだもんなー。あれさえなければモテるのに。惜しい男」
 友人たちは納得したように頷いた。
 自分は小馬鹿にするような態度で相手をさんざん挑発するくせに、自分が挑発されると完全にキレて敵を追いつめる。喧嘩でも剣の試合でも、セテはいつもそんな状態だった。だがキレるというのも、実はわざとやっているのではなかろうかとレトは思うときがある。最後の一撃を相手に見舞う瞬間、セテはにやりと笑う。見せ場を心得ているとしか思えないくらいの、余裕の微笑みといってもいいだろう。絶対的な力の差を見せつける、劇的な瞬間を探して戦っているに違いない。本当に、剣を振るって相手を叩きのめすのが大好きなのだ、セテは。
 案の定、さきほど登録所で見かけたハイ・ファミリーの剣士と当たったセテは、さんざん相手を罵倒したり侮辱したりして挑発した。それも、ハイ・ファミリーなら聞き捨てならないような最高の侮辱の言葉で。相手が冷静さを失って木刀を真上に構えた瞬間、セテはそのみぞおちに自分の木刀を当て、貴族の青年を床にはいつくばらせる形となったのだ。
 そのときのセテの、相手をさげすむような瞳が印象的だった。背筋が寒くなるほどの残酷な青い瞳。気絶したハイ・ファミリーの青年が運ばれていく様子を、セテが舞台の袖で侮蔑的な表情で見送っていたのを見たとき、レトはきゅっと胃が痛くなるような感覚を覚えた。
 冷徹で負け知らずで自意識過剰で、そうかと思えば子どもみたいに無邪気に笑う。実際に、セテはまだ子どもなのだ。怖いもの知らずのまま身体だけ成長してしまった子ども。そんなふうにいい気になっているうちに、きっとセテは手痛いしっぺ返しを食うに違いない。そのときのために……俺は……。
 そんなことを考えているうちに再び歓声が上がったので、レトは物思いから現実に一気に引き戻された。どうやら準決勝戦が再開されるらしい。
「おい! レト、見ろよ、一番手はセテだぜ!」
 舞台の袖から木刀を携えたセテが中央に歩み寄ってきた。最前列で見ていたレトの母親たちが声援を送るのを、セテは困ったような顔でちらりと見、それから固い表情で自分の対戦相手を睨み付ける。対戦相手は四十を越えたくらいの中年の男だ。確かセテやレトの学校の先輩だか後輩だかの父親だと記憶しているが、昔は優秀な剣士だったと隣で見ていたおばさん連中が噂しているのが耳に入った。
「年にはかなわねーっつーの」
 レトは聞こえないようにそうひとりごち、壇上のセテを見守った。
 舞台の上で、セテと対戦者がお互いが握っている木刀を十字に交差させ、軽く礼をし合う。決闘や剣の試合をする前の伝統的な儀式として、古くから伝わるものである。
「どうぞお手柔らかに」
 剣を交差させたとき、セテが対戦者にそう言うのが聞こえた。天使のような微笑みを顔に張り付かせて言うわりに、ほとんど感情はこもっていない。
「……よく言うよ」
 セテの偽善的な台詞に、観客席のレトがため息をついた。お手柔らかにするのはお前のほうだろ、と口ごもりながら。
 いきなりセテが相手に攻撃を仕掛けた。相手は突然の攻撃に驚いたが、すぐに頭上で木刀を構えて第一撃をかわす。激しく打ち込まれて受け太刀のまま防戦いっぽうになるが、そこでセテはいったん剣を引き、掌の中でくるりと木刀を回した。始まった、とレトは小さく肩をすくめた。セテが相手を挑発するいつもの仕草。くるんと木刀はセテの掌から甲に回り、また掌に戻ってくる。木刀の切っ先が回るときのその軌跡が、アジェンタスの太陽に照らされながらきれいに円を描くのが美しかった。
 そうやって余裕を見せることでこちらに隙があると見せかけ、その挑発に乗って間合いに踏み込んでいく剣士がセテの反射速度についていけなかったのを忘れたのか、対戦者はくるくると木刀を回すセテに詰め寄った。セテが腰に手を当てて余裕の構えを見せているのは、伊達ではないのだ。
「ワンパターンなんだよ!」
 セテがひとこと吼えた。即座に木刀を握りなおしたセテは、右側に踏み込んできた対戦者の身体をよけ、そしてくるりと振り向きざまに木刀をなぎ払う。固い木がぶつかり合う小気味よい音がして、対戦者の手から木刀がはじき飛ばされていた。それだけで飽きたらず、セテは相手の木刀が飛ぶのを予想していなかったとでも言い訳するつもりなのか、得物を失った対戦者の脇腹に柄を突き出した。見事にみぞおちに木刀の一撃が決まった。対戦者は低くうめき声を漏らし、舞台に膝を付いた。
「勝負あり! 双方そこまで!」
 審判の声が響き渡る。そして割れるような歓声。セテはいつものクセで木刀を強く振り払い、もう一度手の中でくるりと回してから腰の剣帯に収めた。
「うわーーやったぁー! すごいわ! セテ!!」
 隣で見ていたレトの母親たちが歓喜の声をあげた。気が付くと、オラリーやクルトのほかに、セテの級友たちが何人も最前列に詰めかけて声援を送っていた。哀しくなるほど見事に同世代の女の子の姿はない。
(そこがあいつのあいつたる所以なんだけどな)
 でもありゃやりすぎだよ。レトはそう思いながら、満足そうに礼をして舞台袖に去っていくセテの姿を見送った。






 くそ……っ。そろそろ限界かも……!
 舞台袖に引っ込んだセテは、すぐにベンチを見つけて座り込み、大きなため息をついた。
 賞金目当ての素人剣士が多かったおかげで、思ったよりも長引いた試合。総当たり戦ではないが出場者がえらく多かった関係で、今日はこれで七回目の試合だ。日中の気温も、予想以上に高くなってきていた。なるべく体力を使わないように、対戦した相手を数分以内で叩きのめすように心がけてはいたものの、ちょっとの休憩では体力が回復しにくくなっていた。さすがにキツイ。いつもの使い慣れた剣ではなく、木刀を使うのも具合が悪かったし、なじんでいないために掌には小さな血豆ができていた。
(ここまできて負けられるか!)
 セテはポケットから手ぬぐいを出し、次の試合までの間に腫れ上がった掌を冷やすべく、それを水に浸しきつく巻き付ける。
「しっかりしろよ、俺様!」
 セテは気合いを入れるために自分にそうつぶやき、次の試合を袖から眺めるべく席を立った。






 準決勝が終わり、残すところ決勝戦となった。どの試合もさすがにすばらしいもので、勝者が決まるたびに広場の観衆が沸いた。しかし、見事に決勝まで残ることとなったセテの表情は、心なしか疲れて見えた。
「勇士たちの戦いもいよいよこれで幕を閉じます! 幾多の剣士たちが挑み、敗れていった中、幸運にも決勝戦にのぞむことのできた剣士がここにふたり! みなさま盛大なる拍手を!」
 舞台の脇で司会者が、芝居がかった大袈裟な身振りでそう叫んだ。広場は割れんばかりの拍手と声援が沸き起こった。
「最後まで勝ち残ったふたりの勇士のうち、ひとりはなんと十六歳の少年です! 地元ヴァランタイン高校一年生のセテ・トスキ君!」
 司会者に手招きされ、セテは渋々壇上に上がった。最前列で見ていたレトの母親たちおばさん軍団と、野郎ばかりで構成される級友の応援団が大騒ぎだ。
「対するは、なんと! 黄金の女剣士です! まさに神世代に蘇ったアマゾネス!」
 大袈裟なアナウンスに続き、再び観客席からどよめきが起こる。金髪を短く刈りあげた、あの背の高い女剣士が緋色のマントを羽織って壇上に姿を現したのだ。
「えーーと……え?」
 司会者が手元のメモを見て言葉を濁す。女剣士は意地悪そうな笑みを浮かべて司会者を見つめ、そこに書いてあるものをそのまま読めと顎で合図をした。司会者は困ったように汗を拭いながら、
「『ロードリングの歌姫』、オルガ・ビシュヌ!!」
 観客席から一斉に笑い声が漏れた。
 オルガ・ビシュヌとは、最近アジェンタスで売れっ子の歌姫の名前だ。先日ヴァランタインにも興業で来たばかりで、その舞台は連日満員だった。オルガの歌声は天使のささやきと言われ、その容姿はまさに美の女神を彷彿させると、アジェンタスの地方紙が一斉に賛美したばかりだ。当然、観客たちの多くが実物のオルガを目にしているわけだから、背が高く、体格のいいこの女剣士がその歌姫であるはずなどないと分かっている。ジョークにしてはかなり笑えない部類ではあるが、女剣士は茶目っ気たっぷりに舞台でお辞儀をして見せた。まるで本物の歌姫が舞台で挨拶をするかのように、優雅に。
「……冗談キッツイだろ……。歌姫ってツラかよ」
 セテは対戦者の顔をまじまじと見ながらつぶやいた。
 セテと女剣士は、舞台中央で木刀を交差させるべく、歩み寄った。その際、女剣士は自分がいまだマントを羽織っていたのに気付き、振り返って首元のリボンをゆるめた。上質のシルクだろうか。柔らかそうな緋色の生地が宙に舞うと、その下から甲冑が姿を現した。だが、セテはそこで思わず息を飲む。あまりにもその甲冑は、戦うには意味をなさないように見えた。つまり、必要以上に肌の露出度が高いのだ。
 豊かな乳房をかろうじて押さえているであろう胸当てからは、柔らかな胸の肉がいまにも飛び出さんばかりだ。大きく空いた襟刳りから覗く谷間はあまりにも強烈だ。細い股の部分はかろうじて貞操を守っているらしく、惜しげもなくさらした股間のY字がセテの目に飛び込んでくる。
 先ほどまでの試合ではこんな甲冑は身につけていなかった。とすれば、この女は決勝のためだけに着替えたとでもいうのだろうか。途端にセテの様子がおかしくなる。顔と言わず耳まで真っ赤にして、視線を泳がせたまま口をぱくぱくすることしかできないようだ。
「うわーやばいぞセテ! 色仕掛けかよ!」
 最前列で見ていたクルトが額をぴしゃりと叩いた。レトとオラリーも同時に額を叩いた。
 セテの女性に対する免疫のなさはハンパではなかった。ちょっと短いスカートを履いた同じ年頃の女の子が、目の前でものを拾うためにかがんだだけでも前後不覚に陥るくらいなのだ。
「おい! セテ! なにやってんだ! そんな女こてんぱんにのしてやれよ!」
 レトは舞台上のセテに叫んだ。その声にやっと我に返ったのか、セテはなるべく女剣士の甲冑に目がいかないように顔だけを見据え、形ばかりににらみ返してやるのだったが。
 突然女剣士が攻撃に走った。セテは木刀を正眼に構え、それを防ぐ。だが、最初の一撃はセテにとっては信じられないものだった。
(マジかよ! これが女の力かよ!)
 セテは次の攻撃を受け流し、返した刃で女剣士に斬りかかった。木のぶつかり合う音とは思えないような甲高い接触。疲れもあるのだろうが、はっきり言ってこの女剣士の一撃は、これまで対戦してきた相手の中でも最強の部類に入るのではないかと、セテは一瞬めまいを覚える。加えてその露出度の高い甲冑では、まさに最凶の対戦相手でもあった。
 だがセテには勝算が見えていた。これまでも多くの対戦者と渡り合ってきたが、そのどれもが体格の大きい剣士だった。体格が大きければそれだけスピードに劣るということ、自分のスピードが最大の武器であることを、彼はよく知っているのだ。速攻でケリをつけるか、体力を温存しながら試合を長引かせ、相手が疲れたところで最大のスピードでもって打ちのめすか。セテは相手の動きを読みながら懸命に頭を巡らす。
 女剣士が斬りかかるのを、セテはぎりぎりのところまで目で追い、そしてひらりと身を返した。なるほど、確かにこの剣士はスピードでは自分に劣るようだ。力任せに剣をなぎ払われるのであれば、捕まらないように受け流し、持久戦に持ち込むのが最善策かもしれない。セテは女剣士の繰り出す刃をかわしながら心の奥でほくそ笑んだ。こんな馬鹿力のクソ女、絶対叩きのめしてやる。
 一瞬掌に激痛が走り、セテは顔をしかめる。さきほど冷やしておいたが、血豆がいくつか破けたに違いない。悟られただろうかと女剣士の顔色をうかがうが、彼女は気づいていないようだった。セテは左手から右手に軸の手を持ち替えようとしたが、そのときにするどい一撃がセテを襲った。それを即座に両手で防ぐ。木刀同志が当たるには、あまりにも重い固い音が響いた。
「うあっ!!」
 腕から掌に伝わる痛みに、セテは小さく叫び声をあげた。攻撃を受け流しながらいったんセテは身を翻し、もう一度木刀を左手に握り直す。女剣士は驚いたような顔をしたが、すぐにそれが不敵な笑みに変わる。気づかれたのか。もう長くは保たないかも知れない。体力的にもそろそろ限界がこようとしているに違いない。セテは舌打ちをし、そして次の一撃で終わらせるべく勝負に出る決意をした。
 同時に女剣士も勝機を見つけたらしい。セテの左手に握った木刀目がけて、渾身の一撃を見舞うべく振りかぶる。セテはそれを自慢の動体視力で追いながら、ぎりぎりの線で剣士の脇に入るべく間合いを詰めた。
「もらったぞ! クソ女!!」
 セテは叫び、そして木刀をなぎ払う。しかしその瞬間、セテは驚くべき光景を目にすることになる。
 女剣士は掲げた木刀の前で小さく指を動かした。それは魔法剣士がよく使う術法の法印であると、セテは後から思い返したのだったが、白く輝く魔法陣が彼女の回りを囲み、そこから<気>が一気に吹き出した。女剣士の脇腹に決まろうとしていた木刀ははじき返され、そればかりか吹き出した〈気〉がセテの身体を押し戻そうとする。彼女の握っていた木刀は加速がついたようにセテの目の前に迫ってきた。そこまで、おそらく時間にして二秒もないほどだろう。次の瞬間には、セテの腹に女剣士の木刀が見事に決まり、そしてセテは吹き出した〈気〉とともに舞台の端から転げ落ちていた。
「セテ!!」
 最前列で見ていたレトが立ち上がり、舞台から落ちたセテに向かって駆け出す。周観衆は目の前でなにが起きたのかも分からずに、あんぐりと口を開けて見ていることしかできなかった。そして、あの女剣士が少年に勝ったのだと理解するまでに、およそ一分ほど時間を要することになったのだ。
「ゆ……優勝は……」
 司会者もその一瞬のできごとを理解できていなかったようだ。もごもごと口を動かしながらやっと咳払いをし、
「優勝は、『ロードリングの歌姫』! オルガ・ビシュヌ!!」
 途端に割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。木刀を構えたままの女剣士に司会者が駆け寄り、そしてその腕を取って天に掲げようとしたそのとき。
「優勝は辞退させていただきます」
 女剣士のよく通る元気な声が広場に響き、一瞬で拍手と歓声が止まった。司会者は困惑して女剣士の表情をうかがい見る。彼女は木刀を剣帯に収めると、舞台の下で倒れているセテを見下ろし、ため息をついた。
「はずみで術法を使ってしまいました。剣の試合にあるまじき行為です」
「いや、ですが、規約には術法を使うなとは……」
「いえ、これは私のプライドの問題です。どんな形であれ、剣で腕試しを行うべき場所において術法を使うのはルール違反です。優勝は辞退させていただけませんか」
 女剣士にそう言われて、司会者はさらに困惑している。
「あそこの……あの倒れている坊やが優勝者です。それでいかが?」
 女剣士はそう言うと、めんどうくさそうに舞台の袖に足早に去っていく。観客はしばらく呆然としていたが、やがてそのあっぱれな精神に感動したらしく、あちこちから再び割れるような拍手が巻き起こった。
 レトはそのやりとりを聞きながら気を失っているセテを抱え起こすが、目を覚ましてからことの顛末を知ったセテがなんて言って暴れ出すか、気が気ではなかった。

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