Act.3

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 レオンハルトは聖騎士の正装である銀の甲冑ではなく、彼自身好んで身につける漆黒の甲冑を身につけ、同じく夜の闇にも似た漆黒のシルクのマントを羽織って、長い長い廊下を歩き続けた。その半歩後ろには、水の色をした上等のシルクで織られ、裾に見事な金の刺繍を施したドレスを身につけたガートルードが静かに続く。アートハルクを象徴する紫禁城《しきんじょう》の、戴冠の間へと続く長い廊下であった。
 もうまもなく、次代を担うアートハルクの新皇帝、ダフニス・デラ・アートハルクの即位式が開催される。中央諸世界連合を構成する各国から招かれた国賓はすでに会場に着席し、そして城の周りでは、新皇帝の戴冠と即位を心待ちにして熱狂する国民が取り囲んでいた。即位を終え、バルコニーから顔を出すダフニスの登場を待ちきれないアートハルク国民の歓声が、朝から北の大地に轟いていた。
 ふと、レオンハルトは柱に潜む何者かの気配を感じて足を止める。黒いマントを羽織り物陰に身を隠すその仕草には、レオンハルトもガートルードも見覚えがあった。
「このたびは新皇帝ダフニス陛下の覚えめでたく」
 黒い人影はレオンハルトに声をかける。あからさまに不快な表情で振り返るレオンハルトに、ガートルードが不安そうに寄り添った。
「特使……いや、〈草〉か」
「即位の前にご報告をと思いまして」
「中央の〈草〉が姿を見せるのは職務規定違反ではないのか」
「ご安心を。私は中央の〈草〉ではありませぬゆえ」
 ますますレオンハルトの眉間のしわが深くなる。〈草〉を有する組織はいくつかあったが、そのどれもレオンハルトにとっては気に入らぬものらしかった。
「反乱分子に相当する勢力は、すでに我々の手によって処置が施されております。本日の即位式も滞りなく終わることでしょう。もちろん、レオンハルト殿の脅しも多少は効いているようですがね」
「当然だ」
「それから先日の展望台での一件はご安心くださいますよう。城内にはもちろん、城の周りにも皇帝陛下の身を危険に晒すような要素はなかったことだけはご報告申し上げておきましょう」
「やはりお前たちか。ガートルードもその点について不審がっていた。殺気の感じられぬ暗殺者などいるわけがない。本当にダフニス殿下を殺すつもりの人間がそばにいたのであれば、ガートルードが即座に気づくはずだからな」
「怪我の功名、とでも申しましょうか。結果的にダフニス様が即位する気におなりになったのですから、問題はございませんでしょう。レオンハルト殿には隠されていたが、ダフニス様は幼少のころから独学で勉学に励み、統治者としての資質も十分に兼ね備えている。祭司長殿もたいそうお喜びです」
「やはり聖救世使教会の〈草〉か」
 吐き捨てるようにそう言うと、レオンハルトは威嚇するようにマントを翻し、背を向ける。
「では祭司長ハドリアヌスに伝えておくがいい。ダフニスに何をさせるつもりかは知らぬが、私がこの国の守護剣士でいる限り、お前の好きなようにはさせぬとな」
 そう言って、レオンハルトは心配そうにふたりのやりとりを眺めていたガートルードを促し、何事もなかったかのように廊下を歩き始めた。その背に、黒ずくめの〈草〉が低い声で喉を鳴らして笑った。実に身に覚えのある笑い声であった。
「相変わらずだな、伝説の聖騎士殿。だが、ゆめゆめ忘れるな。『神の黙示録』は、ダフニスとアートハルク、そしてそなたをも捕らえて離す気はないことを」
 その言葉を聞くや否や、レオンハルトははじかれたように振り返り、柱を見据えた。だが、先ほどまで柱の影に身を潜めていた〈草〉がいた場所には、すでに何者の気配も感じることはなかった。
「まさか……いまのは……」
 口をついて出た言葉に、レオンハルトはあわててガートルードを振り返る。黄金の髪の魔導師は聞こえていなかったのか、兄の狼狽ぶりに驚いているようだった。レオンハルトは妹を安心させるように微笑むと、もう一度気を取り直して、戴冠の間へと続く廊下を静かに歩き出した。






 扉の前で控えていた従者たちが、レオンハルトとガートルードの姿を見ると恭しく頭を下げ、控え室の大扉を芝居がかった仕草で開け放つ。伝説の聖騎士と魔導師の遅い登場に、中で待っていた若き皇帝はうれしそうに立ち上がり、両手を広げてふたりを出迎えた。
「レオンハルト殿。ガートルード殿」
 アートハルクを象徴する真紅の布地に双頭のドラゴンを刺繍し、その縁を黒の上等な毛皮であしらったマントを羽織り、白銀の髪を束ねたダフニスは、どこから見ても立派な皇帝であった。色素の薄い顔は、先日までのような生気のない表情ではなく、紅潮して歓喜に満ちた色を宿している。悲壮感と憎悪に満ちあふれていた赤い瞳も、いまでは生き生きと輝いていた。
「おめでとうございます。陛下。ご立派なお姿です」
 レオンハルトは黒い甲冑の胸に手を当て、敬意を表した。それにならってガートルードも水色のシルクのドレスの裾をつまみ、優雅に礼をする。ダフニスはうれしそうに微笑むと、
「貴殿のおかげだ、レオンハルト殿。今日この日、貴殿らと即位の式を迎えられることを本当にうれしく思う」
「いまよりは、どうぞレオンハルトとお呼びくださいますよう。我々はあなたの家臣です」
「それでは……」
 ダフニスの顔がいっそう輝いたので、レオンハルトは静かに頷き、
「先ほど聖救世使教会および中央諸世界連合評議会にて、正式に受理されました。私は今日より、アートハルク帝国の守護剣士としてこの地にとどまり、あなたを支え続けましょう」
 ダフニスは頷き、レオンハルトとガートルードの顔を交互に見つめて微笑んだ。それから控え室の窓の外に顔を向ける。
「レオンハルト、聞こえるか」
 レオンハルトはダフニスに促され、窓際に目をやった。控え室の窓からは、紫禁城を取り巻く塀の外に、何重にも広がる人々の輪がよく見えた。そしてその向こうには、遙かアジェンタスまで続くアートハルクの荘厳な眺めがあった。
「わたしを待ちかねる、国民の新時代への叫びだ。わたしは以前、父からは何も与えられていないと言った。だがそれは違う。未来へ生きていこうとする、力強い意志を持った多くの人々とこの国は、わたしにとってなによりの遺産だ」
 それからダフニスはレオンハルトを向き直らせ、その顔をじっと見つめる。先ほどまでとはうってかわった、厳しい表情で。
「レオンハルト。貴殿は父殺しの人間を許すことができるのか」
「何をおっしゃるのか分かりかねます」
 レオンハルトは表情を変えず、冷徹な鉄面皮のまま返す。
「なぜわたしを見過ごしたのか、それが知りたい。貴殿は」
「その先は言うなと、以前にも申し上げたはず」レオンハルトは一瞬凍り付くような目でダフニスを睨みつけた。剣を振るうことを生業とする、聖騎士団の一員であることを確かに裏付けるほどの冷酷な光が、そのエメラルドグリーンの瞳に宿っている。
「大罪を犯した人間を罰すればそれで済むとお思いか。罪を犯した人間は、心からそれを償うために何をすればいいかを自分の頭で考えればいい」
「でも……」
 ダフニスは不安そうな表情でレオンハルトを見つめたままだ。レオンハルトは小さくため息をつき、瞳を閉じた。
「私の父も死にました。その死因は、あなたの目の前にいて聖騎士然としている、愚かで臆病な男です」
 ダフニスの瞳が驚愕のあまりに見開かれる。しばしの沈黙。だが、ダフニスは小さくため息混じりに笑うと、その指をレオンハルトの口に押し当てた。見れば、ダフニスの目には大粒の涙がいまにもこぼれ落ちそうであった。
「その先は……言ってはいけないと、貴殿がそう教えてくれたはずだ」
 ダフニスはマントの裾で顔をぬぐうと、それから毅然とした姿勢でレオンハルトに向き直り、意思を表明するかのように力強く頷いた。
「わたしは、今日からこの国の皇帝となる。悪しき時代に終止符を打ち、この国をよりよいものにしていくために。レオンハルト、貴殿に見守ってほしいんだ。わたしと、この国の行く末を」
 ダフニスの声は力強かった。生気に満ちあふれ、未来を担う新皇帝としてこれ以上ふさわしい者はいないというほどに。
 レオンハルトは突然膝を折り、ダフニスの足下に跪いた。そして、腰から下げていたエクスカリバーを抜いてダフニスに差し出すと、
「剣をお取りください。誓いましょう。この国とダフニス陛下を見守る守護剣士として」
 ダフニスは少し驚いたようだったが、抜き身のエクスカリバーを受け取ると、日の光に輝きを放つ伝説の聖剣をしばし感慨深げに眺めた。それから意を決したように唇を噛みしめると、跪くレオンハルトの肩にエクスカリバーの切っ先を優しく押し当てた。
「パラディン・レオンハルト。アートハルクの守護剣士として、ここに誓いの言葉を」
「私の剣と命、魂を、あなたとこの国に捧げることをここに誓う。蒼天我が上に落ちきたらぬ限り、聖なる御方と精霊と、救世主の御名において」
 即位式が始まることを知らせる鐘が鳴り響いていた。外の歓声はますます大きくなり、皇帝の入場を待ちわびているかのようだ。だが、ダフニスとレオンハルトは窓際でずっと、跪き跪かれる主従の象徴的な姿を保ったまま、長い長い間その姿勢を崩すことはなかった。






 アートハルク帝国の皇帝に即位した〈残虐王〉サーディックの長子、ダフニス・デラ・アートハルクは、後に守護剣士であったレオンハルトを摂政に立て、国事を行うこととなった。暗黒の時代の古き悪しき慣習を捨て、これまでの遅れを取り戻すかのように、アートハルクは中央諸世界連合に加盟し、列強に名を連ねることとなる。
 後にその容姿から〈銀嶺王〉と呼ばれたダフニス皇帝の政治的手腕は、諸外国からも高く評価され、アートハルクは見る間に先進国の仲間入りを果たすのだった。
 レオンハルトとガートルードはこのときよりずっとダフニスに仕えていたが、中央を騒がせたアートハルク戦争の真相と、最後に彼らの間になにがあったのかは、いまだに明らかにされていない。また、なぜいきなりレオンハルトがアートハルクにとどまることを決めたのかさえ、誰も知る者はいなかった。
 ただ、レオンハルトとガートルード、そしてダフニスの三人の間には確かな信頼と、傷ついた魂を持つ者同士だけが分かる、言葉のない深い絆が存在していたことだけは確かであったと、当時を知る数少ない人間たちは口を揃えていたという。

【番外編:魂の航海〜Amazing Grace〜 完】

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