Home > 小説『神々の黄昏』 > 番外編:聖騎士の暁 > Epilogue
反中央勢力活動をしていた兄を持つ花売りの少女に逆恨みされ、刺されたダノルは、レオンハルトの回復術法と応急手当で一命を取り留めた。だが、石畳の上に大輪の花のように広がる血の海で息絶えた彼女を見て、ダノルは声を上げて泣いた。いつまでも彼女の身体を抱きしめ、自分の罪を、戦争の愚かさを呪う悪口雑言をわめきながら。その怒りのはけ口をどうにも見つけられなかったダノルは、レオンハルトに言ったのだ。
俺は絶対に聖騎士になんかならない。あんたの顔なんて二度と見たくない──と。
その戦役の後、レオンハルトがダノルと会うことは一度もなかった。レオンハルトも戦役にかり出されることを嫌い、ほとんどの中央からの出動要請を断り続けてきたというのもあったが、アジェンタス騎士団領に帰ったダノルが剣士をやめてしまったからだろうと、レオンハルトはずっと思ってきた。
あれから四年。再び〈光都〉オレリア・ルアーノの聖救世使教会で相見えることになったダノルは、今日この日、聖騎士になっていた。もう二度と会うこともないだろうと思っていたのに、こんな形で巡り会うことになろうとは。レオンハルトは物思いにふけっていた自分を戒め、隣に並ぶダノルの顔を見つめた。
「俺さ、さっそくアジェンタス騎士団領への出向が決まっちゃったわけよ」
ダノルは肩をすくめ、おどけてそう言った。
「アジェンタス……か。転勤の手続きもいらないだろうし、古巣ということもあって勝手も分かっているだろう」
「あんなクソ田舎の騎士団に戻ったっていいことなさそうだけどな。アジェンタス騎士団の客員講師っつーか、そんな感じ。ついでにグレイン提督からは守護剣士にもお誘いいただいちゃってさ。さっき聖騎士団のおエラいさんから正式に通達を受けた」
「ほう、たいしたものだな。もちろん受けるつもりなのだろう?」
「さあね」
「どうしてだ。あれほど『最強の聖騎士』とやらになりたがっていたのに」
問われて、ダノルは困ったようにため息をついた。
「あんたがどこの国の守護剣士にならないってのと同じ理由だよ。あんたは自分が仕えるべき理想の君主を捜してる。そして俺は……」
ダノルは言葉をつぐみ、のびてきた前髪を掻きあげた。そこでため息をひとつつく。
「俺は、ずっとあんたの横に並んで戦いたいと思ってた。子どものころから憧れてた、伝説の聖騎士の隣でいっしょに戦うことが最終目標だったんだ。だから行きたくないんだよ。せっかく聖騎士になったんだからさ。だけど、俺はアジェンタスに戻んなきゃいけない。運命って皮肉なモンだよな。ふたつの夢が同時に叶う、なんて、そんなムシのいいことはないってことだよな」
ダノルは笑い、自虐的に鼻を鳴らした。
「自分の力でどうにもならないことってのはさ、ものすっごく腹が立つよな。腹が立つけど……でも、あきらめなきゃなんないっつーか、割り切らなきゃなんないことだってあるんだもんな。いつかのあんたの決断みたいにさ」
レオンハルトはダノルの言葉に軽く頷き、そうだな、と答えた。「いつかの決断」とダノルが言うのが、ディタ・ウリス戦役で自分がとった戦術であるのだと信じたかった。
「あんたがさっき何を考えてたか、当ててやろうか。四年前のディタ・ウリスのことだろ」
「ああ。そのとおりだ」
「俺さ、あんときめちゃくちゃガキだったから、あんたが何考えてるのかちっとも理解できなかった。俺、あんときあんたにさんざんひどいこと言ったと思うけど。でも、アジェンタスに戻ってから俺もいろいろ経験積んで、あんたの判断があのときは正しかったのだと理解できるようになったよ」
「そうか。だが、あれが未来永劫、どんなときでも正しいものであるとは私は思わない」
「言いたいことは分かるよ。中央の多国籍軍にしろ反中央勢力にしろ、どっちが正しいかなんてのは関係ないんだ」
ダノルはそう言ったあと、寂しそうに笑った。四年前に比べて笑い方が寂しそうに見えるのは、経験を積んで大人になったからだけではないようだとレオンハルトは思った。
「あの花売りの女の子のこと、覚えてる?」
「ああ」
「俺さ、彼女のこと本気で好きになりかけてた」
「ああ」
「彼女、お兄さんの活動資金のために身体売ってたんだよね。彼女が俺に近付いてきたのも、ある程度打算が働いてたのかなぁなんて思った」
「ダノル、お前は」
「いいんだ、最後まで聞いてよ。生活が貧しいから世直しをしたい。だけど資金がない。身体売ってでも人殺してでも、資金を集めて、それで世直しを企てる。でも絶対世の中がよくなるなんてこと、一握りの人間にできるわけがなくて、結局、人殺しの応酬とか、同じことの繰り返しばかり。俺、あのとき世の中すべてが憎くて、そんな馬鹿げた世の中を守るために剣士になるんだったら、もうやめちまおうと思った。だって、少なくとも彼女を救う方法はどこにもなかったんだから」
そう。お前の言うとおりだ。そう心の中で頷き、レオンハルトは目を閉じた。
神々が人間を救うなんてこともないし、人間が人間を救うなんてこともできはしない。かつて汎大陸戦争後、すべての人の平等と平和を願って中央諸世界連合を提案したが、いまその存在意義は一握りの人間の利権と、最低限の平和を維持することに成り果てている。この世に平等という言葉はなきに等しいのだとレオンハルトは思う。
「だけどさ。それでも自分ができることをやっていこうかなって。俺は自分の住んでる町や仲間たちのいるアジェンタスを守りたいと思う。それでいいのかな、なんて思うんだ」
そう言ったダノルの表情は、これまでにないほど清々しく見えた。ダノルは澄み渡った光都の空を見上げ、翡翠の大聖堂の梁から鳩が飛び立っていくのを眺めた。
「いつかお前に伝えようと思ったことがあるのだが」
レオンハルトがボソリと言ったので、ダノルは怪訝そうな顔をして振り向いた。
「花売りの少女が売っていた、あの花の名前……な」
「花の名前?」ダノルは頓狂な声を上げた。
「あ! ああ〜。そういえばあんた、言ってたよな。その花の名前がなんなのか気になるから調べておく、なんてさ」
あんたも物好きだよな、とダノルが笑うので、レオンハルトは照れ隠しにコホンと小さくせき払いをした。
「あれはディタ・ウリスの山地にしか咲かない、珍しい花だそうだ。しかも、旧世界《ロイギル》の時代には存在しなかった、汎大陸戦争後に生まれた新種らしい。名を『ウリス・ダノル』という」
「ウリス・ダノル……」
ポカンと口を開けて、反芻するダノルに、レオンハルトは辛抱強く説明を続けた。
「ウリスとは、ディタ・ウリスの地名と同じく、辺境の古い言葉で『希望』を意味するそうだ。お前の名前もそうだが、ダノルというのは」
「『希望の継承』……?」
そのとおり、とレオンハルトは頷き返してやった。ダノルはにっこりと笑ったが、直後、そのアイスブルーの瞳にあふれんばかりに涙がにじみ出ていた。
「は、はは、は。あんたもバカだな。こんなときにそんな花の名前の由来を持ち出してくるなんてさ」
それからダノルは顔を伏せ、あふれてくる涙を手の甲で拭った。
「あんたのこと、絶対忘れないからな。機会が巡ってきたら、俺は絶対あんたの元に戻っていって、あんたの隣で戦ってやる。そのときがくるまで、せいぜい腕が鈍んないように鍛錬しとけよ」
「ああ。お前が私の相棒になれるくらいのいっぱし聖騎士になったら、アジェンタスから呼び戻してやる。お前の相手をするのも悪くない」
涙を拭ったあとが残る手を差し出して、ダノルが笑った。レオンハルトはその手を取り、固く握り返してやる。そのまた上からダノルは片手を載せて、レオンハルトの手を両手で固く固く握りしめた。
アジェンタス騎士団領への出向が決まったダノルは、聖騎士としての経験を積むうちにめきめきと頭角をあらわし、一年後には出向解除、聖救世使教会の推薦により、次期聖騎士団長候補にまで名を連ねることとなった。だが、中央に戻った直後にレオンハルトの強い要望により、ロクラン地方とアジェンタス地方をカバーする守護剣士となり、伝説の聖騎士とダノルのふたりは常に一緒に任務を遂行する機会に恵まれた。
最強の二人組による活躍は、作戦中にダノルが戦死するまで続いた。ダノルには妻子があったが、聖騎士となってパラディン・ダノルという称号で呼ばれることになった彼の家庭事情については、レオンハルトと後にダノルの部下であり相棒でもあったパラディン・レイザーク以外知る者はいなかった。
【番外編:聖騎士の暁〜LOST DECADES〜 完】