Home > 小説『神々の黄昏』 > 第三章:死せる夢見の大地 > 第二十六話:託されるもの
〈ガーディアン〉とは、かつて旧世界《ロイギル》の時代に偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》や四大元素を守る従属生命体たちが、重要施設の警護や自身の安全を守るために配置していた人工生命体である。術法罠《トラップ》のように侵入者を受け身で待ち構えるものではなく、主の命に従い、積極的な戦闘によって侵入者を排除するように作られている。
〈土の一族〉族長ヨナスの屋敷を代々守っていた〈ガーディアン〉も、やはり数百年という時間の中でそうして侵入者を攻撃してきたものであり、真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》の訪問を闘争心をもって出迎えたのであったが、いまは瓦礫や木材を運ぶ労働者と化していた。
ヨナスの浅はかな行いによって崩れた武家屋敷の周りで、土のガーディアンが文句も言わずにひたすら整備に奔走している。瓦礫を持ち上げては移動し、折れた柱や瓦などを丁寧に拾い集め、ひとところに積み上げていく。その馬力は人間の労働者十数人に匹敵するほどで、テオドラキスの集落から派遣されてきた何人かの力のある者たちの瓦礫撤去作業はずいぶんと捗っていた。
武家屋敷のほとんどは吹き飛んでしまっていたが、ガーディアンの撤去作業のおかげで〈土の核〉へと通じる地下道への入口はすぐに姿を表した。そして先ほど、テオドラキスはセテを伴って地下へ降りていったのだった。
緑色の神聖文字が弧を描きながら輝き、光の奔流となって〈土の核〉を覆う巨大な円筒形をした金属製の扉に集中する。爆発音と衝撃波にも似た振動が地下道を伝い、先ほどまでこのあたりを蹂躙していた鋼鉄の竜のごとき咆哮をあげた。セテは目を射るような閃光に顔を伏せ、腕で目を覆うことをせねばならず、それが弱まってくるころにようやく目を開いた。いまだ緑色に輝く神聖文字を中空に漂わせながら立つ、小さなテオドラキスの背中があった。
「いかなる術者が〈アクセス〉しようとしても、解呪まで半年くらいは持ちこたえられるでしょう。サーシェスによる封印ほどの完成度ではありませんが……ね」
テオドラキスが小さくため息をつきながらそう言い、セテを振り返る。いったんサーシェスの力を借りてセテが封じた〈土の核〉であったが、さらにそれを強固にし、外からの接触を完全に遮断するための封印であった。テオドラキスの顔には、珍しく疲労が色濃く表れていた。
「テオドラキス、顔色が」
セテが声をかけると、テオドラキスは再び小さくため息をつき、彼を見やる。
「封印は精神力を多めに消費しますからね、少し休めば問題ありません。それよりあなただって」
セテはといえば氷嚢を包んだ手ぬぐいを額に当て、瓦礫の上に腰掛けている。封印の影響と力の逆流による頭痛がいまだセテを苛んでいた。
「俺は……大丈夫だよ。頭が痛いくらいで。それより……」
「サーシェスですか」
「いや、その……。うん、また意識を失って目を覚まさない」
「そうですか」
セテは歯切れの悪い答えを返したが、テオドラキスはさして気にかけない様子で再びセテを見つめた。セテはテオドラキスの真っ直ぐな視線から逃げたくなってうつむいた。疲労困憊しているいま、テオドラキスに混乱した自分の気持ちを見透かされたくなかった。
真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》アトラスとの対決、そして明らかになったアトラスとセテを繋ぐ、神のいたずらとでも言うべき運命の糸は、たいへん過酷なものだった。アトラスが愛したというピアージュの妹アルディス、そしてその妹が再会を待ち望んでいた姉ピアージュ──セテはそのピアージュを愛した。アトラスは彼女の妹を失い、だがいっぽうでその妹が愛した姉の命を奪った。なんと皮肉な運命であろうか。
そしてアトラスとの一騎討ちについてはもう思い出したくもない。剣で絶対に勝てないのは自分でもわかっていた。あのときは父ダノルを引き合いに出されて頭に血がのぼっていたのだが、それにしても無様な勝ちであったと思うし、だがしかし頭の片隅で、アトラスを殺さなくてよかったと思っている自分がいる。
ピアージュを殺し、アジェンタス総督府や故郷ヴァランタインを火の海にした張本人だ。復讐を望むのは当たり前のことである。そうは言っても、アトラスを殺して死んだ人々が生き返るわけでもない、むしろピアージュが異世《ことよ》でそれを望んでいないのでは、そんなどうしようもない堂々巡りに、脳が疲れ果ててしまっていた。
レイザークなら「甘い」と叱責するはずだし、実際レイザークはセテの行いを快く思っていないようだった。邪魔が入って取り逃がしたのももちろんあるのだが、あそこでアトラスを殺さずとも動きを封じる程度に仕留めておけば、今後のアートハルクの動きが鈍くなるのは明白だったのに、つまらない感傷で勝機をセテが逃してしまったことにイライラしている様子だ。それももっともなことである。
個人的な感情の問題ではない。これは、アートハルクと中央の力の均衡を左右する要素のひとつでもある。
「そんなこと言ったって、その流れの中で動いているのは人、感情を持ち個性に満ち溢れた人間ですからね」
テオドラキスがそう言ったので、セテは驚いて顔を上げた。また自分が思い悩んでいることを口に出して言ってしまっていたのかと思うのだったが、テオドラキスはあの作戦以外で、人の心の中に勝手に侵入してくるような無礼な真似はしない。
「それだけ顔に書いてあるということですよ。心を読まずともわかります」
テオドラキスがそう言ったので、セテは少しだけ微笑んで気にするなという仕草を返した。
「復讐だなんだと、簡単に人を殺せるような人間なんてそうそういませんよ。むしろあそこであなたがアトラスを殺していたら、怨嗟の応酬が続きます。あれでよかったんですよ」
「剣士に言う台詞じゃないよ。俺だって、さんざん人を斬ってきた」
「命のやりとりの場において、でしょう? あのときのアトラスのように、いまここで殺せと言われて平然と人を殺せるヤツなどいない。レイザークだってそんなことはしませんよ」
「そうかな」
セテは前髪をかきあげて空を仰いだ。澄んだ青空に、薄く細長い雲が流れていくのが見えた。
「テオドラキス、あんたってなんか、他の聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》とかなり違う感じがするんだけど」
「聖賢五大守護神だってそれぞれ個性ばらばらの人間の集まりで、志は同じでも考え方も生き方も全員違いますよ」
テオドラキスが意外そうにそう言った。
「うん、そうなんだけど。なんか、あんただけすごく達観してるっていうか。その昔、武術を教えてたってのもあるのかもしれないけど」
テオドラキスが若者たちに武術を、精神の鍛錬の基本として教えていたのは、先日雑談で知ったことであった。セテの言葉に、テオドラキスは少し吹き出した。
「達観……ねえ。それはどうでしょうか。単に人間が生きていくのにどのように考え、どのように行動するかをじっくり見て考察するのが好きっていうだけのオッサンですよ」
少年のような外見とは裏腹に、数百年生きる偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》だ。中身がオッサンかどうかはさておき、長く生きていれば達観してくるのも当然だとは思うが。
「あんたから見た聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》やサーシェスって、どんな印象だったの?」
「そんなに気になる?」
テオドラキスが笑ったので、セテはバツが悪そうに「うん、まあ」と頭をかいた。
「聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》だなんだってのは、あれは戦後のプロパガンダですよ。そんな団体名で組織されたわけでもない。混乱を乗り切るのに、英雄が必要だっただけのことです。人は自分以外のなにか、自分にできないことをやった人間を神聖視したいし、信じていたいし、それでいて妬み、羨む。そういうのに我々は辟易してたし、特にレオンハルトなんて人から持ち上げられるのが大嫌いでしたから」
「ごめん、別にそういうつもりじゃ」
「わかってますって」テオドラキスが微笑む。
「……レオンハルトは俺がガキのとき、俺に命を分けてくれた恩人なんだ。そして今度は俺が救世主《メシア》の片割れ〈青き若獅子〉ときた。それがどんな意味を持つのかわからないけど、聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》やサーシェスのこと、知っておきたいんだ」
絆で繋がっているだけでなにも知らないというのが歯がゆいのだ。サーシェスとそうした会話をするとはぐらかされてしまう。彼女にはあまり話したくない理由があるのかもしれないが、それ以外のことならテオドラキスに尋ねてもバチは当たらないと思っている。
「あなたがレオンハルトとサーシェスの理想的な半身なのだということは、私だって羨ましい」
「羨ましい? あんたが?」
セテは目を見開いてテオドラキスを見つめた。テオドラキスがにっこりと笑う。
「羨ましいですよ。自分が他人にどれだけ必要とされているか、それは大人になってから生きていく力を得るためにとても重要な意味がある。私は……そういうのにはとんと縁がありませんでしたから」
「あんただってあの集落でたくさんの人に必要とされている」
「それは心の結びつきとはまた別のことですよ。心を許せる仲間、恋人とか配偶者とか、兄弟でもいい、そういうのは私にはいません。人間的にカタワだと自分でも思っています」
「そんな言い方しなくても」
「イーシュ・ラミナってのはね、孤独なんですよ。もちろん仲間を得て幸せな人生を送る者も多いですが、長命であるがゆえに孤独になる。臆病にもなる。孤独に慣れてしまって、感情をうまく表せない者がほとんどなんですよ」
「そうやって、自分から避けてるのがよくないんじゃないかな、と俺は思うけど」
「少なくとも聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》は、〈仲間〉ではなかった、と申し上げておきましょう。これはおそらく、みな口をそろえて同じことを言うでしょうけどね」
これは光都の隠者、グウェンフィヴァハ改めヴィヴァーチェも似たようなことを言っていたはずだ。彼女はなぜ自分がサーシェスの仲間に引き入れられたかをいまだに疑問視しているし遠慮すら見えた。そして当のサーシェスですら、聖賢五大守護神の結束が固かったわけではないと言及している。
「でも、ヨナスはなんだかんだ言ってあんたとのやりとりを楽しんでそうだし。俺から見れば、仲いい友だちなんだなと」
「ヨナス?」
テオドラキスが一瞬驚いて声をあげた。
「そうですね……。ヨナスとは付き合いは長いですが……」
「友だち、じゃだめなの? 仲間とか運命共同体みたいなたいそうなことじゃなくて、友だち、それで十分だと思うけど」
「友だち……」
テオドラキスは言葉を噛み締めるようにそうつぶやいた。驚いたことに、達観しているオッサンは友だちという概念すら忘れてしまっていたと見える。
「友だちなんかいらないとか言わないでくれよ」
「そういうことはありませんが……。親しかった人たちが自分より先に亡くなっていく、そういうのにはいつまで経っても慣れなかったので、どうしても友だちでいることが辛くなるときもあります」
テオドラキスは少し寂しそうに笑った。
「うん、人が死ぬって、あんなに悲しくて辛いことは他にないと思うよ」
セテは少し髪をかきあげてまた空を見上げた。剣士にはいつも死が付きまとう。そして、アジェンタスでは自分が殺した人間も含め、大勢の人間の死が蔓延していた。ガラハド、スナイプス、騎士団の仲間たち、母親、そしてピアージュだ。
「犬や猫を飼ってる人がよく言うじゃん、自分よりもずっと早くに死んでしまう、でも、それがわかっているから一緒にいられるときに愛情を注いであげるんだってね。動物に対してと人間への思いはまた違うものだと思うけど、限られた時間の中で、その時間をその人たちと大切に過ごしたいと思うのは自然なことだし、たぶんそのほうがずっと幸せな考えの気がするな。でなきゃ、寂しいよ」
セテはそう言ってテオドラキスを見つめた。テオドラキスは少し驚いたような顔をしたのだったが、すぐに照れくさそうに微笑んだ。
「聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》も、そうした考えをみなが持っていたらまた違う関係になっていたのかもしれませんね」
テオドラキスもセテと同じように空を見上げた。
「思えば不思議な組織だったかもしれません。生まれも育ちも価値観も異なる五人が、ただ一点、サーシェスという女性との関係性という点においてのみつながっていた、横つながりのあまりない関係。学校や職場での人間関係のどれにも類似しない、極めて希薄な付き合いだったかと」
「それは……サーシェスをヒエラルキーの頂点とした一方通行的な関係ってこと?」
「ある意味ではそうかもしれませんね。我々を引き入れたのはサーシェスだったし、彼女は汎大陸戦争を集結させることに、たいへんな情熱を燃やしていた」
彼女は、それまで傍観していた自分をとても恥じているようだし、なにかしなくてはと思ったのだろう。とても正義感が強くて、居ても立ってもいられなかったのではと。
「不思議な女性でしたよ。義憤にかられて怒り行動する様はまるで戦女神のようでした。とても気性が激しくて見ていると危うい感じがする。かと思えば幼い少女のような寂しげな表情を見せたり、時に自分を激しく責め立てる。鮮烈な炎のような人だった。そうしたところに、レオンハルトもガートルードも我々も、惹かれていったのは確かなのですが。まったくと言っていいほど、自分のことは話したがりませんでしたから」
予測不能な行動をする気まぐれといえばそれまでだが、謎めいた存在だったのだろう。歴史上の人物が没後に神聖視されることはよくあるが、生きているときからどこか不思議な雰囲気をまとう人間もいる。
「レオンハルトは汎大陸戦争前は、没落寸前の貴族の長男、ガートルードはその妹で、戦争が始まってあわや戦火に巻き込まれるといったときにサーシェスに命を救ってもらったのだそうです」
「うん。聞いてる」
自分がレオンハルトに命を繋いでもらったことを知ったときから、レオンハルトの心の奥底にある何かを共有できたような気がした。いっぽうでサーシェスとは銀色の傷跡で繋がっているにも関わらず、彼女の心をはっきりと掴むことはできない。そうはいってもレオンハルトがサーシェスにたいへんな敬愛の念を抱いていたことが分かるだけで、彼が当時何を考えていたのかは、サーシェスが何を思っていたのか分からないのと同様で、その歯がゆさ、そしてわずかな嫉妬がセテの心を曇らせた。
「まだ私とサーシェスが出会ってまもなく、サーシェスがレオンハルトとガートルードを連れてきたすぐくらいの話です。聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》なる組織に発展することなど想像もつかなかった戦争初期の頃。当初レオンハルトはサーシェスをたいへん憎んでいたんです」
「憎んで?」
初耳である。レオンハルトがサーシェスと出会い、時を同じくして彼がサーシェスに心酔していったものだと誰もが思うはずである。
「サーシェスは、もちろんあの当時の、ですが、人を挑発するような言動をよく取っていたんです。レオンハルトは当時まだ若く、世間知らずなお坊ちゃん的なところもあったのですが、貴族生まれのレオンハルトにとっては聞き捨てならないような侮辱発言もあり、度し難いものがあったのでしょう。そうしたこともあってか、レオンハルトはサーシェスを激しく憎んでいたんです。ところが」
サーシェスの高潔な人物像が崩壊するような話ではある。
「あるときを境に、レオンハルトはサーシェスを強く信頼するようになった」
「あるとき?」
「レオンハルトが、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》の生体兵器であるエクスカリバーを手にしたときからです。あれは、〈土の一族〉で作られたもののなかでも特に実験的な機能を実装された特別な武器のひとつだった。その機能ゆえに絶大な攻撃力を誇るのですが、通常の人間にはおよそ持つことのかなわない代物でした」
「……生体エネルギーを消費する?」
「そのとおり。持つ者の生体エネルギーを吸い上げて攻撃力とする、文字どおり生きた武器だったんですよ」
光都オレリア・ルアーノの地下で、祭司長ハドリアヌスから聞いたことでもあった。レイザークによれば、そうした剣は他にあまりないような話であって、彼はずいぶんと薄気味悪く思ったようだった。
「エクスカリバーを持つ者には、強靭な精神力と並外れた体力が求められました。当時はまだ汎大陸戦争が本格化する前でしたが、地球側の攻撃は深刻な被害をもたらしていた。白兵戦も想定し、こちら側には戦える能力のある者が扱う殺傷力の高い武器・術法の開発を急ぐ理由があったんです。そして、サーシェスはそうした武器を自分が入手しておくべきと考えた。その剣を振るう役割を、サーシェスはレオンハルトに課したのです」
レオンハルトと、伝説の名剣エクスカリバーの邂逅である。セテは知らずに身を乗り出していた。
「正直、サーシェスがレオンハルトにそんな大役を任せようとしたとき、驚きました。当時のレオンハルトは、貴族にしてはそこそこの剣の使い手ではありましたが、術法の腕前は見られたものではなく、剣術とて実際の激しい戦闘に耐えうるようなものではない。剣でだって、レオンハルトはサーシェスにかないませんでしたよ」
「レオンハルトより強かったって?」
セテは素っ頓狂な声をあげた。周囲の人間たちが驚いてこちらを振り返る。
「そうですよ。レオンハルトに剣を教えたのは、ある意味サーシェスでもあるんです。だから、エクスカリバーのような超強力な武器を使いこなせるほどの器でないと私は思っていました」
「その口ぶりからすると……テオドラキス、あんたってレオンハルトより」
「レオンハルトなんか私から見れば子どものような年齢でしたよ」
テオドラキスがにっこり笑う。
「正義感だけじゃ何もできない。サーシェスは厳しい口調でレオンハルトを叱責したものです。そのときのレオンハルトの悔しそうな顔と言ったら」
「……テオドラキス、あんた楽しんでただろ」
「……分かります?」
テオドラキスの屈託のない笑顔に、セテは小さくため息をついた。
「でも、サーシェスの先見の明はたいしたものだと思いましたよ。いまにして思えば、レオンハルトに特につらくあたったのも、彼を奮起させるためだったのではと。サーシェスはまず、四大元素の一族のもとにレオンハルトを預け、そこで術法の特訓を受けさせたんです。厳しい修行だったと聞いています。しかしレオンハルトはそうした修行の中から、自分の戦い方を着実に編み出していた。彼が聖属性の攻撃術法を得意としたのは伝承でも語られる有名な話ではありますが、彼は人の祈りや思いが攻撃力になることを固く信じていた。そうした心の力こそ人が戦い続けられる力になりうるのだと、悪意を退けるのだと考えていたんでしょう。彼は見事に聖なる力を自分のものとし、伝説の王のごとく、何者にも引きぬくことのできなかった聖剣《エクスカリバー》を手にしたんです」
祈る力、願い続ける力──。レオンハルトが何を祈り、願ったのかは分からない。だが、その秘めた心の奥底にある熱い何かに心を動かされる。十年前に見たレオンハルトの力強い聖属性最上級術法の詠唱が、セテの脳裏に鮮やかに甦った。同時に湧き上がる嫉妬にも似た焦燥感に、セテはぐっと拳を握った。
「若い人はいつも、先人が高潔であり、天賦の才能を持っていたと思いがちです。まれにそうした人物もいるのですが、大成する人間は必ず、それに見合った努力をしているんですよ。レオンハルトとて例外ではない。エクスカリバーは自身の持ち主を選ぶ生体兵器です。エクスカリバーを手にしようとして命を落とした若いイーシュ・ラミナは大勢います。レオンハルトがそれを自分のものとしたのは、もしかしたらたいへんな奇跡だったのかもしれません」
「それは……もともとの才能と、もちろん運だってある」
セテは少し苛立ちを含んだ口調でそう返した。
「セテ、あなたはまだ若い。焦る気持ちもあるでしょう。ただ言えることは、若いうちはとにかく何でも経験を積むことです。経験は才能に優ることがあるのだと、私は思っています」
「みんなそう言うんだ。でも経験を積むにも時間が必要だ。時間と経験は同じことなんだ。時間が早く過ぎることがないなら、経験なんてそう簡単に積めるもんじゃない」
「なんでも先人と同じようにすればいいと思ってるから間違うんですよ。人は人の人生が、自分には自分の生き方があると認識しなければ」
「そう……かな……。それが分かるようになるには、まだまだ時間が必要な気がするよ」
「そう、時間はかかるでしょうね。みんなそうやって時間を費やしていろいろなことを経験しているんです。生き急いでいいことなんてありませんよ」
テオドラキスはセテの肩をポンポンと軽く手のひらで叩いて激励してやる。セテは少し表情を和らげた。
「あんたとサーシェスはずいぶん古いつきあいみたいだし、レオンハルトが加わってからの聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》はなんとなく分かったよ。でも他のメンツは? ガートルードやグウェンフィヴァハ、それからディウルナハ。特にこいつは今まで誰からも人となりを聞いたことがないんだけど」
食い下がるセテに、テオドラキスは特に面倒くさそうにするわけでもなく頷いた。セテにしてみれば、生き証人であるテオドラキスからこんな生々しい話を聞けるのは、またとない好機である。
「ガートルードは、彼女の持つ癒しの術法がたいへん重宝されたんですよ。もともとは彼女を中心とした大掛かりな救護団を結成する予定だったんです。実際に大戦終結後は彼女も救護活動で各地を奔走しています。そして戦闘においては彼女の鉄壁の防御と回復の術法は重要でした。しかし、グウェンフィヴァハ同様にあまり自分を表に出さない控えめな性格でしたから」
「そう、その控えめな性格が、そんなに変わっちゃうのかなと思って。グウェンフィヴァハの場合は、ヴィヴァーチェと名前を変えてでも自分を表に出したくない感じだったし」
「決死の覚悟や決意をすることで、人は変わることがあるのかもしれません。私たち偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》は長命であるがゆえに人格《アヴァターラ》をいくつも分裂させてしまい、暴走することもままありますが、ガートルードに決意をさせた何かが、ダフニス皇帝時代のアートハルクにあったとも考えられますよね」
「……それにレオンハルトも関係している……と」
「おそらく」
セテはため息をついた。彼がエクスカリバーとともに仮死状態にあったことは大きな謎のひとつでもある。その鍵を握る当のレオンハルトは光都で意識不明のはずだが、昨日見た彼は幻なのだろうか。
「グウェンフィヴァハは未来を予知する預言者と語られていますが、実は非常に高度な予測演算処理が得意なのです。高精度の弾道計算ができると言うと分かりやすいかもしれません。また探知能力にも優れており、サーシェスは彼女に戦闘区域全体の動きを見渡し、判断する役割を与えたんです。さらに、彼女には術法を複合的に集結させ増幅させる力があり、サーシェスは彼女の能力を用いて戦闘を有利に進めました」
「ガートルードとグウェンフィヴァハが後衛で戦闘を支えていた。理想的な陣形だよなぁ」
「そうですね。私もどちらかといえば攻撃より補佐的な役割が大きいのですが、それでも彼女らの支えは非常に心強かったですよ。私は〈気〉を操りますから、直接攻撃というよりは人の心に働きかけるのが得意なんです」
「なんとなく言いたいことは分かるけど、つまり」
「そのままです。人心を操作する。強い〈気〉を送ることで恐怖にかられることもあれば戦意高揚することもある。心だけで人を殺すことだってできますからね」
セテは内心、このあどけない笑顔を見せる少年の姿をしたガーディアンズのひとりが、自分の敵だったらと空恐ろしく感じるのだった。
「最後のディウルナハは……確かにあまり語られることは多くはありませんね。彼はかなり終盤になって加わったひとりです。出自は不明ですが、サーシェスが彼を迎え入れた」
その口ぶりから、セテはテオドラキスがあまりディウルナハについて多くは語らないだろうと思った。
「彼が氷の魔導師と伝えられるのはもっともなことでした。フレイムタイラントが暗黒の火の属性を持っていたため、ガートルードの水属性のように正反対の属性が不可欠だった。ただ氷というのは比喩で……」
テオドラキスはそこでいったん区切り、少し言葉を選ぶような仕草を見せた。
「なんというか……冷徹というか……そういう意味合いが強かったのだと思います」
「ずいぶん嫌われたものだな」
「そういうわけではありません。非常に強大な術法をなんなく操る、たいへん優秀な術者でした。彼の振るう水氷系の攻撃術法はたいそう重宝しました。しかし、彼はもともと無属性の術法を得意としていたので、その術法の威力を見た人間が、冷徹で氷のような魔術師と感じたのかもしれません」
「無属性?」
「そう、サーシェスと同じ、すべての属性を含みながらどの属性にも属さない強大な力を振るう、すさまじい能力者だった」
元来、術法は四大元素に割り振られた属性と、それぞれの表裏にある聖属性と暗黒属性の合計八種類に大別される。伝承では、ただひとり救世主《メシア》だけがそれらすべてを扱うばかりでなく、それらに属さない特殊な術法、いわば無属性ともいうべき力を振るうことができたと言われているが、もうひとり、救世主と同じような力を持つ術者がいたとは。
「なんでそんなすごいヤツのことが、まったく伝わってないんだ?」
救世主に通じる力を持つ能力者ならば、大戦終結後は誰もが放っておかなかっただろう。
「彼もまた、人からもてはやされるのを嫌った人間のひとりでしたから。それに汎大陸戦争終結後、彼はすぐに姿を消してしまった。私たちは最後まで行動を共にしていたので、死んだわけではないのは明白ですが、いまどこでなにをしているのか」
「なんだか控えめな人間ばかりだったんだな、聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》って」
「控えめというのは彼に当てはまったかどうか……」
珍しくさっきからテオドラキスが言葉を選んでいる。
「彼はよく、作戦や考え方の相違でレオンハルトと衝突することが多かったんです。実際にディウルナハには統率力がありました。またレオンハルトが理想主義ならば、彼はずっと現実主義的なところがあり、彼の提示する作戦に基づいて友軍、ロクラン初代国王となったデミル・ロクラン将軍が当時率いた連合軍が行動し、勝利をあげることも多かったんです。ふたりは反目することも多かったのですが、レオンハルトとディウルナハは違った角度で同じものを見ていたのだと私は思っています。戦後の混乱の鎮圧の際、レオンハルトの隣にディウルナハがいれば、いままた違った未来が見られたのかもしれませんね」
意図せず祭り上げられたレオンハルトと、語られることのないディウルナハというふたりの男。いまもどこかで、ディウルナハはレオンハルトのように世界の混乱を鎮圧すべく密かに奔走しているのだろうか。
「さて、と。では本題に入りましょうか」
テオドラキスはそう言うと、地上へ通じる通路を見やる。
「ヨナス。こちらへいらっしゃい」
声の先には、術法封じの首輪をつけられて殊勝にしているヨナスの姿があったが、それは見かけだけのようで、彼はテオドラキスに呼ばれてあまり愉快そうな顔はしなかった。
「セテ、あなたの剣をヨナスに」
テオドラキスの意図はわからなかったが、セテは言われるままに腰の飛影《とびかげ》をヨナスに差し出した。受け取ったヨナスは、飛影の美しい鞘を珍しく愛おしげな様子でなで、それから鞘を引きぬいた。土の核から漏れてくる緑色の光を受け、鈍く妖しい光を放つ飛影の刀身が姿を表した。
「それをどうするつもりだ」
セテが不安そうに尋ねる。これまでのヨナスの言動からすると嫌な予感しかないのは当然である。
「セテ、あなたのこれからの旅路はより過酷なものになるでしょう。私の索敵にもかからない、強力な力を持った軍勢がサーシェスを狙っている。不安定なあなたの術法を制御する術はいまのところありませんが、あなたを防御するものをできる限り強化しておく必要があります」
「どういう……ことだ……?」
セテの困惑した表情を見て、ヨナスが愉快そうに口元を歪めた。
「言っただろ。この剣は俺の親父の遺作で、昔、ダノルという男に譲ったってな。爺様は旧世界《ロイギル》の時代、ネオ・トーキョーに住んでいてな。大昔はニホン地区とか言ったか。その日本に大きな影響を受けた爺様がよく〈日本刀〉と呼ばれる優れた剣を作っていたんだが、それを引き継いだ親父もまた無頼の日本好きで、あるとき三本の剣を作った。そのうちの一本がこの飛影《とびかげ》だ。〈飛影〉〈不知火《しらぬい》〉〈蒼月《そうげつ》〉という。俺にはなんのことかさっぱりわからんのだが、なんでもニンジャをモチーフにしたとかなんとか言ってたか」
「に、ニンジャ……? って?」
「俺も知らん。特使みたいなもんじゃないのか?」
そう言うと、ヨナスは背に背負っていた長く大きなカバンをおろし、ジッパーを開けてなにやらゴソゴソとやり始めた。出てきたのは、飛影より少し短い、やはり刀身の細い飛影によく似た剣と、さらに長さを半分にした、ナイフよりは少し長めの剣の二本。
「こっちの短いのが〈不知火〉、接近戦で至近距離から相手の急所を狙うことを想定した短刀だ。で、こっちが〈蒼月〉、〈飛影〉よりは少し短いが、脇差といって太刀がなんらかの理由で使えなくなったときの予備の剣だそうだ。そしてお前の持ってる〈飛影〉な。これらはすべて持つ者の精神力を研ぎ澄ませる能力がある。お前はちょっと落ち着きが足りないようだが、飛影の刃を全部取っ替えちまったから余計頭がまわらんのだろうな。馬鹿が。土の一族の業物を、腕の悪いぼったくり業者に触らせるからこんなことになるんだ」
セテはなんのことかいまだに理解できず、ポカンと口を開けたままだ。テオドラキスが笑う。
「飛影はヨナスに強化措置を施してもらいます。その二本も持っていなさい、セテ」
セテはヨナスから不知火と蒼月を受け取るが、目はヨナスの持つ飛影を見つめたままであった。
「俺の腕は確かだから安心しな。親父に負けないくらいの業物として復活させてやるよ。かつて〈土の一族〉は狂戦士《ベルセルク》を生み出すほどの戦闘一族だった。剣に命を吹き込むほどの技術力と研ぎ澄まされた職人の魂が、どこかで狂ったのかもしれんな。へんてこな薬で頭がイカレちまうようなことまでしてベルセルクを作ろうとしたのは確かに過ちだったかもしれない。でもまぁ、そりゃ過去の話、ヨナス様の腕には関係ないこった」
そう言ってヨナスは刀鍛冶の部屋に引っ込んでいった。セテはまだ不安そうな表情でヨナスの消えた部屋を見つめていたが、
「セテ、今度は私からです」
テオドラキスにそう声をかけられ、セテは振り返った。
「ヨナスなら大丈夫ですよ。さんざん悪態をついてアートハルクに行くだのなんだの騒いでいましたが、飛影を打ち直せるって知ったとたんに大喜びしていましたから」
「はあ……」
齢八十を超えていてそれか、と、セテですらため息が出る。
「もっと時間があれば術法を制御するなんかしらの心がけを教えることができたんでしょうが……最後に気休めですが術法の極意の、ほんの入口の部分だけお伝えしておきましょう。さ、こちらへ」
テオドラキスは手を差し出した。セテはその手のひらをじっと見つめた。
「どういうことだよ……」
セテは顔を上げ、テオドラキスの目を睨むように見つめた。テオドラキスの表情は、これまでにないほど優しく穏やかに見えた。
「急にどうしたってんだ。テオドラキス、あんたなに考えてんだ!?」
わずかな衣料品や寝具、携行食や水など、一行の荷物を取りまとめて馬車の荷台や馬に括りつけたアスターシャは、いったんここでひと息入れることにした。レイザークはヨナスとサーシェス、〈土の核〉の奪取にやってくるであろうアートハルクの軍勢を警戒し、テオドラキスの願いもあって集落の人間から戦闘要員を選び、周囲の警護にあたっている。アラナはジョーイとともに、別の港から出港する船の手配に行っている。もちろん行き先はジョーイの故郷〈海の民〉の地である。
セテには、セテにだけは知らせていないことであった。
ベゼルが予備の武器などを入れた大きな箱を引きずって歩いたりと忙しなく動き回っているが、そんななかにあってもいまだサーシェスはベッドで眠りについたまま目を覚ます気配はない。昨日、籠絡されそうになったところで間一髪、レイザークやセテが間に合って難を逃れたが、それ以来、再びサーシェスは意識を失っている。
幼女の姿になってからずっとこんな状態である。意識があり、まともに会話できたのは光都を出てすぐあたり。話したいこともあったし、聞きたいこともあった。だが、彼女が救世主《メシア》であるという事実が、アスターシャからサーシェスをずっと遠いものにしてしまっていた。別人なのだ。いまのサーシェスと、ロクランの頃にアスターシャと一緒にいたサーシェスは。
意識のないサーシェスは、幼いながらもたいへん整った顔立ちをしている。眉間に皺の出るようなこともなく、眠り続ける彼女はいたって平穏な表情をしていた。
──本当に、お伽話のお姫様のようだ。私なんかよりもずっと。
アスターシャはそうつぶやくと小さくため息をつき、荷物の山に視線を戻した。
「……アスターシャ……」
蚊の鳴くような声がしたのでアスターシャは振り返る。わずかだが、サーシェスの瞳が開き、天井を見つめているようだった。
「サーシェス! 気がついた!?」
サーシェスの傍らに駆け寄り、その小さな額にかかった髪をかきあげてやる。視点がうまく定まらないのか、サーシェスの瞳は眩しそうに、だが天井をまっすぐに見据え、光に慣れないためかアスターシャを見ることはできないようだった。
「……妬ましい? サーシェスが?」
アスターシャは我が耳を疑った。紛れもなく、サーシェスの口から、サーシェスの声で、そう聞こえたのだ。
「疎ましくも思っている。こんなたいへんな時期にずっと意識がないままで、ずるいって」
「……なに……言ってるの……?」
アスターシャはわずかに恐怖を感じた。心の中に沈んでいた澱みが浮き上がり、あたかも水面に広がって清水を汚染していくようなそんな気持ちになったのだ。次の瞬間、サーシェスの緑色の瞳がアスターシャを捉えていた。アスターシャの身体は、電流を受けたように大きく震えた。
「フライスに愛され、セテに愛され、みんなから大切に思われているのが妬ましい。自分が愛した男が、自分ではなく、サーシェスになびくのが悔しい。そう思っている」
「……やめて……」
「そう、同性だからこそ許せないことだってある。素直に言えばいい。自分が誰にも愛されないのはサーシェスがいるからだって」
「やめてサーシェス!!!」
アスターシャの金切り声がしたので、驚いたベゼルがすっ飛んできた。アスターシャが両耳を塞いで青い顔で震えているのを見て、ベゼルは最初こそ戸惑ったのだったが、意を決してアスターシャの肩を揺すった。二、三度揺すってようやくアスターシャは我に返ったようだった。
「なに、どうしたのアスターシャ。サーシェスがどうしたって?」
アスターシャはサーシェスを指さすのだが、ベゼルはというと要領の得ない顔をしてこちらを向いている。無神経なベゼルの態度に少しだけ腹が立ったアスターシャが勇気を振り絞ってサーシェスを見やる。サーシェスは──あの悪意のあふれる瞳を向けた、サーシェスならざる者のようだった幼女は──これまでと変わらず静かにベッドに横たわっていた。幻覚だったのか。いろいろな出来事に翻弄され、疲労困憊した結果、見た白昼夢のようなものだったのか。
それにしてもなんて悪趣味な。
「ごめん……。ちょっと外の空気、吸ってくる」
悪意の塊が口から出てきそうで、吐き気がする。どす黒い気持ち、心の澱み。親友に対して、そんなことを少しでも思っていたなんて。
アスターシャはベゼルの脇をすり抜け、部屋を飛び出して行った。