Home > 小説『神々の黄昏』 > 第三章:死せる夢見の大地 > 第二十五話:青き獅子と赤き竜 後編
すさまじい空気の奔流だった。セテはアスターシャの頭をかばうようにして胸に抱え、身をかがめていたが、封印がはじけた衝撃で吹き飛ばされ、壁に激突した。したたかに背中を打ち、胃がせり上がるような吐き気に息もできないセテだったが、間髪入れずに再度衝撃を受けてうめく。アトラスが吹き飛ばされ、セテの体に激突したのだった。
「くっそ、いてえ! どけよ!」
「黙ってろ!」
アトラスに一喝され、セテは体を起こそうとしたのだったがそのとき、無数の岩がつぶてのように襲いかかる。
「ひええっ!」
セテは再びアスターシャの頭を抱えてかばい、アトラスに押しつぶされながらも身をよじった。固い衝突音とともに衝撃波が伝わるが、セテがうっすらと目を開ければ、アトラスが片手を差し出し、物理障壁を構築しているのが見えた。アトラスの物理障壁の前に岩ははじき返され、彼らの障壁の周りに転がっていく。障壁内とはいえアトラスの顔には汗が浮かんでおり、激しい衝撃に精神力で耐えているのは一目瞭然であった。
「……あんた術法使えるのか?」
「お前は物理障壁も構築できんのか。お粗末な剣士だな」
鼻で笑われ、またしてもセテの顔が怒りと羞恥で真っ赤になるのだが、アトラスのほうはといえばそんなセテの様子にかまっていられないようで、額に汗を浮かべたまま障壁を維持することに専念していた。
「状況がよく分からないんだけど、なんであんたにかばわれなきゃいけないわけ?」
セテはできるだけ陰険にそう尋ねたつもりだったが、アトラスはそれすらも鼻で笑う。
「俺の着地点にお前たちがいたから行きがかり上そうなっただけで、別にお前をかばっているわけじゃない」
「……あっそ」
セテは肩をすくめて吐き捨てるようにそう返してみせるしかなかった。
「いやなら出てくか?」
そう言われ、セテはぐっと唇をかんだ。
「それよりどういうことなのか説明しなさいよ!」
アスターシャがアトラスに強い口調で食ってかかる。アトラスは面倒くさそうに軽く舌打ちをし、
「見たままだ。〈土の核〉の封印が解かれて力が暴発してる。もうすぐ本体が顔を出すだろうよ」
「はぁ!?」
セテとアスターシャは同時に声をあげたのだったが。
「おいアトラス、そんな雑魚ほうっておけよ、弱っちいんだからすぐ死ぬさ」
生意気な子どもの声が聞こえたので、セテとアスターシャは声の主を睨みつけた。土の力が渦を巻くその中心、台風の目のようなものなのだろうか、障壁も構築せずにたたずむ黒髪の少年がひとり。目鼻立ちのくっきりした顔に、少年らしくない残虐な笑みを浮かべた口元、とがった耳が特徴の、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》にも似た姿がそこにあった。
「なんだあのクソガキ」
セテが悪態をつくと、少年は不敵に笑った。
「年長者に対する礼儀がなってないな。俺より八十歳はガキのくせに」
「は、八十……!?」
「俺が〈土の一族〉族長ヨナスだ。いま〈土の核〉の封印を完全に解いてやるから、死ぬ前に命乞いでもしながらヨナス様って呼べよクソガキ!」
ヨナスと自己紹介した少年はゲラゲラ笑いながらそう言い、イーシュ・ラミナの法印を結ぶような仕草をしてから両腕を頭の上に差し出した。それを合図に背後にあった魔法陣が強烈な光を放ち、さらに突風が吹き出した。その衝撃波は障壁の内部の空気を揺らし、アスターシャを抱えたままセテの体はアトラスの構築していた物理障壁から引き離されてしまう。
少年の背後では、岩石でできた無数の触手のようなものが蠢いている。それらは最初、身もだえるようにして滅茶苦茶に暴れていたが、次第に形が整っていき、蛇が鎌首をもたげるような姿に変わっていく。
「蛇……いや、ありゃあ……」
セテがうめいた。硬質の鉱物で体を覆われた首長竜であった。しかも、首が根元から複数、少なくとも現時点では六本は下らない。凶悪な面構えの竜が首をもたげ、空に向かって複数の咆吼を轟かせたのであった。
「セテ!」
すぐ後ろにテオドラキスが転移してきていた。ヨナスが構築したらしい術法罠《トラップ》の解除に手間取ったと見えて、テオドラキスは珍しく不機嫌そうであった。その後ろにレイザークとアラナも転移してきており、剣を握り、いつでもそれに術法を載せて戦闘に入れる体勢で蠢く化け物を睨みつけている。
一同の前では化け物がヨナスの背後で彼に傅くように待機しており、ヨナスのひと声さえあればいつでも目の前の人間たちを吹き飛ばせると言わんばかりに巨大な口を開けてうなり声をあげた。満足そうに口元を歪ませ、化け物を手なずけることに成功した少年が一行を見つめている。
「来たな。テオドラキス」
少年は小馬鹿にするように顎を付き出した。
「テオドラキス。あのヨナスってやつが封印を解いたらしい」
「そんなことだろうと思いました。波動の乱れと空間の歪みが尋常ではない。わざわざ術者だけ通れないような小賢しい罠まで仕掛けて。たいした時間稼ぎにもならなかったようですが」
そう言ってテオドラキスは厳しい表情で、化け物を従えるヨナスを睨みつけた。一瞬ひるむような表情をヨナスが見せるのだったが、すぐに彼は胸を張り、
「うるせえテオドラキス! お前のお小言はもう飽き飽きなんだよ! 俺は俺の好きなようにやらせてもらうからな!」
「ヨナス。あなたのお仕置きは封印が済んでからです」
「お仕置きだぁ!? いつまでも子ども扱いしやがって。お前のそういうところが昔っから気に食わないんだよ」
「気に入る気に入らないは関係ありません。その青っちょろい尻をそこの化物に食われたくないならおとなしくなさい」
「……なんなの、この子たちの会話。まるっきり兄弟げんかじゃない」
アスターシャがセテの傍らで呆れたように顔をしかめてみせた。
「そら! 土の洗礼でも受けやがれ!!」
ヨナスが吼え、鋼鉄の首長竜が天を仰いだ。術法発動よりももっと反応の素早い、原始的な波動が空気を震わせる。
テオドラキスは素早く両手を差し出し、魔法障壁と物理障壁の両方を構築した。化物の吐き出す土の力は、土石流のような荒ぶる奔流となって周囲の土砂や瓦礫を巻き上げ、それらを巻き込んで一行に襲いかかった。迫り来る土の力と衝突した魔法障壁が凄まじい唸りをあげて火花を散らし、巻き上げられた土塊や建物の一部が物理障壁に激突して同様に火花を散らす。その脇で、アラナとレイザークは時を同じくして術法を高速言語で詠唱し、剣に載せるやいなや力いっぱい薙ぎ払った。
ふたりの術法は絡み合いながら首長竜に突進した。そして化物のすぐ手前で上下二手に枝分かれすると、上部の閃光が化物を、下部の閃光がその足元に立つヨナスを目指した。しかし、術法はヨナスと土の化物に届く前に無効化され、霧のごとく消え失せたのだった。
「絶対魔法防御、当然実装してますよね」
テオドラキスが気の抜けたような声でそう言いながら肩をすくめた。
「当たり前だろバカだな。お前らの先祖があちこちいじり倒してこんな化け物を作りやがったってのに」
ヨナスの憎まれ口が轟音の中でもはっきり響き渡る。鋼鉄の化け物と同調《シンクロ》しているため、化け物の口から発せられるように聞こえるのである。その声と同時に、先ほどから吹き飛ばされ続けて瓦礫にまみれた空間が波を割るかのように左右二手に分かれ、中央に道が開ける。首長竜を背にしたヨナスがゆっくりと歩みを進めるところだった。ヨナスが歩くのにあわせて身を引くように、瓦礫が音をきしませて退いていく。
「さあて、どうしてやろうかな。殺しはしないよ。お前にゃ代々世話になってきた恩義もある。だけど、邪魔するなら容赦はしない」
「容赦しないのはこちらも同じです。あなたごときが四大元素の力を全解放できると思ってるのですか?」
テオドラキスの台詞に、ヨナスの顔が瞬時に怒りに染まる。
「その見下したような態度、口調、なにもかもが気に入らねえんだよ! 偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》がそんなにエライのかよ! 聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》がそんなに強いのかよ!」
「立場や力の話をしているわけではありません。長時間、そんな化け物と同調《シンクロ》していれば、あなたの精神が」
「うるせえ!! 俺に指図するな!!」
ヨナスは同調《シンクロ》した化け物を通じて術法を発動しようと腕を振り上げた。だが、その腕は彼の背後から何者かに掴まれていた。アトラスであった。
「なにしやがる」
「〈土の核〉を封印しろ。今すぐにだ」
「ふん、世界をひっくり返したいんじゃなかったのか。今さらおじけづいたのか」
「おじけづいているのはお前のほうだろう」
アトラスは剣を抜き、ヨナスの顎の下すぐに刃を当てた。霊子力の炎が軽く噴き上がり、ヨナスの顔を縁取る黒髪を少し焦がした。
「聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》への嫉妬、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》への羨望、自身の能力への焦り、そんなところか」
アトラスの冷淡な言葉にヨナスの顔がますます険しくなるが、アトラスがそれを気に掛けることはない。
「劣等感に凝り固まった子どもっぽい反抗に、付き合っていられるほど我々アートハルクも暇ではない。封印を再構築してもらおう。さもなくばこの剣の露となるまでだ」
アトラスが剣を握る腕に力をこめた。再び霊子力の炎が噴き上がる。だが。
「……お前もマヌケなヤツだな、アトラス」
恐怖に震えているのかと思いきや、ヨナスは肩を震わせながら笑いをこらえ、つぶやくようにそう言った。
「俺たち〈土の一族〉は大地を操る民、その大地から生まれた魔剣ごときに、長である俺がやられるとでも?」
アトラスとヨナスの気力のぶつかり合いに反応してか、魔剣の炎が唸るように燃え盛った。アトラスの表情がわずかに歪む。見れば、ヨナスのもう一方の腕は魔剣を握るアトラスの腕を掴んでいた。
「〈土の一族〉ヨナスの名において命ずる。レーヴァテインよ、我が力となりて敵を殲滅せよ!!」
ヨナスの叫び声とともにアトラスの腕が跳ね上がった。その切っ先は炎の弧を描いてアトラスの首元めがけて唸る。一瞬のことであった。
間一髪、アトラスは上体をそらして己の剣をかわすことに成功した。そのままアトラスは身を翻して受け身の体勢で地面を叩き、ヨナスからの間合いを取る。だが詰襟の喉元は切り裂かれ、首筋には皮一枚割かれた傷からわずかに血が滴り落ちている。
「ふん、さすがに反応いいな。でも得物を手放すのは剣士にとって不覚では?」
ヨナスが鼻を鳴らした。魔剣は彼らのはるか後方に転がり落ちている。アトラスはさして表情も変えず、だが首筋を流れる血を手の甲で拭いながら言った。
「得物へのこだわりは無能の言い訳だ」
「実に惜しい男だな。だが俺に剣を向けたことは後悔させてやるよ」
ヨナスは手を振り上げ、そして勢いよく振り下ろした。〈土の核〉によって増幅された力が迸り、アトラスの足元をすくう。だが持ち前の反射速度でアトラスはそれを器用に避ける。その着地点をヨナスの術法が襲うのだが、それもアトラスはなんなく避けた。しかしながら防御にも使える自分の剣を手放したことは、アトラスにとって多少は不利な状況のようであった。
ヨナスとアトラスの様子を傍観しながら、テオドラキスは後ろにいるセテたちを振り返る。そして小声で、
「ここは狭くて身動きが取りづらい。今のうちにいったん外に転移します。つかまって」
そう言い、テオドラキスは小さな手をみなに差し出した。アスターシャ、レイザーク、アラナはそれに自分の手を重ねた。
セテはというとアトラスがわずかに苦戦しているその様を見つめていた。アトラスはヨナスの攻撃を跳ねまわりながらも回避しているのだが、ふとそこでアトラスと目が合ったのだった。
ほんの一瞬のことではあった。もちろん、アトラスにその気があったかどうかは確かめる術もない。しかし、セテはたまらない気持ちになったのだった。置いて行かれ見殺しにされる人間の、覚悟を決めたような瞳の色がわずかに自分を叱責しているような気持ちに。
「テオドラキス、あいつを……」
うなされるような声でセテはそう言った。テオドラキスが首を傾げる。
「あいつも引き上げてやってくれ」
セテの申し入れに、テオドラキスは目を丸くし、さらにアスターシャが割って入った。
「なに言ってんの!? あいつは敵でしょ!? それに」
セテの、アジェンタス騎士団領の仇でもある。アスターシャがそう言おうとしたのだったが、
「あいつはさっき俺たちをかばってくれたんだぞ! そりゃ行きがかり上だけど。それに、あいつといま戦闘状態にあるわけじゃない」
セテの言い分にレイザークが小さく舌打ちをするのが聞こえたが、セテはそれを無視した。
「来い!! アトラス!!」
セテの叫びに、アトラスは視線と身体をわずかにこちらに向けた。そして不敵にニヤリと笑う。絶妙な間であった。ヨナスの気がそれたその一瞬にアトラスは大地を蹴り、機転を利かせたテオドラキスの転移の術法が発動するその直前に、セテは腕を差し出した。腕を掴んだセテに巻き込まれ、アトラスの身体は一行とともに掻き消えたのだった。
武家屋敷の外に面々の体が転移完了する。アトラスは転移に慣れているのか涼しい顔をしているのだが、レイザークやセテ、それにアスターシャは急激な空間転移に伴う瞬発的な吐き気に顔を歪ませていた。
「礼を言う。聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》のテオドラキス」
アトラスは姿勢を正し、テオドラキスに向き合うと落ち着いた様子でそう言った。生来の軍人気質というべきか、律儀な男なのだろう。「ヨナスの先客はあなたでしたか、真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》。ガートルードの腹心のひとりとは聞いていましたが、〈土の一族〉との提携でもお考えで?」
「想像に任せる」
「で、あなたがヨナスに〈土の核〉の封印を解呪させたのですか?」
「火焔帝は〈土の一族〉を引き入れることしか望んでいない」
「なるほど。あなたにとってもガートルードにとっても、いま〈土の核〉の封印が解かれることは都合のよいことではないでしょう。まずはあの化け物を封印することが先決だと思いますが、ここはひとつ共同戦線というのはいかがでしょう」
アトラスが眉をわずかにつり上げた。
「俺がそれを快諾するとでも?」
「するでしょうとも。あなた方は〈風の核〉暴走の件でその危険性を十分理解されている」
テオドラキスが不敵に笑い返したので、アトラスは鼻を鳴らしてみせた。
「よかろう。先ほどの借りは返す」
「あなたのような義理堅い剣士が前線で活躍しているなら、多少は希望が持てますね。我々はアートハルクが何を考えているのか分からない。話ができないなら相互理解は難しい」
「おしゃべりをしに来たわけでもあるまい。あの子どものことだ。いまごろ……」
アトラスがそう言いかけたときだった。凄まじい轟音が辺りに響き渡る。獲物を取り逃がしたヨナスの怒りが、〈土の核〉と完全に同期したことで膨れ上がったのだった。美しい武家屋敷の屋根が吹き飛び、天を貫かんとする光の柱が噴きだして空を禍々しく照らしていた。
「歴史的価値の高い一族代々の屋敷を吹き飛ばすなんて罰当たりが! もう容赦はしません!」
テオドラキスが厳しい表情でそう言い、両腕を中空に掲げて大きな円を描いた。魔法陣を描いて本格的な術法戦に備えようとしたのだ。
だがそのとき、一行を呻き声が制止した。振り返れば、セテが苦悶の表情を浮かべながら地面に膝をついていたのだった。
「おい、どうした!?」
レイザークがセテの腕を掴んで引き上げようとするのだったが、セテは身体に力が入らないのか、立ち上がることもできない。無意識なのか意識してなのか、セテは左手を己の右手に重ね、抑えつけるようにして地面に手のひらを擦りつけていた。額には、長時間運動をしていたかのような汗が吹き出しており、歯を食いしばりながら身体を震わせ、苦しみに耐えぬいているといった様である。
「ここへ来て腹が痛いとでも言うんじゃ……」
レイザークの軽口を、セテは震える顎で押しとどめて睨みつけた。
「……あんときと同じだ。あんたと……アジェンタスのはずれで風属性のバケモンが暴れまわったのを止めに行ったときと……」
〈風の結界〉をナギサが解き、その影響で風属性のモンスターが跳梁跋扈した事件のことである。その頃サーシェスはナギサの愚行を止めるために決死の覚悟をし、そしてセテは高速呪文を詠唱し、攻撃術法を展開した。術法を使えぬはずのセテが術法を暴走させた最初の出来事であった。
「冗談じゃないぞ。こんなときにお前にまで暴走されちゃ……」
レイザークは眉根を寄せてそう言いかけたのだが、そこでヨナスが従える首長竜がけたたましく吠え、首を振りかぶる。原始的な力に空気が震え、テオドラキスが先ほど発動しようとしていた攻撃術法を防御に切り替えて詠唱。それとほぼ同時に首長竜はその大きな口を開いた。赤く燃えさかってはいないものの、土や岩石が融解した溶岩さながらの物質が恐るべき圧力で放射される。レイザークとアラナがテオドラキスに同調したことで魔法障壁が強化されたが、それでも圧縮されてたいへんな質量となった土石流と衝突し、障壁内部の人間たちに大きな衝撃を与えた。
テオドラキスは結界を広げてさらに後退すべく、一行を転移させた。転移しても障壁を緩めることはせず、とにかく防御の姿勢を維持することに専念するしかない。もちろんセテが膝をついたままだったからだ。
突然、アトラスがセテの腕を地面から引き剥がし、手のひらを上に向けさせた。セテの右手のひらにある銀色の傷跡が、禍々しいばかりに緑色の光を放っている。今にもここから術法が溢れでてくるのではという有様であった。
「四大元素の力が逆流してるんだ。この傷を伝ってな」
さらりと言いのけるアトラスの言葉に、一行はもちろん、さすがのテオドラキスも目を丸くした。
「四大元素の力の源は救世主《メシア》に由来するものだ。大昔の人類が、彼女の力の一部をそれぞれに移植して自然現象を具現化している。ところが汎大陸戦争以来封印されていた〈風の核〉が解かれたのをきっかけに、一度分け与えた力がなにかの不具合によって源たる救世主に逆流してきたため、制御しきれない力が彼女の中で急激に膨れ上がった。そして、〈青き若獅子〉とつながるこの傷を伝って力がお前に浸透し、使えるはずのない術法が暴発した。そして今度は〈土の核〉の封印解呪により、救世主からお前に力が注ぎ込まれているというわけだ」
「なるほど。〈風の封印〉事件後に徐々に凶暴な考えが浮かんだり、力を暴走させたサーシェスの話と辻褄が合いますね。そしてそれと同じ時期にセテは術法を発動させ、その後も何度か不本意に暴発させている」
テオドラキスが顎に手を当て、感心したように頷いた。
「セテとサーシェスをつなぐその傷がどのような仕組みによるものか興味はつきませんが、いまはそれどころではない」
「あんときゃうまく封印がなされたためにこいつの術法は止んだが、封印できなきゃ暴走は続く。意識のないままならあのバケモンの餌食だし、いずれ自滅だ。それに……」
レイザークはいったんそこで言葉を切った。それをテオドラキスが継ぐ。
「そう。これまでは運が良かった。真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》、ガートルードはこの現象に対する解決としてはなんと?」
「封印を解けば救世主の力が増幅する。それを見込んだうえで当初は、救世主を追い立てて力を暴発させることで孤立させ、我々のもとへという目論見があったが。〈青き若獅子〉への力の逆流は想定外だ」
「正直な方ですね」
テオドラキスは苦笑しつつ肩をすくめた。
「馬鹿なこと言ってんな! いいから俺を気絶させるとかして、その間にあいつを封印する方法を考えてくれよ!」
セテは食いしばった歯の間から叫ぶ。
「正直申し上げますと微妙な状況ではありますね。サーシェスがいてくれさえすればですが、あいにく彼女も……」
そこでテオドラキスはいったん言葉を区切る。「気絶……ですか……」
テオドラキスが何か思いついたのかそうでないのか、上の空な様子でセテの言葉をおうむ返しにする。その言葉に、わずかにセテが反応した。片膝で身体を起こし、テオドラキスのローブの裾を掴んだ。
「テオドラキス……! 俺を障壁の外へ……あの化物の真ん前に転移してくれ」
「なに言ってるの!?」
アスターシャがとんでもないというように声を荒らげたが、テオドラキスはさして驚いた様子もない。
「いま同じことを考えていました」
「おい、どういうことだ、いまこんな状態でこいつを放り出したら」
「話は早い。頼む」
セテが言い終わるか終わらないかのうちに、テオドラキスはセテの身体に両手を当てた。瞬時にセテの身体はかき消え、テオドラキスの結界の外に転移させられていた。
目の前には勝ち誇ったような表情のヨナスと、いつでも彼の指示で攻撃に移れるように首を揺らす巨大な鋼鉄の竜。セテは無防備にも、生身でそれらに対峙する形となったのだった。
「なんだ捨て身で来たか。人間ってのは本当に大昔のカミカゼ根性が抜けないのな。それとも命乞いか」
「……うるせえ……!」
セテは震える身体を抱きしめるようにして立ち上がり、その右手のひらをヨナスと化物に向けた。サーシェスとセテをつなぐ何かの絆、その銀色の絆が封印解呪を伴って活性化し、傷跡からにじみ出る緑色の光が凶悪な輝きを放っている。
「*******!!」
セテの口から高速言語による圧縮呪文が詠唱された。突如として攻撃術法がセテの右手から解き放たれ、暴発さながらに膨れ上がって地面を掘削する。驚いたのはヨナスである。術法の匂いがしない自分の術法罠《トラップ》をかいくぐった〈ただの人間〉が、攻撃術法を発動したのだ。
放たれた術法はヨナスの身体の周りに炸裂し、絶対魔法障壁の周囲をえぐった。攻撃は届かないものの、衝撃波がヨナスの身体を押しやる。
「***********!」
間髪入れずにセテが次の呪文を詠唱、術法は詠唱が終わる前に発動し、ヨナスと首長竜に襲いかかる。三度目、四度目と、勢いを増した攻撃術法が間断なく発動し、ヨナスの身体を徐々に後退させるほどの圧力が襲いかかる。さすがのヨナスも絶対魔法障壁の内側にありながらも身体を揺さぶられ、反撃に出る隙を与えられない。
「やった! 相手は防戦一方よ!」
アスターシャが歓喜の声をあげたが。
「いや、違う。あの坊や、やばいことになってる」
アラナがそう言い、隣のテオドラキスを振り返るが、テオドラキスは動じない。
攻撃がやんだ。セテの呼吸は荒く、肩で息をする後ろ姿は今にも崩れ落ちそうだ。
「まさかここで気絶するとか、お前は!!」
レイザークが跳び出そうとするのをテオドラキスが鋭い視線で睨みつけ、引き止めた。それを見ていたヨナスが高らかに笑う。
「弾切れか! 神経が焼き切れて動けなくなったか! ざまあねえな! 土塊に押しつぶされて化石にでもなりやがれ!!」
ヨナスが後ろで控える首長竜を招くような手つきで腕を振るう。術法の発動よりももっと早い四大元素の力が膨張し、セテに襲いかかった。
「セテ!!」
アスターシャとレイザークが同時にセテの名を呼んだその直後、重量のある泥の塊がセテを飲み込んだ。ぐしゃりと嫌な音を立てて獲物を飲み込んだ土塊は、だがしかし、その瞬間に内側からの膨張する鮮烈な光にあわせてはじけ飛ぶ。セテの身体の内側から障壁が膨れ上がったようにも見えた。そしてセテはといえば意識はないようにも見えるのだが、己の足で立ち、いまの衝撃を耐えぬいたばかりかさらに力強く二本の足で大地を踏みしめている。
「つながった!」
テオドラキスが叫んだ。
「真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》、レイザーク、アラナ! これから同調用の数式を送ります! 私がセテとサーシェスをつないでいるうちに数式を共有してください!」
「おい、待て、こりゃ量が多すぎる」
レイザークが額に手を当て、目をしばしばさせた。脳内に直接送信される複雑な術法を展開する数式は、生身の人間には相当な負荷をかけるのか、レイザークもアラナも、そしてアトラスでさえ顔を歪めたのだった。
「これでもあなた方に共有したのは十分の一以下ですよ! いまはセテと私とでほとんどの数式を構築しているんですから!」
「あいつが?」
土砂を巻き上げる圧力の中、セテは右手を差し出したまま小声で何かを詠唱している。鋼鉄の竜が吐き出す高密度の術法が荒れ狂うのを、セテの右手はそれを押しとどめるばかりか、徐々に押し戻していた。ヨナスの表情が焦りに歪む。ついにセテは術法を押し返し、押し戻した術法に載せられたこちら側の術法が威力を増し、ヨナスに襲いかかった。
爆炎が上がり、ヨナスの身体は魔法障壁と物理障壁で守られながらも十数メートル後退する。ヨナスの身体を守る障壁の周りをえぐるように、術法が炸裂したのだった。
それを見届けたのかいないのか、セテの身体が中空に消えた。次の瞬間には、セテの身体はヨナスのはるか頭上、首長竜の真上に転移していた。右手を差し出したままセテは高速言語による短い呪文を詠唱し、そしてそのまま首長竜に向かってその身を投じたのだった。
鋼鉄の化物の周りに張り巡らされた障壁はセテが差し出した右手と衝突し、緑色の火花を激しく散らした。化物は咆哮し、侵入者を排除するように首を振って威嚇をするのだが、障壁に食い込んだセテの右手によってなのか、動きは先ほどよりもずっと緩慢になっている。再びセテの口から高速言語が紡ぎ出される。障壁がゴムの薄膜のようにたわみ、セテは首長竜の身体に吸い込まれていった。
セテの身体は、首長竜を真っ二つに引き裂くようにして落ちていく。その間、首長竜は苦悶の叫び声をあげて苦しんでいるようだったが、セテは絶えず高速言語による呪文らしきものを詠唱し、やがて彼の身体は竜の身体に取り込まれるようにして見えなくなった。
完全に動きを止めた首長竜を前に、久方ぶりの静寂が訪れる。その静寂は、同じように身動きしないレイザークたちにとってはたいそう長いものに感じられた。
「セテ!? セテ!!」
アスターシャが叫ぶ。レイザークとアラナは息を殺すようにして、首長竜に吸い込まれていったセテの気配を探っているのだが。
「終わりましたね」
安堵の溜息をつきながらのテオドラキスのひと言に、全員が固唾を飲んで動かなくなった鋼の化物を見やる。見れば、首長竜の輪郭は粒子に囲まれてぼやけている。ぼやけているのではない。粒子となって崩れ始めているのだ。その直後に、ガラス細工が弾けるような軽い音とともに、土の力に守られていた鋼鉄の首長竜の身体が砕け散った。砕けた破片はなおも細かな粒子になっていき、それは緑色の光を放ちながら周囲の風に溶けていった。そして唐突に力の奔流が噴きだしたのと同じように、唐突に周囲の空気が引き潮のごとく屋敷に向かって収縮していく。障壁で守られているにも関わらず、一行の身体は前に吸い込まれるように傾いで、彼らは両手を地面について身体を支えなければならなかった。
収縮した空気は、ある一点に向かっていた。その中心にセテが倒れている。原始的な力の気配は完全に消滅していた。レイザークとアスターシャはセテの名を呼びながら彼に駆け寄り、その身体を抱え起こした。セテに意識はないが、身体にはなんの損傷もないようだ。
「セテ! 起きなさいよ! セテってば!!」
アスターシャは何度かセテの頬を手のひらで乱暴に叩きつけた。レイザークもセテの肩を揺さぶる。自身が経験した四大元素を封印する数式の量、それをはるかに凌ぐ構築を、術法に関してなんの鍛錬も積んでいないセテがやってのけたのだ。無事ではすまないかもしれない、そんな不安がふたりの脳裏をかすめたのだった。
「おい! セテ!」
レイザークは思い切りセテの頬をその大きく武骨な手のひらで叩いた。
「いてえ!!」
セテが悲鳴をあげ、うっすらと目を開いた。
「くそ……! 思い切りはたきやがって……! あークソッ! 頭がめちゃめちゃいてえ! 最悪だ!」
セテはアスターシャとレイザークに支えながら身体を起こすが、頭痛に顔をしかめ、額から手を離せずにいる。
「術の反動です。鍛錬を積んでいない者があれほどの数式から術を展開するのは、脳に負担がかかりますからね」
テオドラキスがそう言いながらセテに手を差し出した。セテは頭痛をこらえながらもその手を取り、ふらふらと危なっかしい足取りで身体を起こした。
「なんともないのか、お前」
レイザークが珍しく心配そうにセテに声をかけた。セテは口をへの字に曲げて不快そうにしながらも首を振る。
「頭が痛いのを除けば、まぁなんとか」
「どういうつもりだったんだ、自殺でもするつもりだったのか」
「どうって……」
「彼は〈ハブ〉なんですよ」
テオドラキスが割って入り、一同はおうむ返しに尋ねる。テオドラキスは少し言葉を選ぶように考えたあと、
「サーシェスからの力が手のひらの傷を通じてセテに伝わる、術法の集線装置って意味です。サーシェスから力を受け取って放出しているだけに過ぎないから、彼自身、それを抑えることも増幅することもできないのだと思われます。しかし逆に言えば、セテを通じてサーシェスに接触することも理論的には可能なわけです。通常、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》は寝ているときでも他者からの精神感応による接触を拒絶していますから、私からサーシェスに封印を構築するための数式を要求しても、意識がないから応答できないし、無理やり引き出そうとしても拒否されるでしょう。しかし、唯一そんな状態のサーシェスに接触可能なのがセテなんですよ。そして、セテの自意識が薄れているときであれば、私がセテの中に侵入しやすくなる。いまやったのは、ほとんど意識のないセテに私が介入し、セテからの信号であることを偽造してサーシェスに接触して、彼女が記憶している数式を引き出すという荒業です」
「セテに意識をなくさせるためにあんな危なっかしい真似をさせたってわけか」
レイザークは不愉快そうにテオドラキスを睨みつけたが、それをセテが制する。
「俺が思いついたんだからそんな言い方するなよ」
「お前、ちゃんと分かっててやったとでも言うつもりか。失敗したらどうするつもりだった」
「そりゃ……直感っていうかなんとなくっていうか……テオドラキスでさえ封印は難しいって話だったんだし。あんときゃどうしようもなかったし、なんとかなったんだからもういいだろ」
「いいことあるかアホが! そんな戦い方があるか! ハブだかなんだか知らんが、自分の許容範囲を超えた力に脳が耐え切れなくなって神経がズタズタになることだってあるんだぞ!」
「あんまり大きな声を出すなって! 頭に響く!」
「ふざけるな!!」
レイザークはセテの胸ぐらを掴んで怒鳴るのだったが、
「レイザーク、あんたの怒りも分かるけど、その話はこっちが片付いてからにしてくれない?」
アラナの声が割って入り、レイザークはセテを引っ掴んでいた手を緩めた。見れば、アラナは意識のないヨナス少年を小脇に抱えて立っている。ご丁寧に、両手を縛って動けないようにしてだ。
アラナはヨナスを地面におろして腰掛けさせると、軽く掛け声をかけて活を入れる。びくりと身体を震わせてヨナスが意識を取り戻した。やはり頭痛に苛まれているようで、ヨナスは顔をしかめたまま、恨めしそうにテオドラキスを見上げた。
「テオドラキス……! くっそ……! 余計なことしやがって……!」
「あなたにはこれまでもさんざん言い聞かせてきたはずです。四大元素の力がなんのためにあるのか。己の野心を充足させるためのものでないことは、よくご存知だと思いましたが?」
「よく言うよ。お前らの先祖はその力を都合よく使ってきただろが。あんな化物を作り出したり、俺たちみたいなのを生み出して化物を管理させたり、ああ、そうだ、霊子力炉、お前らの先祖のバカげた理論から、人間はあんな恐ろしいモンまで作れるようになったんだっけか、なあ、アトラス?」
ヨナスはテオドラキスの後ろで我関せずと立っていたアトラスに向かって、わざと声を大きくして問いかけた。
「……なぜそんなことを俺に言う」
アトラスの表情には特に動揺した素振りは見られなかったが、それをよしとしたヨナスはさらに挑発すべく邪悪な笑みを浮かべた。
「隠すなよ。腕が立つといっても所詮は人間、ふとした瞬間に深層心理が覗けるんだ。お前だって憎んでるんだろ? それを作った人間や、技術を提供した偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》をさ。なんせ最愛の人間が霊子力炉に捧げられて命を落としたんだもんなあ!?」
セテはアトラスを仰ぎ見た。アトラスと霊子力炉にどのような関わりがあるのか。アジェンタスでの霊子力炉の事件のことなのか、それともそれより以前の、そう、例えばアトラスの故郷であり、内乱で瓦解状態にあるグレナダ公国にも霊子力炉があったのだろうか。
「……まさか……」
セテが口を開いた瞬間、アトラスはセテを睨みつけるように振り返った。
「俺には関係ない。くだらんおしゃべりに付き合っている暇もない。俺は火焔帝の名の下、〈土の一族〉族長と話をしにきただけだ」
それから何事もなかったようにヨナスに向き直り、
「族長ヨナス、先ほどの交渉の続きだ。我が軍との同盟についての返事は?」
「ふん、からかいがいのないヤツ」
ヨナスは小声でそう愚痴る。それから顔を上げてアトラスの顔をまっすぐ見据えた。
「いいぞ。〈土の一族〉族長ヨナスは、お前たちに力を貸してやる」
「ヨナス! なんてことを!」
テオドラキスがヨナスの胸ぐらを掴むが、ヨナスはニヤニヤと笑ったままテオドラキスの顔を見ようともしない。
「待てよ」
そう声を発したのはレイザークだった。
「そんなやすやすと同盟を組ませてたまるか。真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》、お前を帰すわけにはいかん」
すでにレイザークとアラナが剣を抜いて構えている。あわててセテも抜いて構えるところである。
「なんだよ、必死すぎ。多勢に無勢でお前ら悪人にしか見えないっつーの」
ヨナスがゲラゲラ笑うのを、テオドラキスが肘で脇をこづいて黙らせようとするが、そんなことで黙るヨナスではなかった。
「あ、そうだ。いいこと考えた。おい、お前」
お前と呼ばれたのはセテであった。
「お前、アトラスと決闘だ。アトラスが勝ったら俺はアートハルクにつく、お前が勝ったら、そうだな、テオドラキス、お前たちの言うことなんでも聞いてやるよ」
「ふざけるな! こんな半人前にそんな大役が務まるわけがなかろうが!!」
レイザークが声を荒らげたが、ヨナスはフンと鼻を鳴らし、
「知ったことか。俺の親父の作った剣を持つ男が弱っちいなんて認めない」
「親父……?」
「それ。お前が握ってるその剣、飛影《とびかげ》だよ。そいつは俺の親父が作った傑作のひとつだ。確かダノルとかいうひょうひょうとした男だったか、そいつもわざわざここまで来て親父に剣作りを頼んだ。そいつは強かった。それを認めた親父が作ってやったのがその飛影なんだ」
セテは己の手の中の飛影を眺める。ヨナスの父と自分の父、神々の気まぐれが、またこんな形で自分を翻弄することになろうとは。
「ま、もっとも、どっかのバカが親父の作った美しい刀身をすげ替えちまったから、なまくらだろうけどさ」
両手の自由を奪われてはいたが、ヨナスは肩をすくめて小馬鹿にした仕草でそう言い放った。
「どうすんだよ。やるのかやらないのか」
「やってやる」
凄みを帯びた声でセテがそう言った。
「親父は親父、俺は俺だ。昔のことなんざ関係ねえ」
「は! なんだお前、ファーザーコンプレックスってヤツか!? いや、この場合はエディプスコンプレックスか」
「うるせえ!! おいアトラス、てめえとはケリをつけなきゃなんなかったんだ。お前らがアジェンタスでしでかしたこと、忘れたわけじゃねえだろうが!」
「おいセテ、少し落ち着け!」
「うるせえクソオヤジ! 引っ込んでろ!!」
レイザークがたしなめようとしたのにも噛みつき、セテは剣を構えてアトラスを一行の輪の外へ誘った。すぐ脇で、アラナが瓦礫の中から見つけてきたのであろう魔剣をアトラスに手渡す。
「おいアラナ!」
レイザークが、敵に塩を送るような真似をするアラナに怒鳴るのだが、
「これは男たちの神聖な決闘、誰にも邪魔できない」
アラナはそう蛮族《バルバロイ》らしい言葉を返したので、レイザークは額に手を当てて大きなため息をついた。その様子を見て、ヨナスはますますおもしろがって笑い転げている。
「この勝負で交渉の結果が左右されるというのは気に入らん。だが」
アトラスは手渡された自分の剣を腰の剣帯に結びつけながらそう言い、しかしアラナに剣を貸すよう仕草で合図をした。アラナは困惑したまま、アトラスに自分の剣を手渡した。
「能力の優劣に剣の性能が影響ないことも、証明しておくべきだろうな。〈青き若獅子〉、お前がどれだけ成長したか見せてみろ。同盟の話はこの勝負の後だ」
そう言って、アトラスはアラナから借りた剣を構えた。
「なんだ。こいつらただの剣術馬鹿じゃねえか」
ヨナスがそうひとりごちたが、テオドラキスがまたしても肘で脇をこづいた。
甲高い硬質の刃がぶつかり合う音で勝負は幕を開けた。セテは素早い。だがそれに勝るとも劣らないのがアトラスであった。アトラスが斬りかかる、それをセテは剣では受けず、直前でかわす。剣で受けるにも体力を使う、まじめに応戦して消耗するのは愚か者のすることであると教わったのは、アジェンタス騎士団領のスナイプス統括隊長からであり、レイザークも同じことをセテに叩き込んだ。そしてアトラスもセテと同様に、攻撃を剣で受けることはせずに身体でかわす。隙はほとんどない。実戦での戦い方をよく心得ている。
セテはといえば、素早さはアトラスをわずかに上回っているが、全体の動きは熟練した剣士からすれば荒削りで隙が多く、レイザークが気が気でないのも無理ないことである。だが。
「へえ……」
剣を交えるふたりを眺めていたヨナスがそうつぶやいた。テオドラキスがヨナスの顔を覗き込む。ヨナスの顔は先ほどまで完全にセテを小馬鹿にするようなものであったが、いまはその表情が消え、セテの動く様子を目で追うばかりであった。
「あいつ、正統派の鍛錬を積んできたんだろうに、喧嘩殺法みたいな自己流の動きを混ぜて型なんかめちゃくちゃだし、あんなに危なっかしいのに」
「なんですって?」
自己流というのはおそらくレイザークによる鍛錬の弊害であろう。
「不思議だな。なんだか目を奪われる」
「それはセテのほうが上手《うわて》だと?」
「違うよ。アトラスのほうが断然強い」
「あなたも禅問答みたいなことを言うんですね」
「うるせえよ。まあ黙って見てろって。こりゃ見ものだ」
アトラスが薙ぎ払った剣はセテのシャツの裾を捉え、わずかに切り裂いた。セテは素早く身を引いて間合いを取り、そして剣を振るう。アトラスがかわすも、返した刃でアトラスの剣目がけて激しく打ち込む。アトラスは一瞬防戦になるのだが、セテのわずかな隙を逃さぬとばかりに自分を即座に優位に持って行き、そしてセテの飛影目がけて剣を打ち付けた。とうとうセテが防戦一方になる。
「勝負あったな」
ヨナスが愉快そうに鼻を鳴らした。それと同時に、あろうことかセテはアトラスの剣によって飛影を跳ね飛ばされていたのだった。常人には見ることのできない剣士の動体視力において、アトラスは勝利を確信した笑みを浮かべ、そしてセテは歯を食いしばる。アジェンタスでの炎の死闘と同じ光景が繰り返されたのである。だが。
アトラスの一撃をセテは直前で回避し、受け身で地面を這ったその手に土塊を掴む。即座に跳ね起きるその瞬間、セテは掴んだ土塊を握りつぶし、アトラスの顔面に向けて放ったのである。勝利の予感に油断していたというべきか、アトラスはそれをまともに喰らい、瞬間的に攻撃の手が緩む。当然、防御も疎かになる。もちろん常人には判別のつかない程度ではあるが、セテの動体視力はその瞬間を捉えていた。セテの足が低い体勢から繰り出され、アトラスの腹にめり込んだ。アトラスの身体を軸にしてセテは身体をひねり、もう一方の足がもう一度アトラスの腹に食い込む。あろうことか、アトラスの身体が重心を失ってよろけたところへ、身体を起こしたセテの拳がアトラスの顎下に滑り込んでいた。
「おいおい、反則だろそれ」
ヨナスが大喜びではしゃぐ。
セテは問答無用に拳をアトラスの顔面に叩きつけた。アトラスの手から剣が落ち、セテはその剣に手を伸ばす。アトラスも拳を握り、セテが剣を獲得するのを阻止するためにセテの顔面に拳を見舞った。セテがよろめいたので、アトラスは地面に転がる剣を足で蹴り、セテの手の届かないところへ押しやった。当然、自身もその剣を取ることはかなわなくなる。それが誤算であった。セテは、先ほどアトラスに跳ね飛ばされた剣を足で引き寄せていたのだ。状況を素早く認識したアトラスが舌打ちをし、そしてセテはつま先で蹴り上げた飛影を自身の左手でしっかりと握り、アトラスに突きつけたのだった。
「ま、剣じゃ敵わないのは分かってたからな」
ヨナスが肩をすくめてそう言った。テオドラキスは返事をしなかった。レイザークもアスターシャも、アラナでさえも、アトラスの動きを封じたセテを放心したように見つめることしかできなかった。
セテは飛影の切っ先をアトラスの顎下に突きつけたまま、荒い息を整えていた。切っ先は震えている。息があがっているせいではなかった。武者震いなのか、セテの身体全体が震えているのであった。
「……殺せ」
アトラスは言った。
「剣士の掟だろう。殺せ。さもなくば復讐は成就せぬ」
「……うるせえ」
「臆したか〈青き若獅子〉。この決闘、お前の復讐を賭けたものであったはず。人を殺したことがないなんて世迷言は通用せんぞ」
「うるせえっつってんだよ!!」
セテは飛影を地面に突き刺した。硬質の刃がしなり、音を立てて揺れる。
「お前はアジェンタスを火の海にしやがった! 俺の母さんや、ガラハド提督や、アジェンタス騎士団の多くの仲間たちを殺しやがった! 何度も夢で見てうなされた! 殺してやりたいくらい憎んで、刺し違えてもいいと何度も思ったさ!!」
「おいセテ」
「うるせえ! さわんな!!」
セテはレイザークの手を乱暴に振り払い、乱れた前髪を直す代わりに顔をぐしゃぐしゃと手のひらで覆う。
「ちくしょう……! 仇討ちなんてそんな時代錯誤なのイマドキっぽくなくて好きじゃねーんだよ!! 絶対殺してやるって思ってたのに、ピアージュの仇を討ってやるって何度も思ってたのに……!!」
「ピアージュ?」
アトラスが問う。
「忘れたとは言わせねえ!! お前がアジェンタスで殺したあの赤毛の少女だよ! 俺をかばって……俺の代わりに……!」
「ピアージュ、姓はなんという」
「……ピアージュ・ランカスター」
「双子の妹がいると……」
「双子かどうか知らねえよ。生き別れになった妹を探してるって話を聞いたことはある……お前、なんでそんなこと知ってるんだ」
「妹の名は? アルディスでは?」
アトラスの顔から血の気が引いているのを、セテだけでなく周囲の誰もが気づいていた。冷徹な竜騎兵が取り乱している様は尋常ではない。
「名前まで知るかよ。なんなんだよいったい!」
「くそ……ッ!」
アトラスは握った拳を自身の太ももに叩きつけ、膝をついた。誰もが目を疑う光景であった。
「おい、お前、なんなんだよ、ピアージュがなんの関係があるんだよ」
セテも狼狽を隠せない。アトラスが膝を折るなど、敵ながらにあってはならないことのように思えたのだった。
「その娘の妹は、俺の縁の者だ。名はアルディス・ランカスター、生き別れになった姉を探していると言った。アルディスは死んだ。そして……アルディスを探していた姉、それがピアージュ・ランカスターだ」
アトラスは自虐的に笑う。その微笑の弱さに、セテは胃のあたりを刺激され吐きそうになる。神々のいたずらの、なんと残酷なことだろうか。
「あなたを拘束させていただきます。真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》。勝敗は交渉には関係ないとあなたは言ったが、あなたを火焔帝のもとへ帰すわけにはいかない。聞きたいことが山ほどあります」
レイザークとアラナがアトラスの首筋に剣を突きつけていた。そして、術法封じの結界を構築するためにテオドラキスが呪文の詠唱を始めた。そのときだった。
鋭い風が辺り一面を薙ぎ払う。かまいたちのように冷たい刃が頬をかすめたのを合図に、テオドラキスたちは障壁を構築して身を守らなければならなかった。障壁と無数の空気の矢が衝突し、その衝撃波が土煙をあげた。
土煙が晴れたころには、一行の目の前には赤と黒が印象的な、アートハルクの戦闘服にも似た裾の長い術者風の服を着た男が立っていた。その後ろに、膝をついたままのアトラスが男の背中を目を見開いて見つめている。
「火焔帝の手の者か」
レイザークが剣を構え直した。男は慇懃で芝居がかった仕草で軽く礼をすると、
「火焔帝直下の術者軍団統括、ランデールと申します。うちの王子様を返していただきますよ」
「よせ! 俺を卑怯者にするな!」
アトラスは男の背に向かって叫んだが、男が指をパチリと鳴らしたその瞬間、真紅の竜騎兵の姿は消えた。呪文の詠唱なしに転移を発動させる、相当の手練である。
「戦意喪失したうちの若君を連れて帰るのは任務のついでです。一本気なところがあってよいのですが、今日のように折れやすいのが難点でね。申し上げておきますと、私はあなた方と戦うつもりはありませんよ」
ランデールと名乗った男はおどけたように肩をすくめてみせた。
「よい心がけです。ではひとつ聞いておきたい」
テオドラキスが問うと、男は慇懃に質問を促す仕草を返した。
「アートハルクの、ガートルードの目的はなんです? あなた方が危険を冒して神獣フレイムタイラントを復活させようとしているのは、母星から飛来する殺戮兵器からこの星を守る盾とするため、そうですね?」
「ほう……やはり〈メタトロン〉を起動したのはあなたたちのようですね。でも、得られた情報はそれ以上でもそれ以下でもない、そんなところですね?」
「質問を質問で返すとは図星の証拠。ではなぜそれを公にしないのです。あえて侵略者のような真似をして混乱を招くのは、あまり頭のいいやり方ではない」
「時代を変えるのに混乱はつきものです。我々はこの世界をあるべき姿に戻す、惑星防御などはその通過点でしかない」
「……通過点……ですって?」
ランデールは意味深な笑みを浮かべ、
「〈青き若獅子〉のおかげで〈土の核〉の在り処が分かったうえ、あなた方の居場所も特定できた。我らが同士が救世主《メシア》の居場所も特定している頃でしょう」
セテの身体がびくりと跳ねた。テオドラキスが舌打ちをする。この騒ぎがアートハルクに知られるのは想定できたことであったのに。
「それでは失礼を。いずれまた、どこかで」
ランデールは登場したときと同じように役者のような慇懃な礼をした。再び鋭い風が辺りを舞い、一行が目を開けたときには火焔帝の術者の姿はどこにもなかった。
「おい! ぼけっとしてる場合か! サーシェスの嬢ちゃんが!」
レイザークの怒鳴り声で一行は我に返る。テオドラキスはヨナスの首根っこを掴み、一行を瞬時に転移させた。
転移して集落に戻った一行を待ち受けていたのは、禍々しい暗黒の気配だった。だが、集落の人々はふつうに家事や仕事をしており、大勢のアートハルク兵が押しかけてきた様子も、戦闘の痕跡もない。戻ってきたテオドラキスを見て、集落の人々が口々に「おかえりなさい」と声をかける中、一行は首をひねるばかりである。
林の中の小屋に差し掛かると、禍々しい気はいっそう濃くなっている。小屋の中で寝ているであろうサーシェスや、番をしているジョーイとベゼルの安否を確かめるために一行は駈け出した。
ジョーイが小屋の入り口で倒れている。そしてその脇で、ベゼルがうずくまるようにして震えているのが見えた。
「おい! ベゼル!!」
レイザークが駆け寄り、その声と姿を認めたベゼルは泣き声に近い声でレイザークの名を呼んだ。
「レイザーク! セテ! サーシェスが、サーシェスが!!」
ベゼルはレイザークにすがりつくと、小屋の庭後方の林に向かって指を差した。指し示した先には、ぼんやりと立っているサーシェスの後ろ姿があった。
「サーシェス!!」
セテはサーシェスに向かって駈け出した。サーシェスは振り返りはしなかった。あれほどの熱がありほとんど意識がなかったのに、こんなところで何をやっているというのだ。
「サーシェ……うあっ!!」
突然、セテは見えない壁のようなものに弾き返された。
「結界!? まさか!」
サーシェスはゆっくりとだが、後ろの林に向かって歩みを進めている。いや、正確には夢遊病のような状態とでもいうべきか、ふらふらとおぼつかない足取りで足を踏み出し、だがたまに足を止め、何かを拒絶しているような仕草を見せる。まるで何者かに身体を操られ、歩かされているとでもいう状態であった。そしてその目指す先には。
「まさか……そんな……」
セテは地面に尻をついた状態で呻く。サーシェスが歩みを進めるその先、林の中に、黄金の見事な巻き毛が揺れていた。
「……レオン……ハルト……」
術者の身につけるような漆黒のローブを身にまとう男の姿、薄暗い林の中にあってなお輝きを放つような金色の長い巻き毛、そして一度見たら忘れない力強い瞳が、サーシェスに向かって手を差し伸べていた。
彼はいま光都オレリア・ルアーノで昏睡状態のままのはず。それがいま、なぜ、どうやってここへ。
「馬鹿野郎が! こんな邪悪な気を放出する聖騎士がいるか!!」
レイザークが怒鳴り、その声でセテは我に返った。同時に、レイザークは剣に術法を載せ、テオドラキスは中空に円を描いて術法を発動させ、それぞれレオンハルトと思しき人物目がけて解き放つ。だがその攻撃術法は男に届く前に弾き返され、空中に四散した。
「サーシェス!!」
セテが叫ぶ。サーシェスが振り返った。その瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
「……セテ……」
なぜ泣いている。レオンハルトとの再会を喜んでいるのか、それとも自分たちとの別れを悲しんでいるのか。言葉にならないほどの大きな感情が膨れ上がり、そしてその気持ちの正体が理解できたときには、セテは渾身の力を込めて叫んでいた。
「サーシェス!! 行くな!!」
その気持ちは、サーシェスへの、レオンハルトへの、紛れもない嫉妬であった。
次の瞬間、サーシェスとレオンハルトとの間に巨大な光の玉が膨れ上がった。風船のように膨張し、弾けた光は凄まじい衝撃波となって木々をなぎ倒す。吹き飛ばされたサーシェスの身体をセテががっちりと抱きとめたとき、光の奔流の向こうでレオンハルトの姿が闇に溶けていくのが見えた。闇に溶けていくという表現は正確ではなかったのかもしれない。黄金の巻き毛が漆黒の闇に変わっていくのを、セテは見たような気がしたのだった。