第十三話:灼熱の攻防戦

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 汎大陸戦争が終結した直後、エルメネス大陸はそれは悲惨な大混乱に見舞われたのだという。焦土となった大陸全体を無気力と絶望が覆い、やっと立ち直った人々が復興の準備を始めたころには、当然のごとく土地の覇権を巡って大戦前に裕福だった人間たちが争い始めた。それに加えて、今度は今のうちにいい夢でも見たいと考えたのか、徒党を組んで食料を奪ったり、女性に乱暴を働く無法者も暴れ出した。大陸全土は毎日暴力と略奪にさらされる悲惨な無法地帯と化したのだった。
 ところが、かの初代聖騎士レオンハルト率いる聖騎士団が結成され、彼の提唱により自発的な騎士団があちこちに結成された。騎士団は彼らから自分たちの生活を守ろうとする自衛の精神から生まれたものだと言われており、戦争終結後には各地の鎮圧に奔走したのだそうだ。
 やがて、レオンハルトを中心とした聖騎士団の働きによって焼け野原のエルメネス大陸に新しい国々が誕生し、混乱も徐々に治まった。今度は国の覇権を巡る争いやら反乱も起きたようだったが、レオンハルト率いる軍隊は見事に逆賊を抑えつけることに成功した。そして、新しい国家群を束ねて円滑な国際的関係を築くために中央諸世界連合が設立され、各国に正式に騎士団が置かれた。組織が徐々に整っていくにつれて盗賊団もおとなしくなっていき、国境警備も万全の体勢が敷かれていたはずだった。
 辺境にほど近い辺りでは、いまだにこうした盗賊団のようなことをやる輩が後を絶たないのだそうだ。純粋に貴重な金品やら食料やらを奪い、それらを転売して儲ける商売っ気のあるやつらと、中央への恨みを募らせている不満分子のふたつに大別することができるのだが、後者の不満分子は非常にたちが悪い。何しろ二百年もの恨みを盾に、騎士団に関係する馬車やそれに乗る重要人物を襲い、情け容赦なく殺しては武勲を自慢し合っているのだ。いまこの馬車に狙いを定めているのは、まぎれもなく後者の不満分子の集まりであった。
 盗賊だなんてよりによってこんなときに。多少の好奇心に煽られたサーシェスは反対側から身を乗り出して、追っ手の姿を確認する。
「顔を出すな! 頭を引っ込めろ!」
 御者の怒鳴り声が聞こえたので、サーシェスは驚いて頭を引っ込めた。間一髪、その直後に窓の外をボウガンの矢がものすごい勢いでかすめていった。それを合図にしたのか、後方から音をたててボウガンの矢が次々と飛来してくる。馬車はさらに加速するが、後ろから鬨の声をあげて盗賊の馬が迫ってくるのが見えた。五人を乗せた馬車を引く馬と人間ひとりを乗せただけの馬、その速度の違いは歴然だ。
 後ろ十数メートルに迫った馬に乗った男が、大きく弧を描くように馬を走らせる。猛スピードで走る馬車の左側に馬をやると、馬上の男は御者目がけてボウガンを続けざまに放った。ドカドカと激しい音をたてて馬車に矢が突き刺さる。壁を突き抜けて飛び出してきた矢がすんでのところで頭をかすめたので、サーシェスは目をむき、頭を抱えて体勢を低くした。
 まもなくしてサーシェスの耳に小さな悲鳴が蹄の音に紛れて聞こえた。途端に馬車は大きく揺れ、右側に方向転換する。再び馬車が大きく揺れたので、車内のサーシェスたちはまるで荒海に浮かぶ木の葉のごとく揺られに揺られた。どさりと御者席からなにかが落ちた音がしたので振り返ると、何本もの矢に貫かれた御者の男が、迂回路のすぐ脇の崖から〈地獄の鍋〉に向かって転がり落ちていくのが見えた。
「くそっ!」
 御者席にいた騎士が代わりに手綱を引き、もうひとりが近寄ってくる盗賊に備えて剣を抜いた。すぐ後ろには、鬨の声を上げながら剣を振り上げている賊の馬が迫っていた。野蛮な辺境の言葉で「死ね」だの「ろくでなし」だの「淫売の息子」だのを指す卑猥な単語を連発しながら、盗賊は楽しげに剣を振り回す。御者席の騎士はそれを器用に受け流しながら、近づいてくる男に蹴りを繰り出した。
「あたりゃしねえぞ! ひゃはははは!!」
 賊は愉快そうに笑う。まるで狂戦士《ベルセルク》の勢いで楽しげに剣を振るうのだが、騎士はその隙だらけの動きを狙い、握っていた剣を男の脳天目がけて突き出した。眉間に見事に突き刺さった剣から激しい血しぶきが噴き出す。男は馬上から崩れるように転がり落ち、操り手のいなくなった馬は速度を落として馬車の後ろに見えなくなっていった。
 騎士は隣で馬の手綱を引く同僚から剣を譲り受けると、魔除けに剣の柄に口づけをして次なる追っ手の姿を探す。やがてすぐ後ろに馬が迫ってきた気配を感じて、騎士はすぐさま剣を構えた。
 車内のサーシェスは頭を抱えて身体を低く保っているのがせいいっぱいだった。若い騎士がかばうように自分の身体に覆い被さってくれているのがとても頼もしかったのだが、その間もビュンビュンと音をたててボウガンの矢が容赦なく馬車を襲う。逃げ切る前に串刺しになるのではないかと気が気ではない。
 すぐ真横で賊の馬が併走するのが目に入る。サーシェスはかばってくれている騎士の腕の間からちらりと覗いてみるのだが、ひげ面と伸ばしっぱなしの黒髪を束ねた不潔なその姿に顔をしかめた。ロクランあたりではあまり見られない、不思議な顔立ちだとも思った。
 彼らを駆り立てるのものはいったいなんだろうか。名誉なのか、復讐なのか、それとも単にこういうことが好きで好きでたまらないというのだろうか。なぜ暴力を振るうのだろう。いったいなにが不満なんだろう。サーシェスは馬を駆り立てながら剣を振り回す男を眺めながら思った。ロクランではこうした暴力沙汰が起きるのはほとんどなかった。殺人の話なども本で読んだり、大僧正やフライスから聞いたりしただけで、身の回りで起きることなどおそらく一生ないだろうと思っていた。たまにニュースで人が殺された話を聞くのだが、哀れだと思ってみるものの、遠い別の世界の話にしか思えなかった。しかしいま、現実に自分の身に、命の危険が迫っているのだ。信じられない。
 剣を振り上げ、ボウガンを次々に放つ彼ら。殺人への衝動にかられて一種の恍惚状態に陥っているだろうと思われるその顔には、まぎれもなく笑みが浮かんでいる。嫌悪で吐き気がしてくる。人を殺すことを楽しんでいるのだ。
 ふと、アジェンタスに戻ったセテの姿が思い浮かんだ。セテも人間相手に剣を振り上げるとき、こんな表情をするのだろうか。血にまみれた腕を振り上げ、あの美しい刀身を持つ飛影を、なんの迷いもなくまっすぐに人間の頭に振り下ろして──!
 ゾクリと背筋が泡立つ。アートハルクとの戦闘で、セテは剣を振るったのだろうか。いやだ。考えたくもない。でも、剣を振らなければ自分が殺される。でも──!
 バキッと木の板が砕け散るような音がしたので、サーシェスは我に返った。横に付けていた賊が剣を馬車の扉目がけて振り払ったのだった。ちょうつがいがはずれてぶらりと垂れ下がった扉が馬車の振動に揺られ、まるで旗が振られるかのように踊る。賊がそれをもう一度剣でなぎ払ったので、扉が完全にはがされ、乱暴な音をたてて馬車の後ろに転がり落ちていった。そこで男は、守るべき扉がなくなって怯えているであろう馬車の中の人間の姿を覗き込む。その瞬間、騎士の後ろでかばわれるようにして座り込んでいるサーシェスとばっちり目があった。男の顔が歓喜に歪む。
「ひゃっほう! 女だ! 女が乗ってるぞ!!」
 男は仲間たちに知らせるために大声で叫んだ。それを受けてふたりの騎士がサーシェスを守るようにして中腰のまま剣を構える。
「ははははは! ロクランの女か! それともそいつが王女か!?」
 男は剣を突きだしながら叫んだ。年長の騎士がそれをはじき返し、不自由な姿勢での剣による攻防戦が始まった。狭い車内で剣を振り回すほどの余裕はない。ふたりの剣士は交互に剣を突きだしながら、荒々しく突き出される賊の剣をはじき返す。
 剣は振り回すものだと思っていたサーシェスにとっては、突き出すという技はとても恐ろしいものだった。いつ賊の剣の切っ先が騎士に突き刺さるだろうと思うと思わず目をつぶってしまうのだが、やはり熟練した騎士のなせる技なのか、剣が突き出される瞬間を狙ってふたりの騎士は正確にそれをはじき返すのだ。剣と剣のぶつかり合う音が聞こえるその直後に目を開けると、その素早い動きに見とれてしまう。
 これまでセテに教えてもらったときも、その前に現役を引退したラインハット寺院の下男に教えてもらったときも、実戦を想定したものではなかった。いわば型どおりの剣の振るい方でしかなかったのだ。実戦で役立つ剣のさばきかたなど、誰も教えてくれなかったし、教えてもらうものでもないのだろう。現にいま剣を渡されても、自分は何もできないはず。あっという間に斬り殺されてしまうのがオチだ。
 サーシェスは少しだけ自分のおこがましさを恥じた。自分たちの身を守ること、そして彼らのような逆賊を屠るのが騎士団の役割だとしても、彼らが罪人である自分を必死でかばいながら戦ってくれているのに、自分は守られているだけだ。そんなことを考えるといても立ってもいられなくなる。なにか彼らの役に立ちたい。どうすれば──!?
「これ、はずして!」
 サーシェスは懸命に賊の剣を押し戻そうと交互に剣を突き出すふたりの騎士の背中に叫んだ。年輩の騎士が驚いて振り返ると、サーシェスは自分の首にはまった術法封じの首飾りを指さしていた。
「これをはずせば術法が使えるの! 魔法防御と物理障壁なら!」
「バカを言うんじゃない! そんなことできるわけがないだろう!」
 騎士はまた突き出されてくる剣を器用に避けながら怒鳴りつける。危険な術者を野放しにするなんて、とでも言いたかったのだろうが、年輩の騎士はその先を口にすることはなかった。サーシェスは負けじと声を張り上げ、
「この馬車全体を物理障壁で覆えばやつらの攻撃も役に立たない! お願い! これをはずして! 早く!」
 年輩の騎士が困ったように眉をひそめ、それから若い騎士に目で合図をする。若い騎士も困惑した表情で何度か首を振るのだが、厳しい表情をした年輩の騎士にまた顎で合図をされたので、彼はしかたなく腰の剣帯の後ろに隠してあった鍵の束に手をやった。丸い金属の輪にいくつかの鍵がぶら下がっているが、その中のひときわ小さな金色の鍵を手に取ると、彼はサーシェスに後ろを向くように告げた。サーシェスは髪を掻き上げて首だけ後ろに向ける。継ぎ目の分からない不思議な構造の首飾りではあったが、後ろの真ん中あたりにあるほんの小さなくぼみが鍵穴であった。
 そのとき、再び馬車が大きく揺れた。その衝撃で騎士の手から鍵束が床に落ちる。すぐ後ろにつけていた別の賊が馬車の後輪目がけて剣を振るったために、左車輪の中央連結部分がはじけ飛んだのだった。馬車は左後方に大きく傾き、速度が落ちたばかりかガタガタとデコボコ道を走るような衝撃にさらされる。そして落ちた鍵を拾おうと若い騎士が身体を伸ばした瞬間、ドカドカと鋭い音とともにボウガンの矢が馬車の外装を突き破ってきた。
 なんということか。ボウガンの矢は若い騎士の肩と言わず腹と言わず、見事に貫いていたのだった。ロクラン騎士団のブルーの制服が見る間に鮮血に染まって赤くなっていくのを見て、サーシェスは悲鳴をあげて若い騎士の肩を揺するのだが、彼はうらめしそうに二、三度ため息を吐くと、そのまま動かなくなった。そしてその手から彼がやっとの思いで掴んだ鍵の束が落ち、それは振動に乗って踊るように壊れた扉まで這っていくと、そのまま地面に落ちてあっという間に見えなくなっていった。
「くそっ!!」
 年輩の騎士が吼えるように叫ぶ。彼は部下が死んだことよりも、いまだ格闘中の賊の剣にいらだっているようだった。速度が落ちたのでいつ馬車に飛び移られるか分からない。目を開いたまま息絶えた若い騎士の姿にサーシェスはしばらく呆然としていたのだが、意を決したように彼の腰から剣を奪い、そして反対側の扉の窓ガラスを剣の柄で思い切りたたき割った。馬車の中がさらに埃っぽくなるのだが、それにかまうことなく残った窓ガラスの破片を剣の柄で乱暴にこそげ落とし、それから身体を乗り出して後方の敵の姿を確認した。後ろで蛙の鳴くような声がしたかと思うと、先ほど年輩の騎士とつつきあっていた盗賊の男が、馬車の後ろから転げ落ちていくのが見えた。なんとか騎士が撃退に成功したようだった。
「おい! 何やってる! 馬鹿なことをするんじゃない!」
 サーシェスが身を乗り出しているのに気付いて、年輩の騎士が驚いて声をあげた。細いサーシェスの身体は窓のあった穴からするりと抜け、彼女は片方の足を窓枠に乗せて腰掛け、慎重に左手で天井を掴み、右手で剣を構えたのだった。
「よしなさい! 彼らと戦うってのか!? 標的にされるだけだぞ!」
「彼らを近づけなければいいんでしょう!? 剣なら私だって使えるわ!」
 なぜだか負ける気がしなかった。身体の内側からわき出てくる怒りに乗って、高揚感が全身を駆けめぐる。無性に戦いたくなる欲求が抑えられなくなってきていた。戦いの予感に、身体が打ち震えてくる不思議な感覚だった。
 すぐ後ろにつけていた男が馬を巡らせてサーシェスの姿を確認すると、彼は鬨の声をあげてさらに馬を前進させた。辺境の言葉でなにやら叫んでいるのだが、サーシェスにはそれがとても卑猥な言葉であることが理解できた。
「ねえちゃん! いい度胸だな! 女だてらに剣士のまねごとかい!? かわいい顔してやるなぁ!!」
 賊の男はひとしきり辺境の言葉で叫んだ後、中央標準語でそう言った。それを無視してサーシェスは剣を振りかぶる。届かない剣の切っ先に賊はさらに下劣な笑い声をあげ、サーシェス側に馬を寄せた。
「ほうほうほう! やめとけって! 女にゃ剣なんか重すぎて振れるわけがねえ!」
「バカにするな!!」
 サーシェスはそう叫び、その次の瞬間に男の肩目がけて剣を振り下ろした。油断して近づきすぎていた男は見事肩を裂かれて悲鳴をあげ、馬から転がり落ちていったかと思うと、後ろから迫っていた味方の馬に踏みつけられて醜い悲鳴を轟かせたのだった。
「やるなあ、お嬢さん!」
 サーシェスの腕前の一部始終を見ていた年輩の騎士が、後ろから感嘆の声を漏らしたが、サーシェスはそれを無視し、身体を乗り出して前方の御者席に護衛の騎士がいるかどうかを確認する。風に乗って血の臭いがする。ふたりの騎士はボウガンの矢で貫かれ、互いにかばい合うように折り重なって倒れているようだった。サーシェスはその凄惨な光景に目を伏せたが、それを振り切るように年輩の騎士を振り返り、
「御者席まで移動するのよ! 馬車を切り離して馬で逃げ切るの!」
「わ、分かった!」
 年輩の騎士はサーシェスの毅然とした態度に驚いたのだが、かろうじてそれを顔に出さないように努めて頷いた。
 御者席までたどり着いたら馬車を切り離し、二頭の馬で逃げ切れるはずだ。まず外の天井を伝って御者席まで移動するしかない。サーシェスはいったん身体を引っ込めて窓のない扉を開け放した。風圧で砂埃が車内にものすごい勢いで飛び込んできて、彼女の長い銀髪が舞う。それを気にすることなく腰帯の後ろに剣をはさみ、天井に手をかけ、足は開いた扉の窓枠にかけてぐっと力を入れた。
 それに習って年輩の騎士も天井に手をかけ、小さなかけ声とともに身体を踊らせた。だが運悪くそのとき彼の身体目がけてボウガンの矢が飛来し、痛みに叫ぶいとまもなく年輩の騎士の身体は馬車から転がり落ちていったのだった。
 いよいよひとり。サーシェスは天井に乗り、慎重に体勢を低くして後方から来る盗賊の姿を確認する。あと七人ほどが後を追いかけてきている。
「殺すな! 女だ! 男は全員殺ったからあの女は生け捕りにしろ! ロクラン出身は高く売れるぞ! なんせ王女かもしれない女だからな!」
 そう叫ぶのが聞こえてサーシェスは身震いした。全速力で追いかけてくれば絶対に追いつけるはずなのに、わざと楽しんでいたのだ。周りの護衛を全部殺して、自分ひとりになるように。自分が女だからだ。彼らに掴まったら最後、殺されはしないものの、それよりも恐ろしい目に遭うのは明白だ。以前フライスがそういう話をしてくれたのを思い出す。中央でさらわれた女性が、辺境でどんな目に遭ったか。死ぬまで娼館で働かされるか、悪趣味な金持ちに買われてそれは恐ろしい性的虐待を受けることもあるのだとか。そういうえげつない商売をする輩を掃討するために騎士団が乗り込んだある館では、何十人もの中央出身の女性がひどい姿で囚われていたのが発見されたのだという。中にはハイ・ファミリーの女性もいたというのだから、胸の悪くなる恐ろしい話だ。
 ガタガタと激しく揺れる天井を這うように歩きながら、サーシェスは腰帯に挟んだ剣の感触を確かめるように撫で、そして歯を食いしばった。以前ラインハット寺院を訪れた聖騎士(パラディン)のレイザークという男も、似たようなことを言っていたではないか。負けた女剣士は男に犯されるのが定石だ、と。女性だという理由だけで男の性的奴隷にされるなんてまっぴらだ。もしそうなったら舌を噛んで死ぬ覚悟はできている。私は絶対に屈服しない。屈服なんかするものか!
「どうしたお姫さん! もう抵抗は終わりか!?」
 後ろから男が下卑た笑い声をあげながら馬を巡らせてくる。サーシェスは男を睨みつけると、意を決したように立ち上がり剣を構えた。馬車が揺れるのもかまわずに気丈に立つその姿からは、鬼気迫るものが感じられる。盗賊は毅然とこちらを睨み付ける獲物の姿に仰天したのか、野次を飛ばすのを続けることができなかった。それを見た少女の口元がにやりと恐ろしげな笑みを浮かべるのを、男は見逃さなかった。
 サーシェスは手首を返してくるりと右手の剣を一回転させる。乾いた太陽に反射して、剣の切っ先がギラリと光った。それを合図にサーシェスは馬車の天井を蹴り、賊の馬目がけて飛び降りた。まさか自分の後ろに獲物が飛び乗ってくるとは、男は夢にも思わなかっただろう。馬に飛び移る瞬間、サーシェスは乗っていた男ののど笛を狙って剣をまっすぐに立てた。男は無抵抗のまま絶命し、まんまと少女に馬を乗っ取られてしまったのだった。サーシェスは男の喉から剣を引き抜くと死んだ男の手から手綱を奪い、賊の身体を引きはがすように引きずり下ろした。それから左手で器用に手綱を操り、迫ってくる敵の姿を確認しながら馬を走らせる。
 不思議な感覚だった。実戦で役に立つようなことを教え込まれたわけではないのに、身体が勝手に動き出すようだった。まるで、こうした戦い方を最初から知っていたかのようだ。まさか、自分は戦場に身を置いていたことがあるというのだろうか。そんなことを考えながら、サーシェスは残りの盗賊を殲滅すべく馬を返し、剣を振り上げた。
 獲物の少女が仲間の馬を乗っ取り、自分たちに突進してくるのを見て盗賊たちは大いに驚かされた。まだ年の頃も十七、八歳くらいにしか見えないというのに、しかも女だてらに、まるで幾多の戦場を駆けてきた熟練の剣士のような振る舞いかただ。銀色の髪をなびかせ、鬼気迫る表情をした少女剣士に、さすがの盗賊たちも尋常ならざるものを感じたようだった。これまではまわりの護衛を殺して少女を捕らえ、どこかに売り払おうと思って遊ばせていたのだったが、本気になる必要があると感じたのか、彼らは再び鬨の声をあげた。
 サーシェスはまずはボウガンを持っている連中をたたきのめすつもりで、後方の馬目がけて自分の馬を駆った。回りの男たちと剣で斬り合っている最中、後方支援のボウガンに狙われたら最後だ。馬を左右に大きく蛇行させながら近づく。標的が定まらないためにボウガンを持った男たちはなかなか発射できず、いらついているようだった。それを狙って全速力で迫り、男を目がけて剣をなぎ払った。
 ロクラン騎士団の標準装備である幅広のブロードソードは、機動性を高めるためにチタニウムという軽い金属で精製されているのだという。その軽さのおかげでサーシェスも易々と扱うことができるのだった。
 胸を裂かれた男の鮮血が吹き出る。致命傷ではないが男は痛みに叫び、辺境の言葉でサーシェスを罵りながら馬から落ちていった。そこへ追いついたのが剣を持つ賊の馬だ。男は辺境の汚らしい言葉でサーシェスを侮辱し、剣を振り上げたのだが、小気味よい音とともにサーシェスの剣に阻まれる。執拗に剣を突きだしてサーシェスの身体を捕らえようとするのだったが、器用に手綱を操るサーシェスに舌を巻いているようでもあった。実際、見ている者からすれば熟練した騎馬兵と剣を交えているかのような錯覚に陥るほどのものであった。サーシェスは男の腕に剣を払い、相手がひるんだ隙に今度は肩の辺りに剣をなぎ払った。再び鮮血と悲鳴があがり、敵はまんまと落馬して馬に置いてけぼりを食らうはめになったのだった。
 もうひとり後方支援のボウガンの男がいる。サーシェスは間髪入れずに馬を巡らせた。
「このクソアマぁ! ぶっ殺してやる!」
 ボウガンを構えた男が叫び、サーシェスに狙いを定めている。サーシェスは剣を握り直して振りかぶり、男に向かってまっすぐに馬を走らせた。
「死ぬのはお前のほうだ!!」
 信じられないような言葉が自分の口から発せられるのを、サーシェスはたいへん驚いた。だが、戦いの高揚感がますますわき上がり、抑えつけることができない。まるで違う誰かが自分を支配しているかのようだった。そう、この感覚は、「開封の儀」の直後、術法を暴発させたあのときと同じ──!
 狂ったように叫びながら剣を振り上げようとしたそのとき。
 ──よせ! これ以上人を殺すな──!!
 すさまじい頭痛とともに頭の中で誰かの声が響く。サーシェスはその激痛に頭を抱え、馬を止めた。男の声だ。いったい誰!?
 ──殺すな──!!
 頭痛と耳鳴りの中に響き渡るこの声は、周りの盗賊のものではない。頭の中に直接響いてくるものだ。聞き覚えのあるその声は、サーシェスの脳裏に黄金の剣士の姿を浮かび上がらせていた。白昼夢とでもいうべきか。サーシェスは目を見開き、声の主を驚愕のまなざしで見つめる。その姿はまぎれもなくサーシェスが見覚えのある男であった。不意に訪れるかの人への懐かしさと思慕に心が締め付けられる。かの人は黒い甲冑を身にまとい、黄金の巻き毛を持つ美しい聖騎士、パラディン・レオンハルト──!!
「あうっ!!!」
 左肩を貫く鋭い痛みに、サーシェスはうめき、のけぞった。その拍子に馬から転がり落ち、地面に叩きつけられてさらに苦鳴をあげる。ボウガンの矢が彼女の右肩に命中していたのだった。見事獲物をしとめることに成功した盗賊たちは歓声を上げ、馬を巡らせて落ちたサーシェスを囲むように近寄ってきた。地面に落ちたことでさらに食い込んだボウガンの矢に手をかけ、サーシェスは無理矢理それを引き抜くのだったが、すでに彼女は盗賊の残党に囲まれているところであった。
「ふん、散々手こずらせやがって。とんでもない女狐だぜ」
 首領と思われる男が馬を下りて唾を吐き、剣を彼女の首筋にあてながらそう言った。サーシェスはどくどくと血のあふれる肩を押さえながら、首領の顔をにらみ返していた。
「ロクランのお姫様なわけねえな。あんだけ派手に立ち回りするってなぁ、特使か、それともどこぞの『草』か?」
 尋ねられたが、サーシェスは無言で男を睨み付けたままだ。
「ふん、特使や『草』が自分の素性を明かすわけねえか」
 そこで男はサーシェスの腹を蹴り、呻いてうずくまった彼女の背中を何発も蹴りつけた。
「お、お頭ァ! そんなに蹴っちまったら売れるモンも売れなくなっちまいますぜ!」
 部下のひとりが首領を制しようと割って入るのだが、
「ふん! どうせキズモノだ! ボウガンの傷なんて一発で戦闘の傷だって分かっちまう。戦場に出た女なんざ、酔狂な金持ちだって買ってくれやしねえ。手なずけようにもテメエのイチモツ食いちぎられるってな!」
 そう言って男はサーシェスを蹴り続けた。ぐったりと少女の身体が動かなくなるのを確かめると、首領の男はかがみ込んでサーシェスの髪を掴み、その顔を堪能する。
「でもまぁ、こんだけの上玉だ。迷惑料ってことでいい思いさせてやるぜ」
 盗賊連中の間で下卑た笑いが沸き起こる。首領は得意げな表情で笑うとサーシェスを仰向けに転がし、両手を掴み上げて服のボタンに手をかけた。服を一気に引きはがそうとしたそのとき、少女のグリーンの瞳がぱちりと開いた。深い緑色の瞳で首領を睨み付けると、少女は落ち着き払った様子で口を開いたのだった。
「サルの分際で私に手をかけるとは。身の程を知れ──!」
 乱暴な口調で静かにそう言い放った少女の身体が緑色に光り、そしていきなりすさまじい衝撃が首領の身体をはじき飛ばしていた。狼狽する盗賊を睨み付けたまま少女は身体を起こし、そして右手を差し出す。
「な、なんだ、この女!?」
 盗賊たちは武器を構え直し、後ずさりしながら少女の姿を見守る。口の中を切ったのか少女がペッと血を吐き出し、そしてにやりと笑った。砂だらけで吐いた血にまみれて不敵に笑うその顔は、恐ろしくもあり最高に美しいと彼らは思った。その毒気のようなものに当てられたのか、彼らはその場を動くことができない。
「下等生物が……! 私の名を知りたければ教えてやろう」
 少女は再び笑い、右手を盗賊の連中に向けて小さく動かした。術者が術法を発動するときの姿勢によく似ている。彼らは逃げなければならない危険にさらされているのを分かっていながら、金縛りにあったように動けないのだった。
「我が名は……」
 そこまで言いかけたとき、少女の身体はまるで糸の切れた人形のように地面にくずおれた。それとともに辺りを覆っていた緊張が解け、盗賊たちの身体も呪縛が解けたかのように自由になったのだった。
 はじき飛ばされて地面に転がっていた首領もおそるおそる立ち上がり、再び動かなくなった少女の姿を見つめた。少女は意識を失っているようだったので、彼女の横にかがみ込み、様子をうかがう。そして首領の男は苦々しげに舌打ちをしたのだった。
「な、なんです、お頭?」
 部下が尋ねると、首領はサーシェスの頭を動かして首にはまった首飾りを指さした。金色の首飾りに埋め込まれていたちいさな宝玉のいくつかが、少しひび割れて欠けていた。
「見ろ。術法封じの首飾りだ。とんでもない拾い物だったわけだ」
 そう言って首領の男はサーシェスから手を離し、おもしろくなさそうに鼻を鳴らした。いまだ状況が掴めない部下たちは首をひねってみせた。
「術法封じってことは……術者、ですかい? この小娘が?」
「ああ。しかも危険度五以上のとんでもない怪物だ。おそらく光都に護送される途中だったんだろうよ。首飾りで封じてあるはずなのにそれでも術法を封じきれないなんざ、化け物以外のなにモンでもねえ。上級の術者ってのは、意識を失っていても自分の身を守る術を身につけているって聞く。こいつには関わり合いにならんほうが身のためだ」
「でもこいつに殺られた仲間は死にきれないじゃねえっすか。この場で殺しちまえばいい」
「バカが! さっきの見てなかったのか、テメエは。術者ってのは真に命の危険が迫ったときに最大限の力を発揮するモンだ。テメエらの首なんざいくつあっても足りねえぞ」
 そう言われて、盗賊連中は口をゆがめて互いの顔を見つめ合った。首領は不機嫌な顔で馬にまたがると、部下に帰還するよう告げてとっとと馬を走らせて行ってしまった。残された連中はしばし少女の姿と自分たちの首領の後ろ姿を見比べていたが、やがてめいめい馬にまたがり、元来た道を戻りはじめたのだった。
 だが、殺された仲間と親しかったとみえる男たちは、まだ憤りを抑えられないでいるようだった。ふたりの男が結託して少女を担ぎ上げると、空いている馬に乗せ、少女の手首を馬の首に回して頑丈に縛り付けた。不審に思った仲間のひとりが彼らに尋ねる。
「なにやってんだ。お頭に怒鳴られるぞ」
「ふん、殺しやしねえよ。だが、死なない程度に仲間の仇を討たせてもらうってことよ」
 男はそう言って馬を引き、〈地獄の鍋〉の崖っぷちまで来ると、そこで馬の尻に剣を突き立てた。痛がった馬はのけぞり、そのまま〈地獄の鍋〉の崖を滑るように降りていくと、狂ったように疾走していった。
「化け物は化け物に面倒みさせればいいんだよ」
 男はそう言って自分の馬にまたがり、先に行った仲間たちの後を追って走り出した。
 少女を乗せた馬が痛みに我を忘れ、〈地獄の鍋〉の砂漠をどこまでも走っていく。その姿が熱い砂漠の空気にさらされ、陽炎のようにゆらめいているころには、照りつける太陽は空のいちばん高いところでギラギラと燃えていた。日中は摂氏四十度を超える灼熱地獄。生き物の姿はなにひとつない。なにひとつ見えないのだと、中央諸世界連合の書物には書いてあったはずだった。

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