第十四話:飛影

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 長らく灰色の雲に覆われていたアジェンタスの空が、二日ぶりに晴れ間を見せた。アジェンタシミルとそれに隣接する街を散々蹂躙し、焼き尽くした炎が空に昇ったために降った、煙と灰を含んだ質量の重い雨が止んだあとも、アジェンタスの悲劇を嘆くかのようにぐずついていた空だったが、少しでも太陽が顔を見せただけで打ちひしがれた人々に力を与えるようだった。
 アジェンタス騎士団の生存者や、中央から派遣されてきた騎士団によって瓦礫の撤去作業もずいぶんはかどり、倒壊した建物の下敷きになったと思われる行方不明者も次々と運び出されていた。身元の確認が取れて家族の了承を得た遺体が、黄土色の仮設の天幕から運び出されていき、荼毘に付され、あるいは丁重に埋葬されていく。けが人もまた応急処置を受けて、動けるようになった者たちが次々と自力で天幕を出ていき、騎士団の作業に力を貸すようになっていった。広場に張られた天幕の数は、一度は本当に足の踏み場もないほどにまでのぼったのだが、そうやって徐々に収容する人間たちがいなくなったことでたたまれていくことも多くなっていた。
 少しずつではあったが、総督府周辺が息を吹き返したように思えてきたころだった。
 黒い中央特使の戦闘服を着た若者が、足早に広場歩いていく。まだ撤去作業が完全に終わっておらず、ゴロゴロ地面に転がる瓦礫を面倒くさそうによけながら、若者はひときわ大きな天幕を目指していた。対策本部の置かれる天幕であった。つい昨日まで来訪していた中央特務執行庁長官ラファエラ・フォリスター・イ・ワルトハイム将軍や、その副官であるマクナマラ准将をはじめとする要人と、聖騎士団の臨時作戦会議室もここに置かれていた。
 若者は天幕にたどり着くと、入り口に垂れ下がっている布地を乱暴に開けた。その瞬間に天幕の中から白い煙が吹き出してきて、度肝を抜かれる。
「うわっ! なんだこりゃ。火事か!?」
 若者は布地をぱたぱたとやりながら中を覗き込んだ。
「ああ、すまんすまん。ちょっとそこ、開けといてくれ」
 中から目的の人物の声がしたので、若者は驚いて声を張り上げた。
「パラディン・レイザーク!? なんです、この煙は!?」
 名前を呼ばれたレイザークはけげんそうに若者の顔を見つめる。レイザークは天幕の中で仮設ベッドに寝そべって、煙草をふかしているところだった。地図の広げられた机の上には、煙草の吸い殻が山盛りになった灰皿が置かれている。こんなときに呑気に煙草を吸ってくつろいでいたのかと、若者はレイザークを睨み付けた。
「なんだ、そんな怖い顔すんなよ。ちょっと一服してただけだ」
 レイザークは難儀そうにベッドから身体を起こし、吸っていた煙草を山盛りの灰皿に押しつけた。上のほうに乗っていた吸い殻が落ちて、机の上が灰らだけになったので、レイザークはそれを一吹きして払った。特使の若者が顔をしかめているのにもおかまいなしのようだった。
「なんだ、そんなところに突っ立って。なんか用事があったんじゃねえのか」
 レイザークに言われて、若者はようやく本来の目的を思い出したようだった。改めてレイザークに敬礼をすると、
「は。先ほどゼニス付近で、火属性のモンスターが結界を破って大量にわき出てきたとの報告を受け取りました。封印解呪の影響で暗黒の炎の結界が弱まっているためと思われますが、ご指示を」
 ワルトハイム将軍ら中央の要人が帰った後は、聖騎士団に後処理が任され、レイザークが代理で指揮を執ることになっていた。レイザークはふんと鼻を鳴らし、それから机の上の地図を見つめた。ゼニスとはほとんど全焼したヴァランタインの隣の町で、だだっ広い草むらがちょうど町の真ん中にある。モンスターが結界をくぐり抜けて来るにはうってつけの場所だ。
「火の術法か……。苦手なんだよなぁ」
 地図を睨みながらひとりごとのようにつぶやく聖騎士の姿に不安を覚えながら、特使の若者は辛抱強くレイザークの指示を待つ。レイザークはアジェンタス騎士団の生存者と中央から派遣されてきた騎士たちのリストをしばし見つめ、それから特使を振り返ると、
「アジェンタス騎士団で動ける人間は何人だ?」
「は、作業に関わっていない者ですぐに出撃できるのが百五十名ほどです」
「ではそいつらを三班に分けて、お前ら特使もそれぞれ均等に三分割しろ。聖騎士団からは俺とあと五人つける。三つに分けたらそれぞれに水の術法が得意な中央の術者を五人ずつつけてやれ。装備を調えさせて一時間後にはこの天幕の前に集合させろ」
「了解しました」
 そう言って特使の若者は再び敬礼をし、背を向けようとする。だが、レイザークがまた煙草に火を付けるのを見て、彼は呆れたようにため息をついて天幕を出ていった。支度をするわけでもなく、指示を出したらすぐまたなにごともなかったかのように一服の続きとは呑気なものだ。こんないい加減な聖騎士でだいじょうぶかと不安になりながら、彼は仲間の特使たちの天幕に走って指示を伝えた。
 きっかり一時間後、アジェンタス騎士団と聖騎士、中央特使、術者の混在する総勢二百五十人を越える即席の軍隊が招集され、本部天幕の前にずらりと並んだ。銀の甲冑を身につけ、巨大な剣を背負ったレイザークは大あくびをしながら天幕を出て、その蒼々たる眺めを堪能した。焼けこげた町中に映えるアジェンタスのえんじ色の戦闘服と、中央特使の黒い戦闘服、術者の白いローブに聖騎士たちの銀色の甲冑、それはとても色鮮やかな光景であった。
 参加する騎士たちへの申し送りはとうにすんでおり、あとは作戦を説明すればいいのだが、こういった場でのえらぶった演説が苦手なレイザークは仲間の聖騎士にそれを任せ、自分は出撃する騎士たちを遠巻きに眺めることにした。同僚の聖騎士が作戦を説明している最中、レイザークは整列した騎士たちの横をぶらぶらと呑気に歩くのだが、二メートルを超す巨体であるうえに銀色の甲冑が歩くたびにガシャガシャ鳴るので、近くにいた騎士たちが迷惑そうに彼をチラチラ見やる。レイザークはおかまいなしにぶらぶら歩いて並んでいる騎士たちの顔を眺めた。そこで、彼は特使の列に並んでいる金髪の青年を見つけて顔をしかめた。
 火傷と剣の切り傷であちこち血まみれのまま天幕に運び込まれているのを見たとき、最初は誰だか分からなかったのだが、ロクランで数ヶ月前にのしてやったあの鼻持ちならないやんちゃ坊主だということに気がついて、レイザークは不謹慎ながらもその場で大笑いをしたのだった。当然、看護に当たっていた騎士や術医の間から厳しい叱責の視線を投げかけられたのだが、神々のいたずらというのは本当に劇的なものだと彼は思ったのだった。
「なんだ坊主。もう具合はいいのか」
 レイザークは作戦を熱心に聞いているセテに声をかけた。じゃまをするなと言わんばかりに睨み付けるように振り返るのだが、まだ青年の顔が青白いのが気になる。
「おかげさまで」
 セテは無表情のままそう言い、また作戦を説明する聖騎士に視線を移した。坊主と呼ばれたことに腹を立てているようにも見えたので、レイザークは小さく鼻で笑った。
 先日までまだ右肩がうまく動かないのだと担当していた術医から聞いていたが、それを押してまでモンスターの掃討作戦に参加するなんて、強がりもいいところだろう。現に顔が青白いのは、相当な痛みに耐えている証拠なのではないかとレイザークは思う。
 完治もしてないってのに弔い合戦のつもりか。けなげなこって。
 口には出さなかったが、レイザークはそう思いながら肩をすくめた。そういえばと、レイザークは自分の指揮する小隊のリストにあの青年の名前が載っていたのを思い出し、なぜそのときに取りやめさせなかったのか少しだけ後悔したのだったが。
 今回の掃討作戦で分けられた三つの班は、アジェンタス騎士団に習って色の名前が付けられた。すなわち、レッド隊、グリーン隊、ブラック隊といった具合だ。前衛は聖騎士が担当し、アジェンタス騎士団員を挟んでその後ろに中央の術者たちが、そしてしんがりをセテたち特使が担当している。二百五十名の軍隊ではあったが、ゼニスまでは徒歩で行軍していくことになっていた。さほど距離がないというのもあるが、アジェンタス騎士団の馬屋が焼け落ちてしまったために、出撃する騎士をまかなえるほどの馬がいないのだ。それに、短時間で終わることが予測されていたために、携行食を持ち歩く必要がないためだ。
 アジェンタス騎士団ではモンスター掃討作戦の際にはおよそ二日の遠征が必要とされていた。そのため、携行食と水、寝泊まりするための装備を馬に引かせていた。アジェンタス騎士団内に術者がいないこと、そして聖騎士のような魔法剣士がいないため、平均でもモンスター討伐に二日を要していた。
 実際のところ、アジェンタス騎士団員の中には今回の作戦に聖騎士が同行することに、少しだけ負い目を感じている者もいるようだった。魔法剣士がいれば、もう少しアートハルクの軍隊をうまく退けられることができたのではないかというのが彼らの言い分だった。
 セテはその考えには賛同していたが、間近で聖騎士を見ることがとても苦痛だった。自分との実力の差を、また見せつけらるような気がする。なにもできなかった自分と違って、彼らはモンスター相手でもずっとうまく立ち回るに違いない。そう思うと、表情がますます硬くなるのが自分でも分かっていた。
 だがそれでも、何もしないでベッドに寝ているよりはずっといい。なにかをしていなければ、死んでいった人間たちの恨めしげな声が聞こえてきそうで怖かった。
 ピアージュを失い、上司や仲間を失い、母と故郷を失った。自分に残されたものは、もうなにひとつないのだ。
 自分がどれだけ非力で役に立たない存在なのかがいやというほど身にしみる。すべてを奪ったアートハルク帝国軍を指揮していたアトラス・ド・グレナダにまでも、殺す必要はないと情けをかけられたのだ。死んでいった大切な人のために一矢も報いることができずに、あんな屈辱的な負けかたをして。剣士にとって腕を封じられるというのは最低の負けかたであるにもかかわらず、とどめもささずに放っておかれたのだ。これ以上、自分になにがあるというのだ。
 どうでもいい。ただ、めちゃくちゃに剣を振り回したい。振り回して、自分がまだ生きているのだということを感じたい。戦いの高揚感に身を任せて、何を失ったのかすらも忘れてしまいたい。
「作戦の概要は以上だ。それでは出撃!」
 鋭い号令に我に返ったセテは、移動を始めた先頭の騎士たちに続いて歩き始めた。無意識に腰に下げた剣を掴むのだが、それが使い慣れた飛影《とびかげ》ではないことに改めて気付いて気が重くなる。帰る場所を失ったばかりか、最後に残された父の形見までを失ったのだ。
 中央から臨時に支給されたこの幅広の剣は、ブロードソードと呼ばれチタニウムでできている。とても軽くて扱いやすいのだったが、飛影のあのずっしりとした質量や、細かく細工された美しい柄と鍔、細くて長い切れ味のいい刀身と比べてしまうとどうしても野暮ったさを感じてしまい、同時に物足りなさも感じる。それだけでも十分にやる気を萎えさせるのであったが、いまはなんでもいいから剣を振り上げたかった。
 焼け落ちたヴァランタインを横切り、ゼニスに到着した一行は、町のど真ん中に位置する草原の中空に大きな結界のほころびを目の当たりにする。この草原は環境保護の一環で残された自然公園の一部で、セテも幼い頃はここで暴れ回ったものだった。それがいま結界を突き破って飛び出してくるモンスターに蹂躙されているとは。
 ほころんだ結界は赤黒い稲光をはじけさせながら大きく口を開けていた。なにもないはずの中空にぼっかりと開く暗黒の口の向こうは、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》が発見したという「虚数空間」なのだという。汎大陸戦争後、フレイムタイラントをはじめとするモンスターの実体はすべて虚数空間と呼ばれる、いわば異次元の世界に封じられたはずだった。しかし、モンスターの属性に見合った封印の力が弱まり始めると、こうやってほころびから抜け出てきた輩がこの世界で実体化する。そして汎大陸戦争中、あるいは戦争前にそうだったように、人間に対して攻撃を開始するのだ。攻撃用に開発されたと言われる彼らの戦闘能力はとても高く、その鋭い爪や牙を武器にしたり、ときには低いレベルではあるが術法で攻撃をしかけてくる。厄介なものであるが、こうしたモンスター退治は騎士団の立派な仕事のひとつであった。
 一行は指示どおりに聖騎士を前衛に、魔法障壁を築きながら構える術者たちを守るように剣を構えた。避難勧告で住民が避難していたために人の気配がほとんどなかったので、モンスターたちはまるでその場で固まったように待機していた。火の属性を持つモンスターらしく、全身から炎のような揺らめきを発する、大きな鴉のような姿をしていた。だが、敵意をむきだしにしてやってきた人間たちの気配で、再び戦闘意欲がわいたようだった。モンスターたちは一斉に羽ばたいて中空に舞うと、まるで合図をされたかのように騎士たち目がけて急降下してきた。
「父なる御方の名において、水の加護を!」
 中央から派遣されてきた水属性の術法を操る術者たちが、一斉に呪文を詠唱した。水の色を暗示する淡いブルーの光が炸裂し、前衛を守る聖騎士たちに降りかかる。水の属性を利用して、火の勢いを半減させる魔法防御の一種であった。セテも訓練中に何度か術者を交えた術法戦を経験したことがあったのだが、十五人もの術者が一斉に術法を発動させる光景はとても壮観であった。
 セテは剣を抜いて身構え、急降下してくるモンスターたちの動きに集中した。周りにいる特使の連中も同様に身構えている。こうしたモンスター討伐でもない限り、中央特使が大勢集まって共同で何かをすることは滅多にないので、彼らがみな少し居心地が悪そうな顔をしているのが滑稽だった。
 鴉の姿をしたモンスターの第一陣が前衛の聖騎士たちに襲いかかっていくのが見えた。自分の小隊のいちばん前で聖騎士レイザークが余裕の構えで立っているのが、セテのいる列からもよく見える。もうあと数メートルも距離がないというのに、あの聖騎士はなぜあれほど余裕で立っていられるのか、セテは剣を構えながらその様子をうかがっていた。
 レイザークは聖騎士の標準装備である銀色の甲冑を自分なりに改造しているらしく、ショルダーパッドは標準よりもかなり大きめになっている。ガタイがいいのはもちろんなのだが、肩を振り回しただけで十分攻撃力を発揮できるような感じもする。肘あてには先のとがった牙を付けていて、剣を振り回した拍子に味方を引き裂きそうだ。さらに、背中には常人には両手で持つことすらかなわないほどの、とても幅の広い巨大な剣を担いでいる。剣までも自分の体型に合わせて作らせたに違いない。巨体の発する威圧感も相まって、歩く装甲馬車といった風情であった。
 確かロクランで決闘騒ぎを起こしたとき、レイザークがあの剣を「デュランダル」と呼んでいたことをセテは思い出した。大昔の書物に出てくる、妖精が鍛えたといわれる剣の名前だ。酔狂な名前を付けたものだと、セテは半ば呆れたように聖騎士の後ろ姿を見守った。
 レイザークは背中に担いだ剣の柄を掴むと、待ってましたとばかりににやりと笑った。そしてぐいと勢いを付けて剣を鞘から引き抜くと、重金属がすばやくこすれ合う小気味よい音とともに、伝承に残る剣と同じ名を持つ巨大なその剣が姿を現す。剣の中央から左右の両方に刃を付けてある諸刃の剣ではあるが、その大きさからだと斬るというよりは叩き潰すといったほうが正しい。当然、すぐそばまで迫っていたモンスターの一群は、勢いよく抜かれて遠心力のついた刃に捕らえられ、その頭を叩き潰されるか、あるいはまっぷたつに切り裂かれ、地面に叩きつけられるのだった。
 ロクランでレイザークに食らった剣圧のすごさは、セテもいまだに忘れることはできなかった。巨大なあの剣はリーチの長さも手伝って、抜いた瞬間からセテを吹き飛ばしていたのだ。
 しばし戦闘中であることも忘れて見ていたセテだったが、周りを見ると、仲間の騎士たちも見とれたように動きを止めている。無理もない。あれほどの剛剣の使い手を間近で見るのは、みな初めてなのだ。レイザークはあの大剣を片手で振り回しながら、器用に術法を展開していた。聖騎士が優秀な剣の使い手であると同時に、さらに優れた術法の使い手でもあることを再認識した瞬間だった。
「なにボヤッとしてやがる! お前らも働け!」
 聖騎士レイザークに一喝され、後ろにいた騎士たちが我に返る。セテも気を入れて剣を握り直した。そしてレイザークの剣と術法を逃れたモンスターの脳天目がけて剣を振り上げる。骨を断つ鈍い音とともにまっぷたつにされたモンスターの血が頭上から降り注ぎ、金色だったセテの髪が血に染まる。アジェンタス騎士団でも当たり前のモンスター討伐での振る舞いだったが、セテはそこで自分の身体に異変が起きていることを感じ取っていた。
 剣を振るうとき、常に始まる耳鳴りがますますひどくなっていくのが分かった。それが破鐘のように頭の中で響き出すと、それに乗って心臓が激しく脈打ち、全身を血液が逆流するような熱い感覚が駆け抜けていく。急激に身体の内側から外に向かって大きく膨れあがっていく、激情。怒りともまた違う、甘美な快楽。甘い血の香りに当てられて頭の芯がしびれてくるこの感覚には、身に覚えがあった。めちゃくちゃに剣を振り回して、人を殺したくなる衝動だった。
 コルネリオの配下の術者を斬り殺し、コルネリオを切り裂き、アートハルク帝国の兵士をなぎ払ったときの、見境なく剣を振り上げて暴れ回る狂戦士《ベルセルク》の予兆そのもの。
 唐突に頭の中に広がる、何度となく悪夢で見た血だまり。自分がこれまで振るってきた剣に倒れた人間たちの顔が、交互にフラッシュバックし始めた。その中で、悪夢に出てきた黒いマントとフードをかぶった男の姿がしだいに大きくなっていく。
「これはお前が殺してきた人間たちの葬列だ」
 耳元でコルネリオの声が笑ったような気がした。
──違う! 俺は人殺しなんかじゃない!
 セテは剣を振り上げようとする左手を押さえながら叫んだつもりだった。だが、周囲の喧噪に紛れてそれは声にならないつぶやきのようなものだったに違いない。血の臭いに踊らされる剣士の血が騒いで、確実に自分の意志とは関係なく暴れ回ろうとしている。
 いやだ。あのときのような感覚を、二度と味わいたくない──!
「おい! なにやってる!」
 剣を持つ左手を抱え込むように突っ立っていたセテの背後から、怒鳴り声があがる。だが、セテはその声も耳に届かないのか、青白い顔で自分の手に握った剣を睨み付けたままだった。
「くそ! この馬鹿野郎が!」
 レイザークの声だった。彼はセテに駆け寄るのが間に合わないと踏んだのか、その場で魔法障壁を作り出す呪文を詠唱し、セテの頭上に解き放つ。間一髪、頭上に飛来していたモンスターの火炎術法が、緑色の光に遮られ、セテの真上ではじき返された。ひるんだモンスター目がけてレイザークは大剣に術法を乗せ、振り払う。衝撃波でモンスターの身体が粉みじんに吹き飛んだので、レイザークはしてやったりと唾を吐いた。
「馬鹿野郎! なにボサッと突っ立ってやがる! 死にてえのか!?」
 頭上で炸裂した術法にも気付かない様子で立つ青年のすぐ脇に駆け寄ると、レイザークはその胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。行軍前の申し送りのときよりもずっと青ざめ、冷や汗をかいている青年の姿に、レイザークは眉をひそめる。胸ぐらを掴まれてもこちらを見ようとしない青年に、ただならぬ気配を感じてレイザークはしばし言葉を失った。だが、
「……おい!」
 もう一度レイザークが胸ぐらを掴んだまま青年の身体を揺すると、セテはそのまま糸の切れた人形のように崩れ落ちた。






 ゼニスのモンスター討伐は、およそ二時間後に収束を迎えた。結界の外で息絶えたモンスターの死骸もきれいさっぱり消えた後、ほころんだ結界は、中央から派遣されてきた術者たちの集約型術法により再び強化された。何人かの騎士たちをゼニスの現場に配置させ、一行は死者も出さずに無事にアジェンタシミルに帰還することができた。ただひとり、戦闘中に倒れたセテを除いては。
 レイザークはいらだっていた。戦闘中に何もしないでぶっ倒れるような剣士が、自分の小隊にいたことに非常に憤っていたのだ。帰還後、点呼と報告を終わらせて部隊を解散させると、レイザークはガシャガシャと大袈裟に甲冑を鳴らしながら、総督府前の広場に仮設された作戦会議用の天幕へと急いだ。
 解散の号令がかかった後、気が抜けたのか何人かの特使がブラブラと歩きながら話をしている。レイザークはその横を黙って通り過ぎるはずだった。だが、
「さっき戦闘中にぶっ倒れたってのがトスキってやつだろ」
 そこでレイザークは足を止め、自分の後ろで小声で話をしている彼らの言葉に耳を傾ける。
「ワルトハイム将軍のお墨付きってわりにゃ、たいしたことねえな」
「でもよ、なんでもアジェンタス騎士団に出向中は、ずいぶん活躍してたみたいじゃねえか。スナイプス統括隊長直々の治安維持隊でも大活躍って話は聞いてるし、中央騎士大学時代の成績ってのも、上位五指には入ってたって聞いたぜ」
「でもまぁ、出向解除で特使に戻ってから、たいした仕事もしてねえみたいだしな。どんなに腕がよくたって、実戦で役に立たないような特使じゃしょうがねえよ」
 特使たちはくすくす笑いながらそう言い、レイザークの脇を通り過ぎていった。
 レイザークは天幕に戻って来るなり甲冑も脱がずに、アジェンタス騎士団の事務局長に命じてセテの個人データを持って来させた。ロクランの中央騎士大学時代からアジェンタス騎士団出向中、そしてアジェンタスで中央特使として活動したすべての記録だった。
「ふん、それなりに剣は振るってきてやがるじゃねえか」
 レイザークは資料に目を通しながら煙草に火を付けた。
 確かに中央騎士大学中の成績はたいしたものだった。剣技、スピード、戦術に関する基礎知識をはじめとする剣士としての一般常識はいわずもがな。聖騎士になるための最低限の条件のひとつである、レベル3の術法がマスターできていないことだけが悔やまれるほどだ。中央特務執行庁の実技試験での彼の技術に関しては、義姉にはああいったものの、その目で確かめたレイザーク自身は非常に満足していた。また、出向という形ではあったが、アジェンタス騎士団でのモンスター討伐における活躍もめざましいものだった。スナイプスが自分の直下に引き入れる決断をしたというのも頷ける。あのガラハド提督までもが、彼に対してはかなりの評価を下していたというのが、手配してもらった資料から十分伺えた。それ以降、元アジェンタス騎士団のひとりであったカート・コルネリオの事件でも大いに活躍している。彼自身が書いた報告書は、とてもできのいいものだ。
 それが、こんなちっぽけなモンスター討伐で、どうして何もせずにぶっ倒れるようなことになるのか。
 レイザークは首をひねりながら資料をめくり、灰の落ちそうになる煙草をあわてて灰皿に押しつけた。ページのいちばん後ろには、参考資料としてセテの身上書が添えられていた。
 セテ・トスキ。神世代一七九年三月十六日生まれ。二十二歳。血液型はB型。アジェンタス騎士団領ヴァランタイン出身。家族構成は母とふたりきりの母子家庭。
 ヴァランタイン生まれ……か。レイザークはまた煙草に火を付け、身上書を眺めた。そういえば、トスキという苗字もこのあたりではずいぶん珍しいのではないかとぼんやり思いながら。
「トスキ特使、参上いたしました」
 天幕の外から声が聞こえたので、レイザークは資料を机の上に乱暴に置き、声の主に入ってくるように促した。こわばった表情のセテが天幕に入ってきて、緊張した様子でレイザークに敬礼をする。
「具合はもういいのか」
 レイザークは煙草をふかしながら入ってきた青年に声をかける。
「はい。ご迷惑をおかけしました」
 セテは無表情のままそう言った。確かについ先ほどまで青白い顔をしていたのだが、仮設の医務室で休んだためにずっとよくなっているようだった。
「ケガが完治してないんじゃないのか。そんな身体で戦闘に参加して、いったいどういうつもりだ」
 レイザークは厳しい口調でセテに尋ねた。座っていても十分威圧されるほどの存在感を放つ聖騎士にそう言われ、セテの身体がぴくりと震えた。
「ケガは……たいしたことありません。ですから剣を振るうには問題ないと自分で判断しました。アジェンタスを守るために作戦に参加するのは、私の義務です」
 数ヶ月前にロクランで立ち回りをしたときにはずいぶん無礼な口を利いていたのだが、ここではレイザークが指揮官とあって、珍しく敬語で話している。レイザークはそれを鼻で笑うような仕草で一蹴すると、
「ではなぜ戦闘中に何もしないでぶっ倒れる。完治していると思っているのは自分の判断だと言ったな。勝手な判断なんかで、自分の身もロクに守れないクセに戦闘に参加して、周囲に迷惑をかけるのが分かっていたはずだ」
 言われてセテが歯を食いしばる。なぜ倒れたのか、それはケガのせいでないことは分かっていた。だが、それを口に出して言うのが怖い。いつかのときのように、自分が剣を振るうことを恐れているのだということを、誰にも知られたくない。
 答えられないセテを睨み、レイザークはまた新しい煙草に火を付けた。大きく吸い込んで煙を盛大に吐き出すと、
「完治するまで戦闘に参加することは許さん。俺はお前の直属の上司でもなんでもない、ただの聖騎士だ。指揮系統も違うからお前をどうこうする権限は持ち合わせていないが……とりあえず休職願を出しておけ」
 レイザークがそう言うと、セテは驚いたように目を見開いた。
「俺が……! 俺は大丈夫です! 今回は不覚でしたが、次は……!」
「聞こえなかったのか。休職しろと言ってるんだ。はっきり言って足手まといだ」
 厳しい口調でそう言われ、セテの顔が屈辱で赤くなる。ここまではっきり言われたのは初めてだった。
「……そんな顔すんな。俺もお前が憎くて言ってるわけじゃねえ。だがな、戦場で味方に守ってもらわなきゃ満足に戦えんようなヤツはいらん。仲間の足をひっぱるってのがどういうことか、お前も分かってんだろ、小僧」
 うつむいたままかすかに震えるセテを不憫に思ったのか、レイザークが少し和らいだ口調でそう言った。
「……小僧、じゃない。セテ・トスキだ」
 うつむいたまま憎まれ口を叩くので、レイザークは少し笑った。そして椅子から立ち上がり、拳を握りしめているセテの肩をポンポンと叩いてやりながら、
「ま、そういうこった。とりあえずしばらく休職して頭を冷やしたらどうだ。アートハルクの連中とやりあったときの傷、まだ癒えてねえだろ。弔い合戦もいいが、今度戦場でぶっ倒れたとき、運良く魔法障壁を築いてくれる術者が近くにいるとは限らねえんだからな」
 セテは力無く頷き、そして天幕を後にしようと背を向けた。その背に、レイザークは思い出したように声をかける。
「あ、そういえば坊主、俺を捜しているって言ってたな。なんだ、また剣の勝負でもしたいってか?」
 セテは振り返り、おどけたような口調でそう言うレイザークを睨み付けた。
「違う……違います。あんたに聞きたいことがあったんだ」
「ほう」
 レイザークは珍しいものでも見るような顔つきでセテを見つめた。
「なんだ、聞きたいことって」
「……その……」
 いまさら何て聞けばいいのだろうか。セテは戸惑う。あんたについて知りたい、とか、聖騎士についてもっと詳しく知りたいとか、十七年前にヴァランタインに来たときの話をしてほしいとか、アジェンタスを休暇で離れるときに考えていた「聞きたいこと」が濁流のように押し寄せてくる。一週間の間に探せるとは思ってもいなかったが、まさかこんなところで、こんなときにパラディン・レイザークに再び会えるなんて思っても見なかった。何から聞けばいいのか自分でも分からない。
 そのとき、天幕の入り口が開いて中年の男が入ってきた。
「ああ、パラディン・レイザーク、ここでしたかい」
 男は安心したようにため息をつき、そして手に持っていた細長い包みをレイザークに手渡す。
「頼まれていた剣、できましたぜ」
 男は鍛冶師らしかった。細長い包みの中には、剣が入っているようだ。
「お、もうできたのか。早えェな」
 恭しく差し出す男の手から包みを受け取ると、レイザークはうれしそうに男に笑いかけた。
「あんたの頼みだってんで、こちとら大急ぎで他の仕事を中断しちまったからな。これがあんたじゃなかったら、あと一、二週間は待ってもらってたはずだがね。ま、確かめとくれよ」
 セテはそのまま天幕を出ていくつもりだったのだが、なんとなくタイミングが悪くてその場を動けずにいた。しかたなくレイザークが包みを開けるのを眺めることにする。
 薄いグレーの布に巻かれているのを、レイザークは丁寧な手つきではずす。中から出てきた刀身を見つめ、満足そうに頷いた。
「どうだい。欠けたところを継ぐなんてことやってるあちこちのぼったくりの店と違って、きれいなもんだろ。刀身はすっかり取り替えちまったからね。こんないい剣を折っちまうなんてもったいない。今度は大切に使ってくれよ」
 鍛冶師の男はそう言うと天幕を出ていった。その後ろ姿に軽く手をあげ挨拶を返してやると、レイザークはグレーの布を完全にはずし、中の剣を掴んで振り上げて見せた。そこでセテは目を見張る。細長く美しい刀身、金糸とターコイズと黒の糸がきっちり巻かれた柄、ターコイズと金で象眼された見事な鍔、それはまさしく、アトラスとの戦いで折れたはずの父の形見、名刀・飛影そのものだった。
「それ……!」
「ん?」
 セテが口を開いたので、レイザークが振り返る。振り返って見る青年の表情が驚愕のまま固まっているのを見て、レイザークは手に持った剣と彼の顔を交互に見やった。
「それ……どこで……」
「ん? ああ、これな。拾ったんだ。きれいな剣だろ。こんな立派な剣が折れるまで戦った剣士ってのは、死んじまったのかと思ってな。折れたままにしとくのももったいなかったから、その剣士に敬意を表するってな具合で、さっきの鍛冶屋に頼んで復元してもらったんだが」
「……それ、俺のだ……!」
「……なに……?」
 セテの言葉に、レイザークは耳を疑った。金髪の青年は睨むような目でレイザークを見つめ、そしてもう一度同じ言葉を繰り返す。
「その剣は、俺のだ」
「なん……だって……? 馬鹿なこと言うな、これは……」
「返せよ。その『飛影』は俺がこの間アートハルクのヤツと戦って折った……俺の親父の大切な形見だ」
「親父って……お前、まさか……」
 睨むセテを見つめ、レイザークは神々の気まぐれの恐ろしさを実感していた。トスキという苗字が生粋のアジェンタス出身の人間にはいないことに、もっと早く気付くべきだった。それにパラディンになった人間は、その称号を返上しない限り苗字を名乗ることはない。気付かないのも当たり前だ。
 十七年間、一日たりとも忘れることのなかった友人の姿を、レイザークは今はっきりと思い浮かべることができた。目の前に立っているこの青年こそが、あのときの、あいつの忘れ形見だったとは。

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