第二十八話:復讐の叫び

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「くそったれ……!」
 セテは飛影《とびかげ》の鞘を剣帯に結びながら小声で悪態をついた。
「くそったれ! くそったれ! くそったれが!」
 何度も何度も悪態をつき、そして大袈裟にため息をつきながら前髪をかきあげる。隣でスナイプスが小さくため息をついた。
「……俺だってショックだ。ガラハド提督だってずっと……」
 スナイプスが言いかけたが、セテにものすごい顔で睨まれたのでその先をつぐむ。
 ふたりはピアージュの転移術法に乗り、数時間前、少女が生け贄に捧げられた広間の大扉の前に座り込んでいた。汎大陸戦争前、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》の利用していたというかび臭い地下道。ほのかに緑色の光を放つ物質で形作られた扉の向こうでは、コルネリオがいまもなお、暗闇の中で息を潜めて悪夢をはぐくんでいるに違いない。ガラハド提督とワルトハイム将軍の援軍が到着するまで、ここに待機しているしかないということにも、セテはひどくいらだっていた。
 イーシュ・ラミナの禁断の魔法、霊子力炉。人間の生体エネルギー=霊子力を、フレイムタイラントを封じた要石からわき出るエネルギーの力を借りて増幅し、攻撃力・防御力に変換する恐るべき装置である。増幅された霊子力は鉄壁の防御と絶対的な攻撃力を誇る。すなわち、絶対物理障壁はどんな攻撃をも防ぎ、緑色の光に触れた者を容赦なく溶かしつくす。しかし、霊子力の限界を上回るエネルギーを必要とすると、代替として肉体の物理的エネルギーを消費する。台座の女性の両腕や下半身がないのもそのためだった。
 過去二百年間、度重なる内乱や侵攻を防ぐため、そして我々のふだんの生活をまもるために、人知れず生きている人間を犠牲にしていたのだ。イーシュ・ラミナの遺産が、これほど衝撃的で嫌悪感を与える忌まわしいものだったとは。
 ガラハドの苦悩もわからなくもない。騎士団長に就任して以来、ずっと良心の呵責に苦しんできたに違いないのだから。だが、それではいいようのないこの憤りは誰に向ければいいのか。
「……あの台座の女性はな……コルネリオの妹なんだとよ」
 スナイプスがぽつりと言う。セテは驚いて顔を上げ、スナイプスを見つめる。
「……どんな気分なんだろうな……肉親があんなふうにされちまうってのはよ」
「……俺には関係ない……」
 セテはスナイプスの言葉に冷たく言い放った。
 だからなんというんだ。コルネリオは俺にとって最大の敵。オラリーを狂わせ、レトを自決に追い込んだ張本人。他のことなんかどうでもいい。俺はレトの仇をうってやりたいだけだ。
「……時々、俺もよくわからなくなるときがある」スナイプスがため息をつきながらぽつりとそう言った。
「なにが正しいのか、誰が正しいのか、ってな。コルネリオにとっては俺たちは絶対的な悪だし、俺たちにとってはコルネリオは絶対的な悪。どちらの側もお互いにとって最大の悪なんだからな、どうにもならん」
 スナイプスはおどけたように肩をすくめて見せた。セテはスナイプスの仕草を無視し、固く閉ざされた大扉を睨み付けるだけだった。スナイプスはまた小さくため息をつき、それから、ブーツの底に隠された発光エッグを取り出してみせる。暗闇に反応するそれは、すぐに薄明るい光に包まれた。
 が、スナイプスの手の中でそれは炎を吹き出して燃え上がった。「あちっ」とスナイプスは悪態をつき、即座に放り投げる。その直後、扉の脇で隠れていたふたりを雷撃が襲った。
「くそ! 見つかったか!」
 スナイプスが人ごとのように悪態をつくのをみて、セテは心の中で「あんたのせいだろ」と舌打ちしながら剣を抜いた。
 ふたりの目の前に、白いローブを着込んだ術者が三人、転移してきた。術者たちは小声で呪文の詠唱を続けながら、複雑な法印を両手で結んでいる。スナイプスはかけ声とともに剣を術者の脳天に振り下ろした。血しぶきがあがり、ほかのふたりの術者がひるんだ隙に、スナイプスは刃を返して斬りつける。短い悲鳴とともに、白いローブを赤く染めた術者が大袈裟にのけぞり、倒れた。
 間髪入れずに違う術者たちが飛び出してくる。術を放たれる前に斬り殺さなければ、ふたりに勝ち目はない。スナイプスはセテをかばうようにして前に出た。セテはというと剣を鞘に収め、飛び出してきた術者の顔をさんざん殴り、膝でとどめをさしているところだった。
 スナイプスは間合いを詰め、術法を詠唱しようとした術者の胸元に剣を突き立てる。術者は口から血を吐き出し、驚愕のまなざしで自分の胸に刺さった剣を見つめる。が、それはすぐに不敵な笑みに変わった。
 術者が血を吐きながらも術を完成させる最後の音を発音すると、スナイプスと術者の間に小さな爆炎があがった。
 スナイプスは至近距離で火焔術法を浴び、倒れた。即座にそれを狙って、ほかの術者がたたみかけるように術を詠唱しはじめる。
「隊長!!」
 セテは叫び、とっさに術者に剣をなぎ払う。小さく悲鳴をあげ、のけぞる身体。もうひとり、術者が法印を結んだまま後込みをしているのを見て、セテは剣を前に突き出した。見事に心臓をひと突きされた身体は、声を上げることもなく後ろに倒れた。
 セテは足下に転がった死体を呆然と見下ろし、血塗れの飛影(とびかげ)をおそるおそる持ち上げてじっと見つめた。
 飛影。セテの愛刀であり父の形見でもあるそれは、無慈悲な光をたたえながら、いま吸い上げた人の血をしたたり落とす。それはさながら、大昔のおとぎ話に登場した吸血鬼だ。
 そしてもう一度、セテは地面に倒れた動かぬ肉体を見下ろす。かつて生きていた、人間だったもの。血を流し、ものも言わずに横たわる、ただの肉の塊──。
「……助かったぞ、トスキ。よくやった」
 術法で焦げた服をぱたぱたとはらいながら、スナイプスがセテに声をかけた。セテは驚いたように統括隊長を振り返り、そして声も出さずにふるふると首を振った。
 ──はじめて人を殺した。これまでモンスター相手に剣を振るい、散々経験は積んだつもりだった。だが、生身の人間を殺すことはなかった。──できなかったのだ。
 足が震える。心臓がパンクするのではないかと思うくらいの早さで脈打ち、血管の中を血液が逆流する。それに反して血の気は引いていき、そして唇が、口の中がカラカラに乾いていく──。
「おい!」
 スナイプスに腕を掴まれ、セテは我に返った。ひどく顔色の悪い、いまにも貧血で倒れそうな青年の様子に、スナイプスは眉をひそめた。
「……大丈夫だな?」
 念を押すようなスナイプスの言葉に、セテは頷く。
「大丈夫……大丈夫です……!」
 噛み締めるように自分に言い聞かせ、納得させるようにセテはつぶやき、スナイプスの顔を見つめ返した。安心したようにため息をつくスナイプス。しかしそれも束の間、目の前で固く閉ざされていた大扉が耳障りな音をたてて開き、中から二十人は下らないであろう術者の大群が顔を出した。
「くそ! 今度は人海戦術かよ!」
 統括隊長は悪態をつき、術者軍団に先手を仕掛けた。セテもその後に続く。前方の術者を斬って捨てるが、後方にいる術者たちは共同で物理障壁を形作っているため、なかなか刃が届かない。
 目の前で氷の結晶が次々と結合されていくのが見えた。水の攻撃術法の発動に違いない。その前にセテは間合いを詰めようとするが、小さな爆炎に阻まれ、それもままならなかった。
「トスキ!」
 スナイプスが叫んだ。次の瞬間、セテを巨大な氷のヤリが襲う。通路の壁に叩きつけられたばかりでなく、腕や足、脇腹をかすめた氷の刃がセテの肉を引き裂いた。続けて第二波の襲撃。見事に右肩を貫いた氷のヤリは、さながら昆虫標本をピンで留めるかのごとく、セテを壁に縫いつけていた。
「くそっ!!」
 スナイプスが吼え、術者の一群に斬りかかる。しかし、同様に氷の刃にはじき飛ばされ、スナイプスはしたたかに壁に頭を打ち付けるハメになった。それを見届けると、術者たちは再び強力な攻撃術法の詠唱に入る準備を始めた。
 ──頭の奥でガンガンと警鐘が鳴り響く。試合の前や実技試験の前の、心地よい耳鳴りとは比べものにならないほど、重く、激しく響き渡る金属音。早打ちする心臓の鼓動に合わせて、それは次第に大きくなっていく──。
 血が流れる感触。貫かれた右肩からは感覚が失せ、意識が遠のいていくのに反して、感性だけがとぎすまされたような感覚を覚える。そして逆流していく血液に乗り、白熱したエネルギーが体中を駆けめぐっていく。口の中はカラカラに乾いていた。セテは右肩に手をやり、そしてその手にべっとりとついた血糊を確かめた。その血は、ひどく熱かった。
 
 熱い……血が流れる……
 熱く……膨れ上がって……
 
 ──爆発する──!!
 
 その瞬間、膨れ上がった熱が身体の中ではじけ、セテの視界に入るものすべてが白い強烈な光に包まれていた。
 セテは叫び声をあげながら、身体を縫いつけていた氷のヤリから身体を引き剥がした。傷口から血が吹き出るのもかまわず、セテは一気に身体を引き抜き、剣を構えて再び獣のようなときの声をあげた。それを見た術者たちが一瞬ひるんだのを見逃さず、セテは瞬時に間合いを詰めていた。
 目にも留まらぬ素早さで近づいたセテは、おののき、物理障壁を築くのを忘れた術者の頭上に剣を振りかぶった。脊髄が切断された鈍い音がして、ごろりといくつもの首が地面に転がっていった。
「トスキ!!」
 スナイプスは痛む頭を押さえながら叫んだが、その間もセテは次々と、まるで狂戦士(ベルセルク)のごとく術者たちを切り倒していた。恐るべきスピード。これまでもセテの素早さは目にしてきたが、その比ではない。敵を切り倒すごとに吹き出る血を頭から浴び、悪鬼のような表情で剣を振るうさまは、まさしく、戦いに明け暮れるベルセルクそのもの。
「キレやがったか!」
 スナイプスが心配していたのはまさにこの事態であった。人を殺す瞬間のある種の快楽を、いつかセテも経験するに違いない。だがそのとき、はたして正常でいられるかどうか──!!
 最後の術者が悲鳴をあげてのけぞり、倒れた。信じられない光景であった。先ほどまでふたりがかりで苦戦していたというのに、二十数人の術者の一群を斬り殺してしまうとは! しかし、セテはそれを見届けることなく、その奥で待つコルネリオを追って走り出していた。
「待て! トスキ!!」
 スナイプスは叫び、身体を起こして走ろうとしたが、さきほど壁に激突した衝撃で足下がふらつき、地面に膝をついてしまう。
「……くそっ! 俺もヤキが回ってきたか!?」
 唾を吐いて悪態をつこうとしたそのとき、
「セテ!」
 突然、目の前に暗殺者の少女の姿が現れた。ピアージュは扉の前に倒れるいくつもの死体や、転がった首を見て一瞬息を飲んだ。それから、膝をついてうめいているスナイプスに駆け寄ると、肩を貸して彼が立ち上がるのを助けてやる。
「どうしてここにいる、嬢ちゃん。ワルトハイム将軍に拘束されてたんじゃないのか」
 やっとの思いで立ち上がったスナイプスが、苦笑しながら少女に問う。
「セテ、セテはどこ?」
 少女はその問いを無視して辺りを見回す。すぐに遠くの通路からやってくる複数の足音がし、アジェンタス騎士団の制服と中央特務執行庁の紋章の入った戦闘服に身を包んだ一団が扉の前に到着した。
「この小娘が! 勝手に転移なぞしおって!」
 将校のひとりが、ピアージュを見つけるやいなや飛び出してきた。ピアージュは統括隊長の巨体に隠れるように後ずさったが、スナイプスが将校をなだめすかしたおかげで事なきを得た。
「おじさん、セテはどこ!?」
 おじさんと呼ばれていささかスナイプスはムッとしたが、いまはそれどころではない。
「あのバカが、キレやがって単独行動だ! 頼む、俺と一緒に来てくれんか?」
 大柄な統括隊長が少女に問うが、彼女がそれを断るわけはなかった。
 スナイプスの指示で騎士団と特使の軍隊は二手に分かれて進むこととなった。大扉の向こうはセテが斬り殺したと思われる術者たちの死体以外なく、がらんどうだった。それは数時間前の生け贄の騒ぎのときに確認済みだったが、その奥にはその時には気づかなかったいくつもの小部屋があった。騎士団一行は扉を越え、奥へと足を進める。
「……すげぇ……これ、全部ひとりでやったのかよ……」
 扉の周辺に転がる死体を見ながら、騎士団のひとりが誰に言うとなくつぶやいた。辺りは一面血の海。アジェンタスでの事件とさほどかわりないほどの惨劇を目の当たりにして、誰もが身震いしているのが感じられたが、スナイプスは彼らをひと睨みして黙らせた。小部屋のほうは騎士団たちにまかせ、点々と続く血痕の先にセテが無事でいることを祈りながら、統括隊長はピアージュを連れて走り出した。






 右肩や術法で引き裂かれた脇腹から流れ出る血と、斬り殺した敵の返り血で上半身を真っ赤に染めたセテは、荒い息を吐きながらゆっくりと小部屋の奥で待ちかまえている扉を目指して歩いていた。貫かれた右肩のおかげでほとんど右腕の感覚はなくなっていたが、手のひらの銀色の傷跡が熱く、鋭い痛みを発しているのだけは伝わってきていた。
 突然セテを雷撃が襲う。しかし、その直前に銀色の傷跡が鋭く痛んだおかげで、それをすんでのところでかわすことに成功したセテは、闇に潜んでいた術者に詰め寄り、問答無用にその脳天に剣を突き立てた。短い悲鳴とともに術者は倒れ、またセテは返り血を浴びることとなる。
 髪まで赤く染まった彼を見た者は、もはやセテの明るい金髪の色すら思い出せないだろう。髪の房からぽたぽたと人の血を滴らせ、肩で息をしながら歩くさまは、まさに地獄の悪鬼そのものであった。セテが歩くたびに、床に点々と血の跡が続く。
 セテは扉にたどり着くと、足で乱暴に蹴り開けた。セテは確信していた。この扉の中でコルネリオが待っているに違いないと。
 部屋の中はアジェンタス側の霊子力炉の部屋と同じく、緑色の光に包まれていた。大きくうねるような音が傷口にしみる。そしてその部屋の台座の中央には、白いローブにくるまれた銀色の女性を抱く、コルネリオの姿があった。
「来たな……トスキ……」
 コルネリオは低くつぶやいた。数時間前にセテの飛影《とびかげ》の一撃で右腕を失った彼は、痛みにゆがんた表情でセテを見下ろし、そしてその血塗れの姿に眉をひそめた。
「まるで狂戦士《ベルセルク》そのものだな。どんな気分だ? 人の血をすすり、人を殺す悦びを知った今」
 コルネリオは鼻を鳴らした。セテは無言で飛影を構え直し、ゆっくりとコルネリオに近づく。
「君はこう言いたいんじゃないかね。お前の薬が俺をこんなふうにしやがったんだ、と。それは違う。私のせいにして自分を正当化したいだけだ。それこそが、人間のご都合主義というやつだよ。さぁどんな気分だか聞かせてくれたまえ」
「黙れ!!」
 セテはコルネリオ目がけて剣を振るったが、直前でそれははじき返されてしまった。コルネリオの物理障壁だった。
「まぁ待て。私はもう長くはない。抵抗するつもりもないが、その前におしゃべりをさせてくれたまえ」
 コルネリオは腕の中の銀髪の女性の髪をなでた。銀色の女神は、瞳を固く閉じたままだった。
「すでに聞いているだろう。彼女は私の実の妹だ。私は知らなかった。私だけではない、アジェンタスの人間すべてが知らなかったことだ。ただひとり、時の提督、グレインを除いては……な」
 コルネリオは不自由な左手だけで女性を抱え直し、そして台座に座り直した。
「六年前まで、私とガラハドはよきライバルであり、親友同士であった。お互いを信頼し、尊敬しあい、我々ふたりが次期騎士団長候補にあがったときには、お互いこそがふさわしいと譲り合ったものだよ。美しい、実に美しい友情だったよ。そしてグレイン提督がまさに引退するというとき、彼は我々にひとつの宿題を出したのだ。これから見ることを口外しないこと、そしてもし騎士団長に就任したとしても、その罪の意識に耐えることができるかどうかをじっくり考えろと。それが霊子力炉だった。霊子力炉の存在は、過去二百年間、時の騎士団長、すなわち提督だけにしか知らされることはなかった。そう、そのときまで私は知らなかったんだ。霊子力炉の中心にまつられているのが、二十年前に行方不明になった自分の妹だということを」
 コルネリオの絞り出すような声に、セテは剣を下ろした。怒りが消えたわけではなかったが、彼の震える声からわき出ているいいようのない怒りが、胸につきささってひどい痛みを発していた。
「そのときまで、私は自分が偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》の血を引いている人間だともしらなかった。私は悩み、苦しみ、そして二十年前に家を出ていった父親のことを思いだした。父親──アンドレイ・ポルナレフは知っていたのだ。自分の娘が、私の妹が二十年前に霊子力炉を支えるための犠牲になったことを。父親を探し、彼とアジェンタシミルの慈善病院で再会したときには、ひどい錯乱状態だった。たまに正気に戻ると、二十年も昔の、まだ私たち家族全員が幸せだったころの話ばかりしたがる。そして人間の魂を集めれば、神々への道が開かれるなんていうとんでもない妄想にとりつかれていた。
「私はアジェンタス騎士団を離れ、あるひとつの決心をした。そこに至るまでの苦悩は、君に話してもわからないだろう。ひとことで言えば復讐だよ。イーシュ・ラミナの悪しき遺産に力を借りて生きながらえている人間に、アジェンタスに、騎士団長に、どれだけの憎しみを抱いたか、おそらく君みたいな若者には理解することすらできんだろうがな。
「長い時間をかけ、いくつもの網を張り替え、そして私はこの時を待っていた。我が妹をこの手に取り戻し、そしてアジェンタスそのものを、イーシュ・ラミナの遺産ごと葬り去ることを」
 コルネリオは妹の頬に愛おしげに手をやり、銀の長い髪をすいてやる。
「妹は……ハルナは二十年前に行方不明になったときのままだ。要石のおかげでな。本当にあのときのまま美しい……。その私がどれだけ妹を愛していたか、君にはわかるまい。外道と言われても畜生と言われてもかまわなかった。私は、本当に妹を愛していた。父親やほかの人間を道具のように使うこともいとわない。彼女をこの手に取り戻すためならなんだってやる。
「私は狂っているのだよ。アジェンタスを恐怖に陥れ、君たちが右往左往して血の海をのたうち回るさまが見たかった。血の海から私はアジェンタスの霊子力炉に対抗しうるだけの人々の魂を集めた。そして、その霊子力を利用して、妹を蘇らせるつもりだったのだよ。アジェンタスの霊子力砲のおかげでこちらの霊子力炉はずたずただが、まだできることはある。無知で野蛮な人間のために、失われた時間と肉体を元にもどすには、さらなる人間の魂が必要だからな」
 セテは剣を握り直したが、その手が震えてうまく構えられなかった。それは怒りとも、嫌悪感とも違うものからくる震えだった。生理的な恐怖感、おそらくそれにほかならなかった。
「……だから……だからレトを利用したのか。自分の愛する人間を取り戻すために。レトやオラリーや、ピアージュや……言われもなく殺されたアジェンタスの人間を、自分の妹のためだけに利用したってのか……!」
「だから言っただろう。私は狂っているのだと。では君に質問しよう。こうした恐ろしい装置を生み出したイーシュ・ラミナはなんだ? 君の敬愛するレオンハルトや、救世主をはじめとするイーシュ・ラミナとは、いったいなんだ? 答えは簡単だよ。残虐で好戦的で、神をも恐れぬ非道な人種だ。汎大陸戦争が、イーシュ・ラミナの私利私欲から生まれたものだということすら、君たちは知らないだろうがな」
「……ウソだ……!」
「ウソではない。君が知らないだけだ。見目麗しく、知的で不思議な力を自在に操る超人類とは名ばかり。見た目の美しさで人心を惑わす、常に血を求めてやまない残虐な狂戦士《ベルセルク》が彼らの本性だ」
「ウソだ!!」
 コルネリオの言葉を遮り、セテは叫ぶ。信じたくない。信じるものか。そんなのは狂人の戯言だ!
「君は信じたくないだろうな。レオンハルトにあこがれて聖騎士《パラディン》を目指しているのだからな」
「……なぜ俺を知っている。俺の父のことも、なぜ」
「君のことはすべて知っているよ。『青き若獅子』」
「……なに?」
 コルネリオはポケットを探り、小さな四角いケースを取り出すと、それをセテに放って投げた。セテはそれをうまくキャッチできず落としそうになってあわてたが、見ると透明なガラスのような四角いケースに、ぼんやりと光る球体が収められているものであった。
「君はまだ知らなくてもいい。それは『神の黙示録』の一部だ。君に預けておこう」
 コルネリオはいたずらっぽく笑うと、妹ハルナを抱えて立ち上がった。
「さあ、おしゃべりはここまでだ。邪魔はしないでもらおう」
「ふざけるな!!」
 セテが再び剣を握り直して斬りかかったときには、再びコルネリオと銀色の女神の立つ台座の周りには絶対物理障壁が築かれていた。部屋のなかのうねりがいっそう大きくなった。
「霊子力レベル八十パーセント。これだけあれば妹を蘇らせてもなお、アジェンタスを道連れにできる」
「ふざけんな! 絶対、ぶった斬ってやる!!」
 斬りかかるセテを襲うコルネリオの攻撃術法。セテは壁に叩きつけられ、起きあがろうとした瞬間を狙って再び攻撃術法で叩き伏せられた。空間に浮かび上がった平面図には、アジェンタスの首都アジェンタシミルの全土が映し出された。その横で、目盛りがものすごい勢いであがっていく。
「コルネリオ! きっさまあっ!!」
 歯ぎしりをしたセテが叫んだそのとき。
「やめて!!」
 鈴の鳴るような声。コルネリオもセテも、その声にぴたりと動きを止める。コルネリオの腕に抱かれていた銀色の女神、ハルナが目を見開いてセテを見つめていた。
「お願い……! 青年よ、私を……私を殺して……!! アジェンタスを救って!!」
 彼女の声とともに、台座を覆っていた絶対物理障壁が消えた。それを確認したセテは、飛影を構え直し、かけ声とともに台座のふたり目がけて剣を突き出した。
 鈍い音。飛影の切っ先は、銀色の女神の身体を突き抜け、コルネリオの胸に突き刺さっていた。その瞬間のハルナの安らかな表情を、セテは一生忘れることはないだろう。
 スローモーションのようにコルネリオの腕から離れていく銀色の女神。サーシェスと同じ銀の髪が緑色の光に映し出されて、死してなおそれはとても美しかった。
「……人間が……!」
 コルネリオは胸を押さえながら低くうめく。
「人間がどれほど罪深いかを知るがいい……私は死しても、今日のこのできごとは永遠にお前の魂を呪うだろう。血にまみれた戦士よ、お前の魂は、今日この日から、永遠に血塗られたままだ!」
 セテは無表情のまま剣を握り直し、そしてとどめの一撃を見舞うべく、コルネリオの頭上に振り上げた。
「は……ははは……そうとも、お前は人の血にまみれ、血と死骸の海を永久にはいずり回るだけさ」
「……黙れ……!」
「さあ、殺すがいい! 血まみれた『青き若獅子』よ。お前の呪われた人生を、私が祝福してやろうぞ!」
「黙れ!!」
 剣を振り下ろすときの空を斬る乾いた音。飛影はコルネリオの肩口から心臓を見事に切り裂いた。どす黒い血が噴き出し、そしてコルネリオの口から口笛にも似た空気の音がしたかと思うと、元アジェンタス騎士団長の身体は冷たい床にどさりといやな音をたてて倒れ、動かなくなった。
 その直後、霊子力炉は強烈な緑色の光を発し、白熱した光の柱に包まれた。セテは爆発の危険を察知して身を翻すが、霊子力炉は暴走して爆発することもなく、白い光が薄れたときにはすでにものいわぬオブジェとなり果てていた。
 やがて徐々に壁に埋め込まれていた機械の明かりが消えていき、最後には暗くなった部屋の中で緑色の液体を運ぶチューブだけが、淡い緑の光を発しながらもの悲しげにぶらさがるだけとなった。
 セテはため息をつき、そして血にまみれた飛影を見つめた。急に右肩の感覚が戻ってきたのか、貫かれた傷口がものすごく痛み出した。剣を振り払うが、そこにべったりと付着した血糊はなかなかとれなかった。血に濡れた固まった前髪を掻き上げ、部屋を出ようとしたそのとき、
「お前の父親は生きている」
 背後からの声に驚き、セテはもう一度剣を抜いて構えた。だが、部屋の中にはコルネリオとハルナの遺体しか見あたらない。
「よく覚えておけ。そして真実を見極めるがいい。お前の父親は生きている。生きているぞ!」
 コルネリオの声か!? まさか、死人がしゃべるとでも?! そんな馬鹿な。
 カタリと物音がしたのでセテはひどく驚いて振り向き、そしてこの部屋の片隅に倒れる老婆の姿を発見した。
 齢百はゆうに過ぎているであろう、薄汚れたしわくちゃの肌をした醜悪な老婆は、部屋の片隅で水晶玉をしっかりと握ったまま倒れていた。セテは老婆に駆け寄り、その身体を抱え起こしてやる。ひどくやせ細った身体で、まるで骸骨のようだ。
「……よい……霊子力炉のなくなった今、わしももうすぐに死ぬ……」
 老婆はセテの手を弱々しく振り払いながらそう言った。息も絶え絶えで、彼女の言うとおり、死期が近づいているのだろう。
「……お若いの、コルネリオを殺したのかね。その血の臭いを嗅げばわかる。もうわしは目がよく見えん、耳も聞こえんのでな」
 老婆の懐から、レトやオラリーの部屋から見つかった金色の救世主の紋章を印刷した紙の束が出てきた。セテは身をこわばらせ、老婆の白く濁った瞳を覗き込んだ。
「コルネリオに禁呪や霊子力について教えたのはわしじゃ。お前の友人たちに強烈な暗示をかけたのも、このわしじゃ。どうじゃ、憎かろう?」
 ほとんど歯のない口をゆがめて、老婆はさも愉快と言わんばかりに笑って見せた。
「……イーシュ・ラミナの……なんと罪深きことよ。わしはイーシュ・ラミナが自分たちを守らせるために作った従属人種の末裔じゃ。強大な魔力と知恵を与えられておきながら、永遠に近い日々をひとりで生きることのつらさを、彼らは知っていたのじゃろうな……」
 老婆は誰に言うとなくつぶやいた。その盲いたまぶたからは、涙がこぼれ落ちていた。
「お若いの。よく覚えておくがいい。コルネリオからの遺言じゃ。お前の父親は生きておる。そしてこれから先、目にするもの、耳にするものだけを真実と見極めることなかれ。すべては……『神々の黄昏』の中にあり」
 そう言うと、老婆の首がかくりと傾いだ。腕の中の水晶玉がころころと床に転がっていった。セテは玉の転がる軌跡を目で追いながら、もう一度血塗れの自分の姿と、台座に横たわるふたりの死体を交互に見つめる。水晶玉は血の海にさしかかってもなお転がり、床には引きずったような血の跡が延々と続いていた。






「セテ!!!」
 扉の向こうから元気な声がして、ピアージュがすぐに駆け込んできた。そして、血塗れのセテの姿を見て一瞬息を飲む。頭からつま先まで、人の血にまみれた恐ろしげな剣士の姿がそこにあった。
「……セテ……?」
 ピアージュはおそるおそるうつむいたままのセテに声をかける。
「……だいじょうぶ……終わった……終わったんだよ……」
 セテは小さく頷き、まるで自分に言い聞かせるようにそう言った。しかし、顔はうつむいたまま、決して目の前のピアージュを見ようとはしなかった。
「セテ……?」
 ピアージュがセテの顔を心配そうに覗き込む。セテは即座に背を向け、壁際の機械の残骸にもたれかかった。
「……泣いてるの……? セテ……?」

 すべては終わった。レトの仇もうった。
 それなのに、どうして涙が出るんだろう。
 この涙は、いったいなんだろう……。

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