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[つれづれコラム]

コンテンツを作る人とそうでない人の意識の乖離(かいり)

 実は先日、本サイトのほうをようやくXHTMLと外部CSSで記述するという大リニューアルをやってのけたところでして、このサイトに書いてあることも若干手直ししたいし、XHTMLで書き直したいし、さらには大幅な方向転換もしたい、なんて思っている根性なしの管理人です。
 いやぁ、前々からXHTMLとCSSでのデザイン&コーディングに完全移行したいなぁとは思っていたのですが、知識不足と時間不足、気力不足で先延ばしになっていたところだったんです。でもまぁ、時代の流れといいましょうか、根性でとりかかって苦節二ヶ月、ようやく完成しました。生まれたはじめて書いたXHTML、いろいろとツッコミどころは満載のはずですが、とりあえず少しは以前よりまともな文書構造になったかなと。

 さて、XHTMLとCSSによるデザイン&コーディングについてはほとんど知識がなかったので(前職ではXHTMLに関する特集を担当したことあったのにこのザマっす)、知れば知るほどおもしろいこの世界、ドツボにはまる覚悟でいろいろ書籍を購入したりWebサイトを見て回ったりしました。奥が深くておもしろい! と同時に、あることに気付いて私ははたと考えました。
 世の中にXHTMLでの記述の正当性を語るサイトは多かれど、どうしてそこに書いてあるコンテンツとコード(コーディング)の親密さについて語るサイトはないのだろうか。あるいは、どうして文書構造の正しさをだけを全面に押し出して、そこに書かれているコンテンツ(文書の中身)と見せ方について語らないのだろうか、どうして文書構造についてのみ批判をする人が多いのだろうか、と。
 私の持論はこうです。
 Webサイトは、ソースだけではなりたたないし、コンテンツだけでもなりたたない。そこにあるコンテンツをいかに効果的に魅せるかを考えて、最善のコーディングを行うものであり、どちらかひとつを取りざたすべきではない、と。

 文書構造、つまりフォーマットにのっとった書式でものを書くということは、HTMLやXHTMLに限らず、私たちの日常生活でたいへん重要なことです。例えば区役所に届け出る転居届や婚姻届などのもろもろの届け出には、用意されたフォーマットに必要事項を書いて提出しなければなりませんし、企業であればプレゼン資料や企画書など、それなりのフォーマットが準備されていてそれを提出するようになっています。フォーマットに沿っていないものが受理されないということもあるでしょう。定型のフォーマットで、漏れのないよう記述してもらわうことで大量の文書をさばく作業効率をアップさせたり、フォーマットを統一させることで「ああ、あれはあの(企業の)文書だな」という認識をさせるためです。
 いまでは「ホームページ」を構成するインターネット向けの記述、とされているHTML、XHTMLですが、HTMLは「Hyper Text Markup Language」の略語であることから分かるように、文書から文書へのリンク構造(これをハイパーリンクといいます)を持ったテキスト文書です。インターネットにかぎらず、ローカルマシンや社内ネットワーク、ファイルサーバー上などなどで、さまざまなファイルにリンクできる、ひと昔前なら夢のようなフォーマットだったのです。
 もともとHTMLは、研究論文などなどのテキストを効果的に(効率よく)見せることが想定されていたようです。テキストのみである論文などでは本文タイトル、目次、見出し、本文、引用などなど、紙の書籍での見せ方と同じような文書構造がたいへん重要となってきますし、それ以上に別の文書へリンクして親子関係を紐づけたりできるるようになればたいへん有用です。そこで、HTMLの中でテキストのみでも文書の扱いの大きさ(といっていいのかどうかわかりませんが)や重要性を視認できるようにするため、見出しを意味するH要素、本文の段落(パラグラフ)を意味するP要素、改行を意味するBR要素、引用を意味するBLOCKQUOTE要素、順序のあるリストを作るUL、LI要素、他の文書やファイルへのリンクを可能にするA要素、文責を意味するADDRESS要素などなど、基本的な文書構造を持つタグ(要素)が定義されました。HTMLの黎明期は、味気ないけれどもこれらの基本的な要素だけで、ソースを見てもブラウザで見ても文書構造が分かるように書かれていたのです。
 やがてHTMLもバージョンがあがり、ブラウザもテキストだけでなく画像やさまざまなフォーマットのファイルを扱えるようになり、これらをリンクしたり取り込む(いわゆるプラグインでのファイルの組み込みですね)ことができるようになりました。いまでは画像を使わないWebページのほうが珍しいくらいです。Webサイトはとても華やかに、動的に、私たちに「視覚的イメージ」でうったえかけるようになってきたのです。

 そんなふうにWebページが発展し、爆発的に普及したいま現在、Webサイトを作っている人のうちどれくらいの人が、その「文書構造」とやらを念頭にHTMLを書いているでしょうか。ほとんどの人は念頭に置くどころか、HTMLにそんな定義がなされた要素があることすら知らずに書いている人のほうが多いでしょう。いえ、書く、というのも語弊があるかも知れません。いまではHTMlを知らなくてもWebページを作れるすばらしいソフトウェアが山ほどあるのですから。
 それでは、文書構造が正しくないからそのサイトに書いてることは正しくないのでしょうか。答えはもちろん「ノー」です。
 ここで最初の私の持論に戻ります。Webサイトは、ソースだけではなりたたないし、コンテンツだけでもなりたたない。そこにあるコンテンツをいかに効果的に魅せるかを考えて、最善のコーディングを行うものであり、どちらかひとつを取りざたすべきではない。

 世の中にはHTMLやXHTMLなどの正しい書き方を伝授するサイトが山ほどあります。また、デザインティップスを紹介するサイトも山ほどあります。そして私には、なぜか両社の間に近寄りがたい高い壁があるように思えるんです。
 前者の正しいマークアップ(記述)を解説するサイトでは、デザイン重視で画像を多用し、文書構造的に意味のないソースを書く後者のデザイン寄りの考え方を否定することが多く、そして後者のデザイン寄りのサイトでは、正しいマークアップを解説するサイトのいわんとしていることを理解しようともしません。もしかしたら理解しているのかも知れませんがね(^ ^;;(私もその気持ちはよくわかります。理解していても、見せることが彼らの仕事なわけですからソースうんぬんの話は別のレイヤーなわけです)。
 どちらがよくてどちらが悪い、とは私は言いませんし、どちらの言い分も私は理解しているつもりです。ですが、私はどんなにいいソースを書いていても、どんなにいいデザインをしていても、そこにあるコンテンツのよさを知り、コンテンツの見せ方をしらないうちは、どちらの話題にも触れるべきではないのではと思います。
 ソースもデザインも、そこにコンテンツがあって初めて生きてくるもので、コンテンツなくしてやれ「なんちゃってマークアップ」が悪いだの、やれデザインが悪いだの、それこそ本末転倒では?と思うのです。見せたいコンテンツがある。だからこういうデザインで効果的に見せ、それをHTMLで実現するために最善を尽くしたマークアップをする。Webサイトに限らず、本でも映画でも絵画でも、順番は「先にコンテンツありき」だと思うんです。言い方は悪いのですが、コンテンツを作らない(作れない)人の作ったソース「だけ」やデザイン「だけ」は、何も伝えられないものだと思うんですよね。どちらも情報(コンテンツ)を伝達するうえで欠けてはいけない重要なファクターなのに!

 いいわけをしますと、私は文書構造の正しさを理解していて、できれば自分の持っているコンテンツを正しくマークアップしたいと考えています。ところが、これをしてこなかった理由は以下のとおりです。
 ひとつは、既存のHTMLでは、自分のコンテンツがより魅力的に見えるデザイン(ここでは見栄えの意味でのデザインです)が実現できないため、あえて文書構造的に意味のないTABLE要素でレイアウトをした。
 もうひとつは、自分は見栄え(デザイン)重視でいきたいというポリシーを昔から持っていた。だからフォントや色遣いにも気を遣いたかったが、現行のHTMLでは文字詰め、フォント指定もままならず、かといってカスケーディンスタイルシート(CSS)でのスタイルはあてにならないし、場合によってはブラウザのレンダリングでクライアントマシンに想像以上の負荷をかけてしまう。だから重要な(目立たせたい)箇所に画像を使ってきた。
 たったこれだけの理由です。自分なりにコンテンツの魅力的な見せ方とマークアップの重要性とのせめぎあいの中から得た打開策が、「文書構造をまったく無視したコーディングをする」というところに落ち着いたわけです。
 個人的には見やすいソース(あえて正しいとは言わないところがアレ)を書くことに命をかけているので、できれば文書構造的に正しいソースを書いていきたいと思っています。ただ、それはあくまで理想論であって、正しいHTMLで自分の持っているコンテンツを効果的に見せることができないのであれば、多少の例外的記述もありではないかと。
「そんなことまで分かってるならやめればいいじゃん」という人もいるかもしれません。が、世の中文書構造が重要だというコンテンツがどれほどあるか逆に知りたいくらいです。例えばWebの仕事で要求されるHTMLでは、文書構造の正しさなどたいして重要視されていません。企業の視覚的カラー・イメージ・トーン、万人に同じように見えるマークアップ、誰でも更新が可能なソース、画像を多用して視覚的に訴求するチラシ的な効果、こういったものが満たされていれば、文書構造なんてはっきり言って(発注する側も)重要視していないのが現状です。
 こうしてみると、私はやはりデザイン重視の考え方なのかもしれませんね。散々前回のコラムで「ソースが汚い!」とかいっておいて(笑)。まあそんなもんだ。
 まぁなにがいいたいかというと、コンテンツを作ることなくソースだけを書いている人やデザインだけを創る人と、コンテンツとソース、デザインすべてを含んだサイトを作る人(もっといえばそれでメシを食っている人)との間には、奇妙な意識の乖離があるなぁと思ったわけですね。だって、どちらもWebでは情報を伝達するのに不可欠な要素で、どうしてふたつがうまく融合できないんだろうかと。どうしてひとりの人がそれらすべてを包括したサイト構築をできないんだろうかと。
 これからWebサイトを作りたい、もっと技術的に発展したいと思っている人には、どちらが正しい、どちらが不要とかそういうことではなく、それらすべてを包括してデザイン(構築)して、よりよいコンテンツの見せ方を学んでほしいなぁと思います。


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