Home > 小説『神々の黄昏』 > 第三章:死せる夢見の大地 > 第二十三話:青き獅子と赤き竜 前編
一筋の光が暗闇を走る。続いて、ふたつ、みっつ。光は走るごとに文字列に姿を変え、複雑な数式となって流れるように落ちていく。
ほの暗い空間の中で光の奔流のような数式が現れては消え、消えては現れる。その光陰は闇よりも暗いガートルードの黒髪と、透き通る白磁の肌を緑色に染め上げている。
ガートルードは、部屋の中空に浮かぶスクリーン内をせわしなく走り回る長い数式の数々をじっと見つめていた。その傍らでは白衣を着た老科学者ベルーゾーが、キーボードに指を走らせたり、ときに顎に手を当てながら流れる数式を眺めたりしている。
「先ほど瞬間的ではあるものの、セフィラに接続を試みようとしたパケットを感知しました。すぐに切断されていましたが、パケットの量から考えると、メタトロン級の端末を誰かが起動したのではと考えられますな」
初老の科学者が手元のモニターのログをスクロールさせながらそう報告した。ガートルードはわずかに頷き、
「大戦終結後、テオドラキスが封鎖・管理していたのを、救世主《メシア》一行がアクセスしたのだろう。旧世界《ロイギル》の真実を目の当たりにした頃かもしれんな」
「軌道修正用演算がものすごい勢いで加速してますな。ここであやつらが真実を知る筋書きにはなってなかったのかも」
そう言って、ベルーゾーが小さくため息をつく。
「我々の行動基準を知ってもらうことに不都合はない。そしてサーシェスが拒んでいる以上、我々の戦略でしか太刀打ちできないのが存分に理解できたことだろう。それに」
ガートルードは己の黒髪を少しかきあげた。
「サーシェスはすべてを話すことはできない。話せば、自分たちの存在意義に価値がないことを仲間たちが知ってしまう」
「アトラス様に黙っておられたのはよくなかったかもしれませんな。軌道修正用演算処理が働くとはいえ、アトラス様も不確定要素のひとつ」
「私たちは運命に抗う者であり、運命に流される者でもある。軌道修正用演算の高速処理を分岐させられればそれでいい」
「……御意」
ベルーゾーは胸に手を当て、異論のないことを示した。
「アトラスが知る真実は、試練のひとつだ。赤き竜として青き若獅子に挑むための」
「アトラス様の腕が青き若獅子よりも劣ると? ご本人が聞けば烈火のごとく怒ることでしょうな」
「青き若獅子がアトラスの足下にも及ばないのは一目瞭然、だからアトラスも時期がくるのを待っていた。青き若獅子が力をつけるのをね。赤き竜は青き獅子と対の存在。惹かれあい、必ず激突する。そう運命づけられている。そして、アトラス自身もそれを望んでいる。私に止める理由はない」
ガートルードの見透かしたような笑みがベルーゾーに向けられる。ベルーゾーは小さくため息をついた。
「火焔帝の盾となる者、赤き竜──。〈神の黙示録〉はいったいどこまで拡張していくのでしょうな」
「〈神の黙示録〉第三章の断片だけでは、我々はほんのわずかな真実しか知り得ることができない。三つを復元して完全に〈あれ〉を撃破するまでは、惑星防御を固め、〈神の黙示録〉の尻馬に乗るのもよしとしなければ」
ガートルードはそう言って、スクリーンを走る軌道修正用演算処理と三次元進数を見つめた。
夕日を押しつぶすビロードのような夜の帳《とばり》が降りきった中を、一頭の早駆け獣が疾走していく。林道に敷き詰められた枯れ葉を踏みしめる蹄の音が、両側に立ち並ぶ木々の幹に反射して乾いた悲鳴を上げていた。アトラスの羽織る黒いマントの裾と赤褐色の髪が激しく揺れる。
しばらく馬を駆ると、林道の先が開けているのが見えた。先ほど立ち回りの相手をした男のいうとおり、〈土の一族〉の末裔が住む集落は確かにそこに存在した。林道を抜けたアトラスは馬の手綱を引いて速度を落とし、集落を囲う柵が張り巡らされた入り口付近で辺りを見回した。エルメネス大陸にも見られる小さな集落は中央諸世界の主要都市に比べて遙かに貧しくみすぼらしいことが常であるが、辺境におけるこうした集落はさらに前時代的な印象をもたらす。だが、どこか牧歌的な、懐かしく温かい印象があるのはなぜだろうとアトラスは思うのだった。
中央の主要都市であれば、この時間の大通りにはいくつもの露店や居酒屋が煌々と明かりを灯し、大勢の客でにぎわうのだったが、この集落の主要な通りといえばいま来た林道に続く一本が奥へと続くのみ。露店もなく、食事処が一軒ひっそりとたたずんでいる。客は数人いるようだが、やはり辺境の夜は早いとみえて、賑わっているという状態ではない。
馬の蹄の音に気付いた店主が扉から顔を出した。年配の好々爺然とした親父で、馬に乗った客の気配を察知する能力についてはたいしたものである。
「食事と宿ならすぐにご用意できまさぁ」
店主は馬上のアトラスの姿を見た瞬間に、にっこりと笑ってそう言った。つられて、アトラスのかたくなな表情も少し和らいだ。
「あとで寄ろう」
「おひとりですかい? こんな時間だ、明日にでもなさったらどうですかね。だいぶお疲れのご様子」
「用が先だ。ランカスターという刀鍛冶師がこの集落にいたはずだが……知っているか」
アトラスがそう尋ねると、店主は少し警戒した様子で、
「知り合いですかい? それとも……」
「恩人だ。すでに亡くなっていることも知っている。墓を見舞いたい」
「なるほど」
店主は少し安心したような表情を見せた。
「もう誰も住んでませんがね。この先を三ブロックほどいった十字路を右に曲がって、道なりにしばらく行けばランカスターの家がある。奥方とジャスティンの墓もそこに。だがそれこそ明日にでもゆっくり墓参りすれば……」
「礼を言う。すぐ戻る」
アトラスは手綱を握って馬を走らせた。
店主のいうとおり道なりを走って行くと、両側に立ち並ぶ家の明かりが途切れるところで小高い丘に続く道が見えた。日中であれば集落や木々を見渡せる絶景だったろうに、夕闇の中にあっては深淵に立ちすくむような感覚が襲ってくる。
ほどなくして、ランカスターの館の屋根が見えてきた。立派な門構えから、集落の中でもかなり裕福な暮らしをしていたとみえる。だが誰も住んでいないこともあって外観は、それは哀れなほどに荒れ果ててしまっていた。
アトラスは門の前で馬を下り、門柱に馬をつないだ。錆びた鉄の表面がぼろりとはがれ落ちた。こじんまりとした庭は春先ともなれば美しい花たちが咲き乱れていたであろう、いまは風雨にさらされ、きれいに整備されていたはずの煉瓦も土と一緒に崩れてしまっている。
アトラスは庭から玄関へと続く道を静かに歩き、扉に手を掛けた。鍵はかかっておらず、甲高くきしむ木の大扉がゆっくりと開く。埃とカビの臭いが混じった空気があふれてきたが、アトラスは気にすることなく足を踏み入れた。廊下に溜まった埃が舞う気配は、暗い室内でもはっきりと感じられた。そしてすぐ左手に折れると、刀鍛冶師の工房があった。
この家の主であった刀鍛冶師ジャスティン・ランカスターの仕事場は、主を失い、埃をかぶっていてもそのままの姿を残していた。窓ガラスから月明かりが差し込み、鍛冶師の仕事道具や部屋全体を優しく照らしあげている。月の光を受けた埃はさながら雪が舞うようである。
アトラスは、ここで生前のジャスティンが自分の持つレーヴァテインをはじめとするさまざまな名刀を手がける様子に思いをはせ、腰に下げた鞘を愛おしげに指でなぞった。生きている間に会うことは叶わなかったが、自分の命を守る愛刀を作った恩人であるとともに、愛した娘の父親であるジャスティンが、とても近しい存在に思えたのだった。
ふと顔を上げれば、壁にしつらえた小さな棚の上に遠慮がちな小さな額が飾られているのが見えた。写真であった。
写真に使われる現像液や定着液の原料不足により、ここ十年から二十年くらいの間に利用されることがなくなってしまっていた技術のひとつだ。だからこれもかなり昔の写真だろう。若かりし頃のジャスティンと、その隣に美しい女性、おそらくジャスティンの妻である。そして、彼らの間にはうれしそうに笑うふたりの少女。双子だろう。同じ赤い巻き毛、同じ笑顔、同じアーモンド型の大きな瞳。ひとりは、アトラスがただひとり心を許したアルディス・ランカスターだ。隣の双子の姉あるいは妹と比べると、少し表情が柔らかく線が細い印象がある。
アトラスは写真にかぶっている埃を丁寧に指で払い落とし、笑いかける少女の表情にわずかに口元をほころばせた。おそらくはほぼ一日中、この工房で刀造りに励んでいたジャスティンにとっての心のよりどころが、愛しい子どもたちと妻と一緒に写っているこの写真だったのだろう。アトラスは自身の心に久しぶりに温かな感情がわき起こることを許し、その写真をそっと懐にしまった。ランカスター家の人間がもはや誰もいないこの家で、優しい家族の絆を放置させることだけはしたくないと思ったのだった。
工房の勝手口を出ると、裏庭に通じている。いまは枯れてしまっているが、春や夏になればみずみずしい緑が萌えるであろうその場所に、月明かりに照らされたふたつの墓標が立っていた。ジャスティンとその妻のものである。
アトラスは墓標の前に立ち、腰に下げていたレーヴァテインを墓標の前に差し出すと、胸に手を当ててしばしの間祈りを捧げた。アルディスの話では、レーヴァテインはジャスティン生涯の傑作のひとつであったという。レーヴァテイン、アルディス、いずれもあの運命の日にアトラスの命を守ったものたち。アトラスはその生みの親であるジャスティンに心からの感謝の気持ちを伝えたかった。
祈りを終えたアトラスは、あることに気付いた。荒れ果てた裏庭の中で確かに墓標もくたびれてはいるが、雑草がきれいに取り払われており、そしてよく見れば、墓標の傍らには花が添えられている。
誰もいないこの家に、つい最近、いや、花の状態からすればほんの先ほどかもしれない、訪れてジャスティンとその妻の墓を見舞った人間がいる。ジャスティンの弟子だろうか。ランカスターの血縁の者だろうか。うち捨てられることなく誰かが手入れをしているのなら安心だ。
そのとき。
アトラスはレーヴァテインの鞘を掴んで背後に鋭い視線を投げかけた。姿は見えない。だが、どこからかじっと見つめる気配がした。鞘から剣を抜くことはしなかったが、アトラスは慎重に剣の束に手のひらを移動させ、いつでも応戦できる状態で身構えた。
ふいにアトラスは剣を下ろし、剣帯に結びつけた。気配は完全に消えていた。だがアトラスは視線に、自分に対する悪意が紛れていたことを敏感に感じ取っていた。凍り付くような冷たい、だが炎のように激しい。その悪意もしばらくすると消えたのだったが。
「さあ、当店自慢の一品でさぁ。中央ほどの豪勢さはないが、ここらで採れた鳥と野菜は格別。お熱いうちに召し上がってくだせえ」
香辛料の香り立つ湯気とともに、香草と鶏肉のグリルが運ばれてきた。空になったグラスには濃厚な赤ワインが注がれ、アトラスはそれを口に運ぶ。こちらも店主自慢の赤ワインだという。たまの旅人に気をよくした店主の大盤振る舞いが先ほどから続いており、その温かな対応や細やかな気遣いに、アトラスは久しぶりにゆったりとした気分を味わうことができた。そういえばこうした食事をするのは、本当に久しぶりのことだと思いながら。
「お客さんのような立派な剣士様やハイ・ファミリーのような育ちのよい客人は滅多にないんでね、お口にあいますかどうか」
店主はひとりでこの食事処を切り盛りしているのだそうだ。店には数人、常連らしき客がいて食事を楽しんでいる。気心の知れた彼らが毎日来るのであれば、寂しくはないのかもしれない。
寂しい? ふと、アトラスは心の中で苦笑した。辺境に降りたってから、少し感傷的な気分が過ぎたようだ。寂しいとか楽しいとか、そういった感情にはあまり縁がなかったし、そうしたものにこだわる質でもなかったはずだ。復讐を糧に生きようとした人間に、そういった感情は無用とアトラスは思っている。だがときおり、夢の中でだけ会えるアルディスのことを思い、恋しくなることがないというのは嘘である。
もし彼女が生きていたら、今でも自分の隣にいたら、自分はまったく違う人生を歩んでいたのだろうか。剣以外の道を考えたことはなかったが、愛する人間とともに生きる人生について考えたことがないわけでは決してない。だが、もしそれが実現したならば、ガートルードに出会うことも真実を知ることもなく、まやかしの世界でまやかしの人生を歩んでいただけかもしれない。
それは幸福と呼べるものなのだろうか。〈神の黙示録〉に踊らされて、都合よく回る運命の輪に翻弄されて生きる。遅かれ早かれ、そうした人生に飽きが来ていたかもしれない。通過儀礼だったのだ。あの事件は。
継承問題、権力闘争、覇権争い、騙しあい、望まずともそれらに巻き込まれ、自分の力では抗いきれないものに縛られ、ただ生かされるだけの人生。それを打ち破ったのは、皮肉にもグレナダ公国が瓦解したあの日なのだ。
中央ではそろそろ、継承問題の果てに壊滅状態に陥ったグレナダ公国に、アジェンタス騎士団領のような巨大なものではないにしろ、霊子力炉が存在したことは調査が済んで極秘裏に処理されたことだろう。グレナダ公国は霊子力炉の暴走により崩壊した。そこにつながれたアルディスとともに。それについて知る者は、生きている者では自分以外には存在しない。アトラスでさえ、そんな古き唾棄すべき遺産が自国内に眠っていたことをまったく知らなかった。グレナダ公国は、失われるべくして失われたのだ。
真実を知ることは、常に過酷なのだとアトラスは思う。
その真実に気付いたガートルードが、どんな思いでいるか──。
この世界の正常化、ガートルードがそれを実現できる唯一の人間だとアトラスは思っている。そして、あの運命の日、死んでもいいと思ったあのとき、ガートルードは自分を救った。「死ぬつもりならその命を自分に預けろ」と。
この世界のあるべき姿を取り戻すために──。ガートルードはそう言った。そして、彼女が何を考えているのかは、心話を通じて瞬時に理解できた。ガートルードは命を救ったばかりか、その後の自分の人生に目標を与えてくれた。屍のように生きながらえるだけだったかもしれない自分の人生を、あのとき救ったのだ。
だからガートルードには全幅の信頼をおき、彼女の剣となって計画を遂行することを誓ったのだ。ガートルードは理想の君主のような存在に等しい。例え、ガートルードが自分に対し、自分と同じような信頼を寄せていなかったとしても、アトラスは歴史的な解放の瞬間をこの目で見るためだけに、ガートルードに力を貸せることができればそれでいいとも思っている。
いつだったか、ベルーゾーに言われたことがある。「相手のことを知らないから信用できないなどという感情は、子どもの幻想だ」と。確かにそれは理解できているつもりだ。あのときは、火焔帝について自分が知らない事実があったことに少し不快感を感じたが、いまとなっては、なぜあんなに憤りを感じたのかは分からない。ただ言えることは、心を寄せ合える人間が側にいないことは孤独であるということを、あのときに改めて認識したからではないかということだ。
「ずいぶん沈んだ顔してますな。恋人のことでも考えてらしたかな」
店主の声で、アトラスは我に返った。人の良さそうな顔がすぐそばにあったので、アトラスはいままでの感傷的な気持ちを押しのけ、苦笑した。本当に、今日はどうかしている。
「いや、そんなものはいやしない。ただ……」
そう。アルディスにいま、無性に会いたい。
「そういやぁ、さっきランカスター家に墓参りに行かれたようですが、ジャスティンには会えましたかね」
ファーストネームで刀鍛冶師を呼ぶ店主。もしかしたらずいぶんと懇意にしていたのかもしれない。
「ああ、俺の剣を作ってくれたことに、感謝してきたところだ」
「あいつの腕は確かでしたからねぇ。お客さんのその腰に下がってるのがやつの作品かと思うと、なんだかうれしい気持ちになってきまさぁ。銘柄はなんと?」
「レーヴァテインというそうだ」
「レーヴァテイン!? それが!?」
店主は頓狂な声をあげた。周りの客も驚いてアトラスを振り返る。
「レーヴァテインとな。そりゃ、あんた、ジャスティンの最高傑作じゃないか! あの剣を実際に扱える剣士がいたなんて、本当にたまげたなぁ。失礼を承知でお願いするんだが、ちょっと見せてはもらえませんですかね」
請われて、アトラスは椅子に立てかけていた鞘を掴み、ゆっくりと剣を引き抜く。見事な輝きを放つ刀身が姿を現し、店主は感嘆のため息をついた。レーヴァテインは炎の剣といわれてはいるが、持つ者の闘気に反応して炎の霊子力を吹き上げる。戦闘中以外、アトラスが望まない限りは、その禍々しい炎は姿を見せることはない。
「少し……ジャスティン・ランカスターについて聞かせてくれないか」
アトラスはレーヴァテインを鞘に収めながら店主にそう言い、向かいの席に腰掛けるよう促した。恐縮したように店主が椅子に腰掛けると、アトラスは隣の席のワイングラスを掴んで店主に渡してやり、薫り高いワインを勧めた。
「あいつは本当に、腕のいい刀鍛冶師でしたよ。最近は中央で量産される安っぽい剣が出回ってるおかげで刀鍛冶師の仕事も減ってきてますがね、あたしゃあんなに情熱的な刀鍛冶は見たことがない。あいつの子どもの頃から知ってますがねぇ、生涯最高の剣を作ることに命をかけていた、本物の刀馬鹿ですよ」
店主は目を閉じ、記憶に残るジャスティンの姿を思い浮かべるようにひと言ひと言、かみしめるようにそう言った。
「ジャスティンは妥協を許さない男でねぇ、とにかく剣を作り出すと寝食を忘れるほど没頭しちまう悪い癖もあって、よくかみさんに叱られてはこぼしにうちにやってきましてね。女は男の夢を理解できない生物なんだ! なんてくだ巻いちゃあ酔いつぶれてたもんでさ」
「なるほど」
「だが、あるときかみさんが急に倒れちまった。ずいぶん以前から患っていたのに、かみさんも、ジャスティンも気付かなかったんだ。あっという間にかみさんが亡くなって、ジャスティンはずいぶん落ち込んで、刀鍛冶もぱったりやめちまったんでさ」
「……そうか……」
愛する者に先立たれる悲しみは、アトラスにも十分分かっていた。
「だけどそれからしばらくして、急にジャスティンがまた剣を作り始めたんでさ。あたしの店にも顔を出さなくなったもんだから、心配して見に行ったことが何回かあるんですがね、やつは取り憑かれたように新しい剣を作り始めた。それが」
「レーヴァテイン?」
「いや、レーヴァテインはジャスティンの中期の作品ですよ。そのときやつは何を思ったか、ずいぶん物騒な剣を作っていた。なんといったかなぁ、銘柄が思い出せないんですが、人の魂を削る魔剣だとか言ってやがった。あろうことか、自分の命を削って注入しようとしてたんでさ」
「人の魂を……」
アトラスの眉が険しくなる。どこかでそうした剣を見聞きした覚えがあったはずだった。
「その剣が完成してしばらくするとジャスティンも病に伏せりがちになり、異世《ことよ》にいっちまったんでさぁ。古代の技術を使って自分の命を削ったんだ、やつにとっちゃ本望だろうが、残された人間にとっちゃ、なんでもっと自分や家族を大切にしなかったのかとねぇ。もしかしたら、あいつなりの罪滅ぼしのつもりだったのかもしれませんがねぇ」
店主は、少し目をこするような仕草をして鼻をすすった。
「残された娘がいたと聞いているが」
「おお、そうそう。双子の姉妹がいたんですよ。ジャスティンが亡くなったときはまだずいぶん幼かったけど、本当に仲の良い姉妹でねぇ」
「……アルディス……?」
「そう、よくご存じで。アルディスは妹のほうですよ。双子だから姉妹ともおんなじ顔をしてるんだけど、性格はまるきり正反対。姉貴のほうは活発で負けず嫌いな子でねぇ、小さいうちからジャスティンの作る剣に興味があったようで、剣士のまねごとをして遊んでいたのをよく見かけたもんですよ。妹のほうはとてもおとなしい子で、人の後をついて回るような子だった。アルディスは勘がよいのか、小さい頃から占いが得意でね。あたしも見てもらったことがあるんですがね、このあたりでもよく当たると評判でしたよ」
そう。アルディスは昔から人の未来を導いていたのだろう。むろん、それは彼女の人を見定める能力と、人を安心させる話術がそうさせたのだろうが。
「ただ、あの子たちもずいぶんと不憫な目に遭って……」
「早くに両親を亡くして苦労したことだろう」
「いえ、それもあるんですが、親戚の家に姉妹とも預けられたんですがね、彼女らの叔父という男が、まだ幼い彼女たちに乱暴を働いたんでさ。ちょうど姉貴のほうがジャスティンの形見でもある剣を持っていて、そいつでその叔父を殺してしまった。彼女たちは罪に問われることはなかったけれども、それ以来、彼女たちは消息を絶ってしまったんでさぁ。いま生きていたら、どこで何をしているんですかねぇ。この村に帰ってきたら、うちで面倒見てあげることもできるんですがねぇ」
そう言いながらワインを煽り、店主はまた涙をぬぐった。アトラスは、この気の良い店主が姉妹の養父だったらどんなによかったかと思った。だが、本当に運命というのはおもしろいもので、そうであればアルディスはグレナダに来ることもなかったし、アトラスと出会うこともなく、そして死ぬこともなかった。そして、アトラスがいまここにいることもなかったのだ。
アルディスはレザレアで爆発事故に巻き込まれ、双子の姉と生き別れになってしまったという。アルディスが死んだ今、彼女の死を知らずにアルディスを探す双子の姉がいるはずだ。
「アルディスの双子の姉の名はなんと?」
「ピアージュと言ってね。本当に気丈な女の子でしたよ。男のように髪を短く刈り上げて、飛んだり跳ねたり、じっとしてることのない子でしたわ。アルディスをいじめるガキ大将がいたら、即座に飛んでいってよーく大暴れしてましたなぁ」
アルディス・ランカスターにピアージュ・ランカスター。自分を守って命を落としたアルディスを、さらに守ろうとした者。アトラスはしかるべき時を迎えた暁には、アルディスの代わりに彼女の姉を捜し出したいと思った。
「ところで、この周辺には刀鍛冶が多いと聞いたのだが……ジャスティンのような名刀を手がける刀鍛冶師は他にいないのか」
「いやぁ、さっきも言ったとおり、中央でバカスカと安物の剣を量産するおかげで、めっきり仕事が減ってね。腕のいい者もとんといなくなりましたよ。なんですか、レーヴァテインの修理でも?」
「いや、〈土の一族〉について調べている。現存する〈土の一族〉の刀鍛冶師がいるなら、紹介してもらいたい」
「ほう、それはそれは」
店主は目を丸くした。中央の人間がわざわざ辺境に来てまで剣を作らせようというのが珍しいのだろう。
「よくご存じのようですけど、〈土の一族〉といえども、世代交代でいまじゃもうひとりしかいないんでさぁ。土の核を使って数多くの名刀を作ってきたのは周知のとおりですがね、最近では土の核の力を制御しているとかで、以前のように超強力な剣を作ることはできないんだそうですよ。それに、たいへんな偏屈でね」
「腕のほうは」
「確かですよ。代々すごい剣を作っちゃ名だたる剣士様たちに譲ってた実績がありますからね。土の核を管理していたのもその家系でさぁ」
「土の核を?」
アトラスの目が細められる。人の目から隠されているはずのものがそんな簡単に見つかるなんて。案外、世の中というのは知ってしまえば簡単にできているのかもしれない。
「明日、その刀鍛冶師に会ってみたいのだが、場所を教えてはもらえまいか」
セレンゲティ大陸はエルメネス大陸南端より少し南西に下がった位置に存在する。季節は冬にさしかかってはいるが、中央より温暖で湿度もいくぶん高い。アジェンタスのような北方の国の出身であるセテにとっては、その穏和な気候はとても居心地のいいものである。加えて、この集落はいまだ葉の落ちない木々に囲まれており、常にすがすがしい空気を運んでいる。森と人の共生、その理想の形が営まれる辺境は確かに中央に比べれば貧しいが、心を豊かにするものでもあるのだろう。実際にこの集落の人々は、中央の人間からすれば「虐げられた貧しい人々」であるのに、とても生き生きしている。殺伐とした騎士団の暮らしからすれば楽園だとセテは思うのだった。
空は突き抜けるように高く、澄んだ青が広がるが、セテはその空ほど晴れやかな気持ちでいることはできなかった。
サーシェスに連れられ、〈メタトロン〉を介して知った隠された過去。宇宙規模の話にまで発展するこの星の歴史。世界で初めて〈神の黙示録〉に触れた喜びなどあるはずもなく、手に負えない厄災の入った宝箱を誤って開けてしまった好奇心を呪うばかりだ。
どうしていいかわからない。そもそも、どうにかできるものなのか。
この星に飛来しているという、地球からの大量虐殺兵器、そして過去に封じられたフレイムタイラントを復活させようともくろむガートルード、現実のこととして認識しようとするのを、脳が拒絶をしている。
どこから手をつけるべきなのか。サーシェスは、地球から飛来する星間弾道弾を撃破すると言っていたが、フレイムタイラントの要石と〈神の黙示録〉を、ロクランを盾にして要求しているアートハルクの動きも捨て置けない。むしろこちらのほうが、一般の人にとってみれば大きな厄災だ。弾道弾の到達とアートハルクの動向、そしてそれらに連なるさまざまな事象。
「俺も反旗を翻したようなもんだしな……」
セテは顔と前髪をくしゃくしゃと手でこすりあげた。
あのときはああするしかなかった。そうでなければ、サーシェスは進んで記憶調整を受けてしまったことだろう。地球からの攻撃を防ぐことも真実を伝えることもすべて放棄して。だからといって誰も彼女を責めることなどできはしない。誰も知らないところでこの星を守ろうとしていただけだ。彼女に、自分を犠牲にしてまでこの星やこの星に住む生き物すべての生命を守る義務はないのだから。
彼女は、この星を守ることをやめて、自分も死んでしまえばいいと思ったんじゃないだろうか。長い年月の間、たったひとりで秘密を抱えて、自分の手に負えないことに苦しんで、もう終わりにしたいと思うのもしかたないことだろう。
真実を知っているいないに関わらず、セテはサーシェスをどうにかして助けたいと思った。いまもそれは変わらない。そして、サーシェスがまた戦おうという気持ちになったのなら、それでいい。だが。
それより以前に、サーシェスの捕縛をよしとしなかった男がいる。
「祭司長ハドリアヌス……あいついったい何を考えて俺に……」
囚われたサーシェスとの面会の後、セテは聖救世使教会祭司長ハドリアヌスに呼ばれた。聖騎士団員ではないセテがハドリアヌスに傅く義理はないし、そもそもレオンハルト復活の件で、ハドリアヌスがいけ好かない男であることは感性が告げていた。
しかしハドリアヌスの提案は驚くべきものであった。
──サーシェスを連れて光都から逃げおおせよ──。
点検による停電も、脱出経路も、牢の仕組みも、すべてハドリアヌスから提供された情報だった。そして、ハドリアヌスは逃げやすいように手はずを整えたとも言っていた。実際に、脱出するときに警備兵たちの数は異様に少なかったし、手加減しているようにもみえたのは彼が手を回したおかげだろう。
なぜハドリアヌスがそんなことをセテに頼んだのかは分からない。だが、あの祭司長のその提案は、セテにとってまたとない好機でもあった。飲まないわけはなかった。
そしていま、勘のいいレイザークが自分を疑っている。レイザークに知られてはいけない。特にハドリアヌスが提案した、この脱出劇の報酬ともいうべき条件についても。
「だいぶまいってるようね」
声を掛けられ、セテは全身から血の気が引くような感覚を覚えた。振り返れば、アスターシャが立っている。熱を出したサーシェスの看病を終えたところなのだろう。昨夜から、ベゼルと交代で彼女の世話をしていたため、アスターシャにも疲れが見えていた。
セテは小さく深呼吸をした。考えていたことが口に出ていたとは思わないが、後ろめたい気持ちが押し寄せてくる。誰にも悟られてはいけない。
「まいってるというほどでは……姫こそお疲れのご様子」
アスターシャが少し不機嫌そうな表情をした。
「その、『姫』っていうのやめて。他人行儀ですごく居心地が悪いの。役立たずは承知のうえだけど、せめて少しでも仲間意識を持たせてほしいわ」
「すみません……」
「そういう恐縮した感じもいやよ」
「いえ、俺が馬鹿なことをしでかして、それに巻き込んでしまったんですから……」
「まだそんなこと言ってるの? レイザーク様の言うとおり、私は一蓮托生のつもりでいるのよ。もちろん、ロクラン解放のことは忘れてはいないけど。少しくらい刺激的なほうが人生楽しいわ」
アスターシャはそう言って手を腰に当て、尊大な態度を取ってみせた。思わずセテはクスリと笑ってしまう。つられて、アスターシャも少しうれしそうに笑った。
「では……アスターシャ?」
セテがおずおずとそう呼ぶと、アスターシャは納得したようにうなずいた。
「サーシェスの容態は?」
「熱も下がらないし、意識もあまりはっきりしないの。たまに目を覚ましても、すぐに眠ってしまう。テオドラキスの話では、急激に肉体が若返ったことで精神力に体がついていかないらしいの。偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》は強い術法を使うことでたまに意識不明になることもあるらしいけど、それ以上に肉体と精神の不調和が原因みたい」
「そうか……。確かに、あの体では調子が狂うみたいなことを言ってたかもしれない。なんとか元の体に戻ることができればいいんだけどな……」
「そうね。アヴァターラっていうの? イーシュ・ラミナの中でも特に長寿の者は、たくさんの人格を作ってしまうとテオドラキスが言ってたけど……。そのアヴァターラのどれかがいまのサーシェスの姿でいたいと望んでいる限りは、手の施しようがないとも言ってた」
「そうか……」
セテは少し大きめのため息をついた。
「サーシェスに、聞いたんでしょ? 真実の過去を」
「うん……」
「それで落ち込んでる?」
「落ち込んでるっていうか……」
セテは顔を上げ、アスターシャを見つめた。そういえばアスターシャと合流してから、こうしてふつうに話をする機会はあまりなかったと思いながら。本当に、雪崩のようなできごとに追い立てられてきてばかりである。
「知ってしまった以上は、見ぬふりできないのがつらいなぁなんて思ってるところだよ。だからといって知らなければよかったなんてことも思わないけれど……」
「〈青き若獅子〉として何をしていいのか悩んでる。そんなところ?」
「……青き若獅子であることが重要かはよくわからないけど……知ってしまった以上は」
実際のところ、青き若獅子は記号のようなものでしかないのだろう。救世主を支えるために強力な術法を使えるわけでもないし、不死身の肉体が与えられたわけでもない。サーシェスが求めた精神的なつながりを表す、絆のようなもの。
「過去のことってそんなに重要なのかしら」
アスターシャが少し怒ったような口調でそう言ったので、再びセテが顔を上げる。
「なんか……みんな過去に振り回されてる感じがするのよね。とくにあなたとレイザーク様は、サーシェスに連れられて真相の続きを見たから仕方ないのかもしれないけれど。レイザーク様も朝からお酒を飲んでため息をついていらっしゃったし、あなたも思い詰めてるみたいだし。過去から未来が時間軸でつながっているのは分かるけど、さしあたってはこれからどうするのかを考えないと、あなたもいつまでたっても中央のお尋ね者よ」
「そりゃ……そうだけど……」
「サーシェスに頼り切りってのが歯がゆいのよ。いい? いまサーシェスは熱を出して意識不明なの。彼女が回復しないと物事が進まないのも確かにあるけど、その間、私たちで何かできることを考えましょうって言ってるの」
アスターシャの言葉にセテは目を丸くする。気の強いのは生来のものだが、感情に左右されずに物事を進めようという考え方は正論である。
「ガートルードは〈神の黙示録〉の提示とフレイムタイラントの要石の解放を望んでる。そのためにロクランが人質にされてる。私はロクランを解放したい。過去の話もあるけど、まずはアートハルクの動きを追うことからやってみるのが筋じゃない? ガートルードは中央諸世界連合が統治するこの世界の不平等を是正するためとかなんとか言ってるけど、フレイムタイラントを解放されたらこの星がまた火の海になるのよ。何をおいても、これだけは阻止しなければならないと思わない?」
「確かに……それは……」
言いかけて、セテは思い出す。〈神の黙示録〉を見る前に、サーシェスが過去の真実はアートハルクの動きにも関係があると言っていた。残念ながら事故が発生したことによって中断されてしまったが、なぜガートルードが、わざわざ一度封印した化け物を解放しようとするのか。
「それなんだ。汎大陸戦争と同様、敵味方を焼き尽くす化け物を制御できなくなることは明白、アジェンタスの封印を解いただけであの大惨事だ。自分たちも死んでしまうかもしれないような危険を冒してまで、あの化け物を解放することが得策とはまったく思えないのに」
「そこまでして辺境を救いたかったってこと?」
「ガートルードの能力や、配下の術者軍団の力をもってすれば、フレイムタイラントなしでも制圧に十分な戦力になるはずだ。銀嶺王ダフニスの時代には、アートハルク一国で世界を震撼させることができたんだから、辺境の多国籍軍を束ねているいまなら火力はだんぜん上だ。フレイムタイラントの復活で中央を解体できたとしても、辺境もエルメネス大陸もすべて火の海になるし、暴れ回るあいつをまた封印しなくちゃならない。仮に封印できたとしても、再建するのだって莫大な金と時間がかかる。だから、フレイムタイラントが中央を解体するのに必須条件である必要はないと俺だったら考えるよ。でなきゃ、フレイムタイラントを復活させるのが目的としか思えない」
セテはそこまで言って前髪をかきあげた。いまのは思いつきだったが、その考えがいちばんしっくりくるかもしれない。
「フレイムタイラントを復活させることが、ガートルードの真の目的だったとしたら……? 辺境がどうのこうのというのは、二の次だとしたら」
「なんのためにそれが必要かってことね。〈神の黙示録〉を欲しているというのもおかしいわね。昨日あなたとレイザーク様が見た〈神の黙示録〉ってのは、過去の歴史が記録されたものなんでしょ? あれを集めたからといって別に伝説の呪文や兵器が手に入るわけでもない」
「そう。サーシェスがその一部を記憶してる。だからガートルードがサーシェスをずっと探していたんだ。だけど、その過去の歴史とフレイムタイラントの復活にどんな接点が……」
「……その過去に関連して、どうしてもフレイムタイラントを復活させなければならない何かがある……?」
セテとアスターシャは同じような仕草でおのおのの顎に手を当てて考える。
フレイムタイラントは、救世主の力だけでなく、五人の聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》たちの力を束ねてやっと封印できたほどの攻撃力を持っていた。それほどの攻撃力を、何かを撃破するために使うのであれば。
「……まさか……」
セテがつぶやくと、アスターシャがきょとんとした顔で覗き込んできた。
「そうだ! 星間弾道弾だ!」
セテが急に声を張り上げてアスターシャの両腕を掴んだので、アスターシャが驚いて小さく悲鳴をあげた。
「おい! レイザーク! テオドラキス!」
セテが叫ぶと、ぼりぼりと背中をかきながらレイザークが扉を開け、そしてテオドラキスが隣の部屋から顔を出す。
「うるせーぞ、お姫さんとの喧嘩の仲裁ならベゼルに頼め。俺は忙しい」
レイザークが険悪な表情でそう言ったが、セテはそれを軽く無視した。
「星間弾道弾をフレイムタイラントで撃破するだと!?」
腕組みをし、険悪な表情のまま椅子に深々と座っているレイザークがうめいた。険悪なのはもちろん酔っていたところに水を差されたからではない。アスターシャとテオドラキス、セテもテーブルを囲んで座り、それぞれの表情をうかがえるように体を乗り出している。
「地球から飛来している星間弾道弾も無人殺戮戦艦《オート・ジェノサイダー》もたいへんな攻撃力を誇り、いずれも自己防衛機能により強力な障壁を構築できます。並大抵の力では撃破できないでしょう。それも、ひとつやふたつでないとなれば、かなりの火力が必要になります」
テオドラキスがそう説明すると、レイザークは鼻から荒い息を吐き出し、
「その読みが正しければ、あいつらはフレイムタイラントを復活させてそれらを撃破し、この星を守ろうとしていることになる。そういうことならば、中央にかけあって協力を要請し、大陸全土で全力を挙げて防衛すればいいだけのことで、なにもわざわざ宣戦布告をする必要もない。しかも、フレイムタイラントは一度解放してしまえば世界を焼け野原にする化け物だ。辺境の貧乏人どもを束ねてなんになる」
「辺境を救いたい、というのは、二の次かもしれないけれどもガートルードの本心のような気がするわ」
アスターシャがそう言ったので、一同の視線は彼女に向けられる。
「思い返せば、アートハルク戦争がそうだったと思うの。銀嶺王ダフニスは、〈神の黙示録〉の第三章を手に入れて、その叡知を利用して辺境を救いたいと考えていたのよ。ロクランに乗り込んできたガートルードも、辺境のことでずいぶんとご高説をぶっていたけど、本心でなければ辺境の国家群と同盟を結ぶことはできないし、多くの兵を辺境から集めることもできない。辺境の民は建前だけで動くほど愚かじゃないわ。アートハルク帝国が中央を解体して平等な世の中にしてくれると、本気で思ってこその同調だと思う」
王族の、民を支配する人間が言うことには間違いはあるまい。幼少から政治を目の当たりにし、おそらくは帝王学らしきものも自然に身についているはずだ。
「ふむ……あの女が記者会見で発言した『聖戦』ってのはそういう意味か。この星を守るついでに世界を変える。本気で第二の救世主になるつもりらしいな。だからといって、ロクランの占領やアジェンタスを襲撃して要石を解放した行為は正当化できるものでもない」
レイザークが鼻を鳴らした。
「それに、一度解放したフレイムタイラントをどうやって制御するつもりだ。星間弾道弾の撃破に成功したとしても、またあれを封印せねば汎大陸戦争の二の舞だ」
「ガートルードがサーシェスを欲している理由は、そこにもあるのかも。サーシェスが持っている〈神の黙示録〉の写しや鍵のほかにも、フレイムタイラントを封印できる能力者がほしいんじゃないかと思う。それこそ、ガートルードが第二の救世主ならば、第二の聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》を結成しようとでも思ってるのかもしれない」
セテの発言に、レイザークが小さく頷いた。
「なんだ。今日はずいぶんと頭の回転がいいんだな」
「まあ……な」
セテは隣のアスターシャに小さく目配せした。アスターシャのおかげで、現実的な問題に向き合おうという気持ちになったのだ。アスターシャが得意そうに微笑んだ。
「世界を変革するには、歴史の歪みを直すことも必要と考えているかもしれませんね。ガートルードは銀嶺王が発見した〈神の黙示録〉第三章しか保有していませんから、隠された歴史を公表するためには残りのふたつが必要です。事実が隠されていた、今までずっとだまされていたと分かれば、大衆は新しい政府に絶大な信頼を寄せるでしょう」
テオドラキスがそう言ったので、一同は頷いた。筋書きは揃っているはずだ。
「たとえ星間弾道弾の着弾をフレイムタイラントでしか防げないとしても、それを解放するだけで何百万何千万もの人間が死ぬ。ガートルードがやりたい不平等社会の是正なぞどうでもいい。いまの世界を守るのが剣士の役目だ。アートハルクの動きを阻止する」
そう言って、レイザークが組んでいた足をほどき、体を起こした。
「ベナワン議長に打診をしますか?」
テオドラキスが尋ねるが、レイザークは首を振る。
「いや、中央では動きが遅いうえに、この馬鹿のおかげで関係者には監視がついているはずだ。ラファエラにもな。ここからは中央とは別に動ける〈黄昏の戦士〉だけでやるしかあるまい」
馬鹿というのはむろん、セテのことだ。
「とはいえ、アートハルクの本拠地も分からないままではどうにもならんのが現状だがな。神出鬼没だが門《ゲート》を通って移動できる以上、ゲートを構築できるどこかにいるのは明白なんだが」
レイザークが肩をすくめる。
「精神感応で探すことができればなんだが……そうもいくまいな」
「砂漠で砂粒を探すようなものですよ。気配を完全に隠せる防御壁を構築しているからこそ、あの軍勢で移動できるのでしょうし」
「ふむ……」
レイザークがぼりぼりと頭をかいた。
「同盟よ」
アスターシャのりんとした声が響き渡った。一同、アスターシャを見やる。
「アートハルクはレイアムラントやデリフィウスなどの辺境の国々と同盟を組んでるでしょう。それと同じことを、〈黄昏の戦士〉でやればいい」
「しかし、あの偏屈な辺境の連中をアートハルクから離反させるのは骨が折れますよ、姫」
レイザークがさらりとかわそうとしたのを、アスターシャは少し憤慨した様子ではねのけると、
「聖騎士とか中央特使ってのは離反工作しかできないのかしら。それとは別の勢力を味方につければいいってことよ。ただでさえ頭数で太刀打ちできないのに、〈黄昏の戦士〉の中央での勢力に接触できない今じゃとうてい勝ち目はない。幸い、テオドラキス様がこうして助力くださってるんだもの、同じ辺境にあって中立的な立場にいる勢力を口説くことはできないの? 私ならそうするわ」
珍しくレイザークが目を丸くしている。王族出身ということで彼女を甘く見ていたのだろう。
「心強い参謀が身近にいたものですね、レイザーク?」
テオドラキスがそう言うと、レイザークはまいったと言わんばかりに肩をすくめた。
「辺境の民の心はガートルードが掌握している。しかし、それ以外で中立的な勢力というのは確かに存在し、そして彼らの保有する力は、とても心強い武器になることでしょう」
テオドラキスがいったん言葉を句切り、一同を見回した。そんな勢力がまだ辺境に存在しているとはにわかに考えにくいのだが。
「四大元素の一族ですよ。彼らはイーシュ・ラミナと同等の力を持つうえに、それぞれの力の源に対応した核を守っています。このセレンゲティ大陸では私の庇護のもと、〈土の一族〉が健在ですし、海の民であるジョーイは〈水の一族〉の末裔でもある」
「そういや、以前サーシェスもエルメネス大陸で〈風の一族〉に接触しているはずだ」
セテの言葉を合図に、レイザークがぽんと膝を打った。
「決まりだな。サーシェスの嬢ちゃんやテオドラキスの名前があれば、彼らを動かしやすくなる。さっそく交渉だ。〈土の一族〉の住む場所は?」
「ここから馬で移動できる距離です。長には心話で先に状況を説明しておきます。すぐに出られますか?」
「もちろん!」
アスターシャが元気よく返事をしたので、セテとレイザークが顔をしかめた。
「いや、君は残ったほうが……」
「冗談でしょ。交渉ごとなら私の名前だって有効だし、人の心ってのは動かし方があるのよ。聖騎士と特使は人を脅すことしかできないでしょうけどね」
アスターシャが腰に手を当て、尊大な態度でそう言った。セテはレイザークに助けを求める視線を投げかけるのだが、レイザークは肩をすくめるだけだ。
「お荷物だ、お姫様だ、非力な女だなんて思われたくないのよ。私だってお役に立てる頭くらいは持ち合わせてるわ。ひとりの仲間として、そろそろ協力させてくれてもいいんじゃない?」
「セテ、そのお姫サンは絶対に引かないぞ。小さなタイラント《暴君》だって噂は、あちこちに届いてるんだ」
レイザークが抗戦することを放棄してそう言ったので、セテは軽くため息をつくことしかできなかった。