Home > 小説『神々の黄昏』 > 第三章:死せる夢見の大地 > 第十七話:刺客
馬車は光都オレリア・ルアーノを後に疾走していく。途中まで追っ手がかかったが、道すがらの森や林で徐々にまき、いまではもう兵士たちの姿は見えなくなっていた。だが、速度を落とすことなく馬車は走り続け、道の悪い道中、セテたち面々は居心地の悪い思いをせざるを得なかった。
御者席で手綱を握るジョーイはもちろん、そこに座るレイザークはひと言も発することはなかった。ただときたま、レイザークはセテを睨むように見やりながら、大きなため息をつくだけだった。改造馬車の荷台部分に押し込められたアスターシャとベゼルは、いまごろこの逃避行について期待半分不安半分といったところで興奮しているのだろうが、レイザークにとってはそれも気に入らないらしく、たまにベゼルがこちらの様子を見ようと顔を出すと憤怒の表情で睨みつけ、その好奇心いっぱいの顔をひっこめさせるのであった。
「旦那、あと三十分ほど走れば、最西端の宿場町に着くけど、どうする」
ジョーイがいつものようにひょうひょうとした口調で尋ねた。レイザークは腕組みをして考えている。
「この改造馬車を売っ払って、船賃にすることも考えなきゃだけど」
「そうだな」
気のないような口調でレイザークが生返事を返した。
「その必要はないよ。俺が立て替えとく。この馬車だって、これからの移動に必要だと思うし」
セテがそう言ったのだが、レイザークはじろりと彼を睨みつけ、
「てめえの安月給で船賃なんぞ立て替えられるとでも思ってるのか、どあほうが」
「それくらい……! 確かに休職中だったけど、一応それなりの貯蓄はあるんだ。馬鹿にすんなよ」
「ふん、賄賂でももらったのか? 初年度の特使の給料なんざ、たかが知れてるだろうに」
レイザークの言葉に、セテは口をつぐんだ。レイザークはセテの表情のすべてを見逃さないというように、じっとりと睨みつけている。
「いいって、船賃くらい、俺が交渉してずっと安く乗れるようになんとかするからさ」
ジョーイが横からあわてて入った。セテはレイザークに聞こえないよう、小さくため息をついた。それは安堵のため息なのか、レイザークの怒りをそらしてもらったことによるジョーイへの感謝の気持ちなのか。
「とにかく、次の集落でいったん休憩だ。後ろのお嬢ちゃんたちもこの乗り心地じゃずいぶんくたびれちまってるだろうからな」
そうやって、レイザークが再び気のなさそうに言った。
しばらく速度を落としながら馬車を走らせ、一行は宿場町に到着した。街の娘のように着丈の短い服装に着替えたアスターシャと、相変わらず少年のような出で立ちのベゼルが大きく伸びをしながら改造馬車から降りてきた。レイザークとジョーイ、セテはそれぞれ剣を携えたまま御者席から飛び降り、そして最後にサーシェスが馬車から降りてくる。
サーシェスはいまだ幼い少女の姿のままだったが、憔悴したようなかんばせに、たまに大人びた表情を見せる。術法犯罪者が着せられる白い装束を脱いだサーシェスは、ベゼルの服を借りて着込んでいたがそれも少し大きいようで、ベゼルの短く刈り上げた銀髪とサーシェスのおかっぱ揃いの銀髪を見れば、このふたりが兄弟のように見えるのもいたしかたないことであった。
「さっきからずっと思ってたんだけどさあ、なんか生臭くて湿っぽいよね」
ベゼルが呑気にそう言いながら、犬のように鼻をくんくんさせた。
「ああ〜なるほどね。中央にいると分からないもんなんだなぁ。これが海風ってやつと潮の臭いってやつだよ」
ジョーイが笑いながらベゼルにそう言った。ベゼルはあまりこの臭いが好きではないようだった。
「あら、気に入らないの? 私も海は初めてだけど、私はこの香り、好きよ。なんか自然の中にいるんだって気になってくるし」
アスターシャは少し大げさなくらいに深呼吸をしながらそう言った。
「俺も……初めてだ、海に近づくの。でもこの感じは嫌いじゃない」
セテは誰に言うでもなく、つぶやくようにそう言った。サーシェスを横目で見やると、彼女は懐かしそうな表情で、集落の向こうに広がる海を見つめている。水平線という単語は知ってはいたが、実際に目の前に広がる海の河や湖とは違う広大なその様に、セテは圧倒されていた。
中央諸世界連合では、一般人が海に近づくことは原則として禁じられている。フレイムタイラントの炎で無理矢理えぐられ、崩れ落ちた海岸線は危険であるというのと、沈んだ大陸の一部から金目のものを引き上げては売りさばく、不当な商売を行う輩を取り締まることが目的であった。いっぽうで、遠く離れた辺境の島々に向けた交易船や軍艦については、許可さえあれば乗ることができるし、あまりないことではあるがしかるべき特別な手続きを踏んでおくことで、観光などを目的とした船で辺境とエルメネス大陸を行き来することができた。
軍の船はさておき、交易船については商業が目的のため、船賃は安くすむ。しかし、それ以外の観光などを目的とした渡航については、犯罪者抑制の目的もあって、船賃はべらぼうに高いのが常であった。
事実上、辺境からエルメネス大陸に船で移動することは、辺境の民には不可能なことでもあるのだった。これが、辺境の民が中央の恩恵に与れないと言われる制度的欠陥のひとつでもある。
「さて、まずはメシだ。ジョーイ、適当な店を探してきてくれ」
レイザークはジョーイに向かって顎で指図すると、ジョーイは肩をすくめながら生返事をし、集落のほうへ歩いて行った。その背中を目で追うと、集落には多くの商人たちが談笑したり、最後の取引をしたりしているのが見える。何人か剣を携えた剣士の姿が見えるが、商人たちが雇った用心棒の類だろう。立ち並ぶ店の往来はたいへんな活気にあふれ、そしてそのずっと先に、交易船がいくつか停泊しているのが見えた。
「あれに乗るの? うひゃ〜なんかわくわくしてきたぁ〜!」
ベゼルは大はしゃぎだ。アスターシャも、海に近い宿場町を訪れるのは初めてなのか、そわそわとしている。このふたりが現在の状況についてまったく考えておらず、遊びに来ているのと勘違いしているのは明白であった。
レイザークは改造馬車の御者席にもたれかかりながら、残った面々の顔を睨みつけている。たばこに火をつけ、うまそうに一服するとレイザークは煙を盛大に吐き出し、灰を指先でちょいと揺らして地面に落とした。もう一度たばこを肺いっぱいに吸い込み、煙を吐き出すと、
「メシの前に言っておこう。アスターシャ王女とベゼルはここでお別れだ」
「はぁ!?」
アスターシャとベゼルは同時に声を荒げた。レイザークは煙を鼻から口から吐き出しながら、地面に落ちた灰を足で踏みつけている。
「聞こえなかったか。ならもう一度だ。アスターシャ王女とベゼルは、このまま光都へ引き返させる」
「ちょっと! クソオヤジ! 何言ってんだよ今さら! 一蓮托生って言ってたじゃないかよ!」
ベゼルはレイザークの前に飛び出して、大げさに手を振り、拒絶の意を表した。そこでレイザークがギロリとベゼルを睨みつける。
「いいか。ベゼル、お前については、もともと光都への同行も禁じたはずだ。道中、やばいモンスターに遭遇してたいへんな目に遭ったのを忘れたのか。それに、アスターシャ王女。あなたについてはもともと光都へ送り届け、そこでロクラン解放のための要となっていただく予定だった。ふたりとも光都へ戻って、ベゼルはアスターシャ王女をお守りし、アスターシャ王女はご自分の祖国のことを第一に考えてほしい」
「それは……」
アスターシャの顔が曇る。確かに、当初の目的はそうであった。いまだ解放されないロクランのために何でもすると誓ったのは彼女自身でもある。そしてベゼルは、アスターシャの小姓代わりとしてそばにいることを誓っている。
「ちょっと待てよオッサン! じゃあなんでオレたちを一緒に馬車でこんなところまで連れてきたんだよ! いまさらどのツラ下げて光都に帰れるってんだ!」
威勢のいいベゼルの声が響き渡る。
「光都を脱出するために人質にされたとでもなんでも言い訳はつくだろう。実際、このうすら馬鹿ひとりであそこを切り抜けることはできなかっただろうし、光都の兵士たちもベゼルやお姫さんがいたことであまり手荒なことはできなかった。利用できるものは利用する。それが俺のやり方だってのは、分かっていただろうが」
レイザークにぴしゃりと言われ、アスターシャもベゼルも言い返すことはできない。レイザークが本気でそう思っているのだということも、彼女たちには十分過ぎるほど分かっていた。現役の聖騎士なのだ、レイザークは。勝機となるものは利用する、それが本音なのだろう。
「……じゃあ、なんであんたとジョーイはセテの肩代わりをするんだよ。おかしいじゃないか。あんただって光都に傅く聖騎士だってのに」
ベゼルは不満そうにセテの顔を見やり、それからレイザークを上目遣いに見やった。
「ジョーイはもともと部外者だ。辺境の人間でいつでもどこへでも行ける。俺は聖騎士だが〈黄昏の戦士〉の一員でもある。そしてこいつは」
レイザークはセテを親指で軽く指さし、
「中央特使であるのと同時に、〈黄昏の戦士〉の下っ端でもある。中央に反旗を翻すつもりは毛頭ないが、サーシェスのお嬢ちゃんを連れて、辺境の同志たちとうまい具合にことを運ばせられるよう動くことを考える。俺たちはそれができる」
「レイザーク……」
セテは驚いたような顔でレイザークを見やるが、レイザークのほうはセテのことなど眼中にない様子でもう一度たばこを吸い込んでいる。
「おーーい! 席取れたぞーー!」
またしても間の悪いジョーイの声に、いや、ここは険悪な状況を打破してくれたというべきか、一同は食堂の入り口で手を振る黒髪の青年を見つめる。レイザークは無言で全員を追い立て、食事処へ歩いて行った。一行は無言でついて行くことしかできなかった。
アスターシャとベゼル、サーシェスが歩き始めたのを確認して、セテもゆっくり歩を進めた。そこで突然、セテは腕を掴まれる。それから乱暴に引きずられるように身体を反転させられ、力強い腕によって馬車の壁に押しつけられた。レイザークであった。
「言っておくがな」
セテが抗議の声を上げる前に、レイザークは低く押し殺したような声でそう言った。その声色から、相当に激怒しているのが分かる。セテは身を固くして、レイザークの次の言葉を待つことしかできなかった。
「俺がお前をかばっているなんて悠長でおめでたいことを考えてるんじゃねえぞ。貴様がしでかしやがったことがどういうことか、頭冷やしてよく考えろ。もうすでにお前は反逆の罪に問われている。お前の尻ぬぐいをしてやってるんだってこと、忘れるなよ。こうなったら姫さんたちを返して、サーシェスの嬢ちゃんを〈黄昏の戦士〉でうまく使うことを優先するからな。それから、今後のお前の行動を監視させてもらう。少しでもおかしなマネをしやがったら容赦しない。分かったな」
「……ああ……分かったよ」
セテは震える声を悟られないように、小声でそうつぶやいた。レイザークはおもしろくなさそうに鼻を鳴らし、セテの身体からわざと乱暴に腕を引き離した。
セテは小さくため息をついた。レイザークに掴まれた腕が少し痛む。レイザークは何かしら疑っているのだ、自分を。そうセテは思い、背筋を伸ばした。
「一応、念のためと思って人払いはしてもらったから。店の親父には小遣いやって口止めもしてあるから、あんまり騒がなければ問題ないと思う」
ジョーイが小声でレイザークに耳打ちするのが聞こえ、セテはもし自分がジョーイの立場だったら、こううまく立ち回れるだろうかと考えた。いや、ジョーイだけでない、レイザークがいなかったら、自分ひとりでは何もできなかっただろう。そう思うと胃のあたりがきゅっと痛むような気がしたので、セテはそこに拳をぐっと押し当てた。小さなサーシェスが少し気遣わしげにセテを見ていたが、セテはそれに気づく余裕もないようだった。
金を握らせたおかげか、次々と酒や食事がテーブルに運ばれてくる。レイザークとジョーイを除く面々は無言のまま、自分たち以外に誰もいない店のテーブルに腰掛け、運ばれてくる料理を見つめていた。
「どうした。とりあえず食え。腹が減ってはなんとやら、だ」
運ばれてきた酒をあおり、レイザークが一行に食事を勧めた。レイザークとジョーイ以外は食欲などということは頭にもないようで、互いの様子をこっそり横目で見やりながら、おそるおそるパンやシチューなどに手を伸ばす。パンをちぎる手もあまり食事を楽しもうという気はない様子であった。
「食いながらでもいい。とりあえずさっき言ったとおり、アスターシャ王女とベゼルにはここで引き返してもらう。帰りの馬車賃は俺が出しておく。ここからは俺とジョーイと、このバカの三人で行動する」
バカと呼ばれレイザークに顎でしゃくられた人物を一行が恨めしげに見つめる。セテはといえば、それほど柔らかくも新鮮でもないパンを細かくちぎりながら食べもせず、何かを考えているようだった。
「ここから引き返すったって、その道中になにかあったらどうすんだよ。あんたたちといたほうがよっぽど安全だっての!」
ベゼルはいまだ憤慨し続けているようで、偉そうにレイザークに指を突きつけて抗議をした。それを、傍らにいたサーシェスが小さな手で押しとどめる。
「これは私からもお願いしておきたい。アスターシャとベゼルは、本当にここから引き返してほしい」
厳しい表情でサーシェスがふたりの女の子たちを見つめている。
「ちょっと待って。一方的にそんなこと言われたって。私はあなたが心配で……」
アスターシャが割って入った。だが、
「心配も結構。だが、これからはご自分の身を案じていただきたい」
他人行儀な口調で、ぴしゃりとサーシェスがそう言ったので、アスターシャは小さく身体を震わせた。サーシェスの、小柄な身体ではあっても大きなグリーンの瞳が、アスターシャを睨みつけるように見つめている。
「これまではモンスターが相手だ。騎士団の人間ならばそれも造作ない。だが、ここから先は生きている人間が相手だ。いや、正確には人間ではない」
「どういうこと?」
「最強のイーシュ・ラミナが追ってくる可能性もあるということだ」
セテの身体がびくりと震えた。アスターシャとベゼルは、互いの顔を見合わせて首をかしげた。辛抱強くサーシェスは続ける。
「お忘れか。ロクランを占領したアートハルク帝国の、いまやその皇帝となったガートルードが、私を手元に置くべく探し続けていたことを。幸いにも、これまでのサーシェスはすべての記憶を失っていたために、その居所を彼らに知らせることもなかった。だが、いま私は覚醒している。つまり」
「つまり?」
アスターシャとベゼルはごくりと喉を鳴らした。
「鉄壁の守りを誇る光都オレリア・ルアーノを離れたことで、彼らは私を捜しやすくなった。覚醒した私の存在そのものが、無意識下で彼らの波動に反応してしまうからだ。遅かれ早かれ、ガートルードは私を連れ戻すべく刺客を放ってくるだろう」
サーシェスがなんの感情も持ち合わせてはいない淡々とした口調で話すのに対し、アスターシャとベゼルの表情はみるみる青ざめていく。それはセテも例外ではなかった。
「もろもろののっぴきならない理由により、決断しなければならないってこった」
レイザークがサーシェスの言葉を受けてそうつぶやく。
「〈黄昏の戦士〉の面々には救援を要請してある。しばらくしたら迎えが来るので、王女とベゼルは光都へ。俺たちはとにかく海の向こうへ逃げる。いいな。とにかくメシだ。メシを食わないと悪いことばかり考えるようになる」
レイザークは一行に食事を勧め、自らももりもりと食事をほおばった。仕方なく、セテもアスターシャもベゼルものどを通りそうにもない食べ物を口の中に放り込んでいく。
しばらくすると店の外がなにやら騒がしいことに、一行は気づいた。まずはセテが顔を上げ、奥まった一行の席から少しだけ腰を浮かし、少し離れた食堂の窓を見やる。次いでレイザークがビールを一杯煽り、乱暴にジョッキを机にたたきつけるように置いた。
「なんだ。ケンカか」
大勢の人間が騒ぐ声。馬のいななきとなにやら言い争うような様子がうかがえた。
「ったく、少しはゆっくり食事することに専念させろって」
喧嘩の仲裁も騎士たる者の勤め。そう心得ているのだろうか、レイザークが重い腰を「よっこらしょ」と年寄り臭い声とともにあげ、手近にあった愛剣デュランダルを掴んだ。サーシェスはいまだ苦渋の表情のままだ。
「泥棒だ!!」
そんな声が喧噪の中から聞こえてくる。
レイザークはやれやれと言わんばかりにデュランダルを肩に担ぎ、のしのしと入り口に向かって歩いて行く。ところが、
「うるせぇ! これは俺たちの馬車だ!」
そんな声が聞こえたので、セテは悪い予感に顔をしかめながらレイザークの後をついて歩こうとしたそのとき。
「ジョーイ! セテ! この馬鹿野郎どもが!」
途端にレイザークが怒鳴り、弾かれるように飛び出していく。ジョーイはちょうどパンを飲み込もうとした矢先だったのか、レイザークの怒鳴り声に激しくむせ、その背中をベゼルが呆れたようにさすった。
セテはレイザークが走って行った方向へ駆けだした。なんということか、いかにもという怪しい連中が、セテたち一行が乗ってきた改造馬車を取り囲み、商人らしき男たちがそれに対して激しく抗議をしている。つかみ合いになったりそれを振り払ったりと、たいへんな騒ぎだ。
改造馬車は目立つ。幌の代わりに装甲車のような鉄のかたまりを乗せているのだ。おまけに、中央で取り替えた立派な馬は、このあたりでは滅多に手に入るものでもない。手癖の悪い連中が目をつけるのもいたしかたないといってしまえばそれまでではあるが、なんにせよ、その馬車をきちんとつなぎ止め、町の馬番に預けてこなかったほうが悪い。
「おい待て! 勝手に人様の馬車に手をつけるたぁどういう了見だ!!」
レイザークがドスのきいた声で叫び、背中に担いだデュランダルに手を掛けながら、本人は走っているつもりなのだろうがノシノシと熊のように近づいていく。剣を抜くつもりはさらさらないだろうが、威嚇なのだろう。セテもその後を追い、拳で決着をつけるつもりで足を速める。
馬車を取り囲んでいた商人らしき連中は、レイザークとセテのふたりを見てその場を囲むように散らばっていく。残ったのは、馬の手綱を握りしめている窃盗団らしき怪しい連中だ。
「上等じゃねえか、おい。それは俺たちの馬車だ。勝手に持っていこうなんてふざけたマネしやがって」
セテは両手の手指をポキポキと鳴らしながらそう言った。だが、
「うるせえ! やんのか!? ああ!?」
そうすごんでみせた窃盗団の頭領らしき男が剣を抜いた。レイザークとセテは身構えるが、まだ剣を抜くには至らない。一般人にむやみやたらと剣を向けてはならない、剣士としての掟がある。
「なら力ずくで取り戻してみせな。お前らの馬車だって言うんならな」
続けて周りにいた窃盗団の一味が剣を抜く。レイザークとセテはお互いの顔を見合わせ、そして同時に肩をすくめた。
「……素人がそんなもん振り回すとケガするぜ」
これも、二人が同時に吐いた台詞であった。
即座に悪党どもが掛け声とともに斬りかかってくる。セテとレイザークはそれぞれ剣を抜かずに応戦し、相手の切っ先を交わしてはその顔面に強烈な拳や膝蹴り、踵落としを見舞う。ひるむことなく、倒れても起き上がっては次々と立ち向かってくる懲りない面々であるが、正式な剣士としての訓練を受けた現役の聖騎士と特使だ。少しは剣の覚えもあるのだろうが、たかが野良剣士の盗賊。そう時間もかからずに勝負はつくはずであった。
「くそ……!」
次々と手下たちがやられていくのを見て、頭領の男は歯がみをする。最後まで自分は参戦しないつもりだったのだろうが、周りで突っ伏している手下を見ればそうもいかないと思ったのだろう。ゆらゆらと不思議な踊りを踊るかのように、男は奇妙な構えでレイザークとセテのふたりに剣を突きつけ、その隙を狙っているようだ。
「アホか。そんななまくらの剣、かすりもしねえっての」
久しぶりの立ち回りに満足しているのか、セテが鼻を鳴らして侮蔑の意志をあらわにした。見る間に頭領の顔は激情で赤く染まっていく。
だがそのとき。
「騒がしいな」
頭領の後ろから、落ち着いた若者の声がした。
「俺はこの先に用がある。これ以上道を塞ぐなら容赦はしない」
馬車の真後ろにいるのか、セテとレイザークにはその声の主は見えない。だが、セテにはこの声に聞き覚えがあるような気がしていた。
「な、なんだとぉ!? 貴様も一緒にぶった切ってやる!」
頭領はさっきまでの敵を忘れ、後ろを振り返りながら剣を振り上げた。
「邪魔だ!」
青年が突然声を荒げた。頭領の掲げた剣が振り下ろされるほんのわずかな瞬間、炎が舞うような気配がした。同時に、激しい炎が踊り狂い、盗賊の頭領と、そしてセテたちが守ろうとしていた馬車の改造した荷台部分が吹き飛んだ。頭領の身体は見事に上半身と下半身とに分かれ、血しぶきを上げながら倒れていく。そして改造馬車の荷台は鉄製であるにも関わらず、まるで紙くずのように炎にまかれ、消し飛んでいった。
周囲から悲鳴があがったのはその直後。そしてセテが目を見張ったのは、吹き飛んだ改造馬車の荷台の向こうにいる、ひとりの青年の姿を見つけたからだった。
赤茶けた長い髪、漆黒で丈の長い戦闘服に身を包んだその男。その右手に握られているのは、炎の闘気をまとう一本の剣。端正な顔立ちだというのに、この世のすべての憎しみを詰め込んだような冷たい瞳。真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》アトラス・ド・グレナダがそこに立っていた。
「久しぶりだな、若き青獅子。やはり生きていたか。貴様の命運があそこで尽きるには惜しい。いや、運命に生かされたというべきか」
アトラスはセテを見つけ、にやりと口元だけで笑った。
「なんだ、知り合いか。やけに物騒なヤツだな」
レイザークが小声で尋ねる。だがしかし、セテは激情にかられ、歯の根が合わないのかまともに答えるのもやっとのようだった。
「知り合いなんかじゃない……! あいつは火焔帝の右腕で……アジェンタスを火の海にした張本人だ。それに……」
──ピアージュの仇でもある。そう言いたかったが、なぜか奥歯がガチガチと鳴ってうまくしゃべれそうにない。あのアジェンタス陥落の日、セテは負けたのだ。この男に。父の形見である飛影を折られ、肩を抉られ、そして助けに入ったピアージュを──。
「ほう。そちらはパラディン・レイザーク殿とお見受けするが」
アトラスは剣をしまいながらレイザークを品定めするように見つめた。
「光栄だな。俺を知っているとはな」
「もちろん、俺は火焔帝の腹心だ。運命の輪に関わる者のすべてを知っている」
「わけの分からないことを」
レイザークが剣の柄に手を掛けようとしたとき、
「よせレイザーク! あいつは……あの男の剣はあんたのデュランダルでも適わない!」
セテが聖騎士を見下したような言い方をしたのが気に入らなかったのか、レイザークは小さく舌打ちをし、だが視線だけはアトラスに向けたままだった。
「残念だが」
アトラスはおどけたように肩をすくめると、
「今日はお二方には用はない。腕試しをしたいのならまたの機会に、ということで」
「……何が目的だ」
セテは絞り出すような声でアトラスに尋ねた。
「目を覚ましたお姫様を迎えに、とでも言おうか。君らが連れて歩いている救世主をこちらに渡していただきたい」
アトラスの言葉に、セテとレイザークは同時に顔を見合わせた。やはりサーシェスの言うとおり、覚醒した救世主の波動がその居場所を敵に教えてしまっていたとは。
「ほう。案外ロマンチストなんだな。だが、聖騎士がはいそうですかとでも言うとでも思ったか」
レイザークが背中のデュランダルを掴み、構えた。レイザークにとっては、この青年が援軍を連れずにひとりでやってきたというのに対しても腹立たしく思っているようだった。
「貴公とやりあうつもりはない。火焔帝は無駄な殺生はお嫌いでな。だが、どうしてもというのなら」
アトラスが腰の剣に手を掛けた。レイザークの両手に力が込められる。
「待て!!」
少女の声が、緊張したこの場に響き渡った。サーシェスだった。サーシェスはゆっくりと値踏みをするかのようにアトラスを睨みつけながら、レイザークの腕に手を掛け、仕草で剣を収めるように促した。
「私を迎えに来たと言ったな。この者たちに手を掛けぬと約束すれば、かまわん。私をガートルードの元へ連れていくがいい」
「サーシェス!?」
セテが叫ぶが、サーシェスは振り向きもせず、まっすぐアトラスを見つめたままだった。
「もちろんだ。あなたを連れ帰ることが俺の任務だ。おとなしくついてきてくれれば、蒼天我が上に落ち来たらぬ限り、お仲間たちに手を出すことはしないと誓おう」
「いいだろう。その誓い、しかと聞き届けたぞ」
そう言うと、サーシェスはセテとレイザークの横をすり抜け、まっすぐアトラスの元へ歩いていく。
「サーシェス! よせ!」
セテが叫ぶ。そこでサーシェスは初めてセテを振り返った。
「知っているだろう。ガートルードはずっと私を捜していた。そして覚醒した私の居場所など、彼女にとって簡単に探索できることも。この男に勝てる見込みはいまのところない。無駄な争いをせずに済むならば、私がガートルードの元に行けばいい」
「ガートルードは敵だと言ったはずだ!」
セテが食い下がる。だがサーシェスは静かに首を振ると、
「私がガートルードの元へ帰ることで、すべては解決するだろう。フライス殿の行方も分かるし、ロクランの占領も止めさせられる、全面戦争も食い止めることができる。私がいまできるのはそれだけだ」
「さすがは救世主。物わかりがよくて助かる。いくら俺でも、覚醒したあなたに抵抗されれば勝ち目はない。火焔帝は首を長くしてあなたを待っている。その理由が……あなたにはよく分かっているはずだ」
「分かっている。早く連れ帰ればいい。どうせあちこちの門《ゲート》を使って移動しているのだろう。テレポート……いや、転移の術は必要あるまい」
「では。姫君。お手を」
アトラスはおどけたようにサーシェスに手を差し伸べた。サーシェスがアトラスの手を取ろうとしたそのときだった。
「ふざけんな!!」
セテはいつの間にか膝をついて身体を震わせていたが、その声に苦痛の色はなく、力強いものであった。
「アトラス、てめえ、前に俺に言ったよな。俺が青き若獅子だって。青き若獅子ってのはな」
それからセテははじかれるように立ち上がり、術者が術法を展開するかのごとく右手をアトラスに向けて差し出した。その手のひらにはくっきりと銀色の傷跡が残っていたが、いまはそれが緑色の光を放っている。
「教えてやる! 青き若獅子ってのは、救世主の半身なんだってことをな!!」
突如として、セテの右手から術法が発動される。呪文を詠唱せずに術法を展開するのは、一部の、しかも高度な術者に限られる。それを、セテは軽々とやってのけたのだ。
緑色の閃光とともに、アトラスの身体が揺らぐ。その隙を突いてセテはサーシェスを抱きかかえ、即座にレイザークの横まで滑り込むように身体を翻す。驚いたのはレイザークだけではない。当のサーシェスの姿をした救世主も、突然のセテの術法発動に目を見開いていた。
「青き若獅子ってのは、半身を意味するんだとよ。俺がそれを望まない限り、サーシェスをお前に渡すようなマネはしねぇ!! それにサーシェスだって、本当はガートルードの元になんざ帰りたいとも思っちゃいねえんだよ!!」
小さなサーシェスを抱きかかえたまま、セテはにやりと笑った。
「貴様……あのアジェンタスでの戦いをもう一度ここでやるつもりなら受けてたとう」
アトラスはとうとう剣を抜いた。炎の霊子力を吹き出す魔剣がその姿を再び表す。レイザークが脇で剣を構える気配がしたが、セテの意識はそこでぷっつりと切れてしまったようだった。
「セテ! セテ!?」
気を失ったセテに抱きかかえられたままのサーシェスは、動けないながらもセテを揺り起こそうと必死にその名を呼ぶ。意を決したサーシェスの瞳が、術法を発動すべく細められたそのときだった。
何もかもを吹き飛ばさんとするような激しい突風が当たり一面をなぎ払う。剣を正眼に構えてそれを避けようとしたアトラスの身体も、例外なく十数メートルもの距離を後ずさるはめになった、だが、そこはさすがというべきか、足だけは地面を捉えて新手の出現に備え体勢を整えようとしているところだった。
──早く! いまのうちに──!
どこからともなく、女の声がした。ジョーイやアスターシャ、ベゼルも食堂から顔を出していたところだったが、その全員の頭に直接語りかけてくる声だった。
──港に船が待機している。そこまで走れるか──?
辺境なまりのある女の声だった。突風が吹き荒れるなか、レイザークはセテとサーシェスを抱え、そしてジョーイたちを先導しながら港の方角に向かって走り出した。
「くそ……! 〈気〉の力か……! 逃がしは……」
アトラスがそう言いかけた矢先、彼の足下に魔法陣が輝く。門《ゲート》が開いたのだ。どうやら時限つきゲートだったのか、アトラスの身体はゲートに吸い込まれるようにして消えていった。